アラブ首長国連邦(UAE)の誕生
真珠と原油——日本とアブダビを結ぶ知られざる関係

1960年代のアブダビ
1960年代のアブダビ
(博物館「ヘリテージ・ビレッジ」の展示より)


 アラブ首長国連邦(UAE)は、7つの首長国で構成されています。そのうち、全面積の87%を占める最大の首長国が「アブダビ」です。アブダビはバニヤス(バニーヤース)族が建国した首長国。

 かつて砂漠の民は、オアシスに定住していました。
 アラビア半島の海岸線から内陸に100kmほど入った場所に「リワ・オアシス」という地域があり、ここにバニヤス族は暮らしていました。

 1761年、部族長が狩猟のため、沿岸までガゼル(カモシカ)を追って行くと、ある島で泉の水を飲むガゼルの姿を目撃します。淡水の発見です。
 バニヤス族はここを入植地と決め、町を作りました。島の名前は「ガゼル(アラビア語でダビ)の父(アブ)」としたため、この地は「アブダビ」と呼ばれるようになりました。

 1793年、バニヤス族のナヒヤン家は政権を握り、アブダビに定住。以後、アブダビは現在まで首長国の首都となっています。
 なお、隣のドバイ首長国は、バニヤス族のマクトゥーム家が1833年にアブダビから独立して建国したものです。

ナツメヤシの木
ナツメヤシの木

 
 砂漠の地であるアブダビには目立った産業はありませんでした。内陸部のオアシスでは、ラクダの飼育やナツメヤシ(デーツ)の栽培をおこなっていました。
 沿岸部では漁業が盛んでしたが、特筆すべきは真珠の採取でした。アブダビは周囲の漁業権を握り、かなりの税収を得ることに成功します。

 しかし、真珠産業は、20世紀に入って徐々に衰退していきます。
 1914年に始まった第1次世界大戦、1929年の世界恐慌などさまざまな原因がありますが、最大の理由は、日本人の御木本幸吉が真珠養殖に成功し、人工真珠が誕生したからです。

アブダビの真珠
アブダビの真珠


 真珠やデーツの収入があっても、アブダビの生活は貧困でした。衛生状態も悪く、1953年まで学校は一つもありませんでした。教育は、アラビア語、算数、コーランを個人教授している状態が長く続きました。
 それなのに、頼みの真珠産業さえ崩壊し、アブダビは困窮していきます。

 1928年、シェイク・シャフブートがアブダビの首長になりました。
 そこにやってきたのが、石油会社の調査員でした。
「もしかしたらこの地に石油が出るかもしれない」——その言葉に、首長は弟のシェイク・ザーイドを案内人に推薦します。
 シェイク・ザーイドはまだ10代でしたが、このとき石油産業について学んだことが、後のアブダビの将来を決定していきます。

シェイク・ザーイド
シェイク・ザーイド(左から2番目)
本名はザーイド・ビン=スルターン・アール=ナヒヤーン。シェイクは王族への尊称


 第2次世界大戦後、シェイク・ザーイドは、アブダビ第2の都市アルアインの市長になります。
 このとき、長年の課題だった水利権の仕組みを変え、灌漑設備を整えたことで、アルアインの農業生産は、またたく間に増大します。当時、率先して自分たちの水利権を提供したことが高く評価され、シェイク・ザーイドは名君と呼ばれるようになりました。

 1958年、アブダビでついに石油が発見されます。そして、1962年、最初の原油輸出をおこないます。
 貧乏国だったアブダビに、巨額の資金が一挙に流れ込みました。

1960年代のアブダビ
1960年代のアブダビ(右下が王宮)

アブダビに建築中の新王宮
アブダビに建築中の新王宮


 しかし、アブダビ首長だったシェイク・シャフブートは、巨額のマネーの使い方がわからず、アブダビの発展はいっこうに進みません。
 そこで、シェイク・ザーイドは一種の革命を起こし、兄を退位させ、自らが元首となります。1966年8月6日のことです。

 1968年、イギリスが1971年末までにスエズ以東から撤退すると宣言。これを受け、複数の首長国を中心に連邦国家結成の機運が高まります。この運動の中心となったのがシェイク・ザーイドです。
 結果的に、カタール、バーレーン、オマーンは自主独立の道を選びますが、1971年12月2日、アラブ首相国連邦が誕生し、シェイク・ザーイドは最初の大統領になりました。

 UAEが誕生する1年前の1970年秋、シェイク・ザーイドの密使が日本を訪れます。訪問先は、日本のフィクサーと呼ばれる田中清玄(きよはる)でした。
 密使が伝えた内容は、「サウジアラビアのファイサル国王が、アブダビに対して油田を含む領土の割譲を要求してきた。どうしたらいいのか」というものでした。
 両国は砂漠の国境地帯に軍隊を結集し、まさに一触即発状態。はたして、日本のフィクサーに何ができるのか。

アブダビ国営石油会社(ADNOC)
アブダビ国営石油会社(ADNOC)


 田中清玄については毀誉褒貶があり、この話もどこまで本当かはわかりませんが、面白いので、以下、本人の言葉を引用しておきます。

《国王の話を聞いて俺は考えた。サウジのファイサル国王が言うことを聞き、彼を説得できる者はニクソン米大統領をおいて他にはいないと。それですぐにその日のうちにアブダビを飛び立ってロンドンヘ向かい、そこからまた飛行機を乗り継いで日本に帰った。
 それですぐ佐藤首相の長男の佐藤龍太郎君に連絡を取って、即刻、首相にお会いできるように取り計らってもらい、すぐにお会いした。もちろん外務省も通産省もー切通さずにですよ。首相にはアブダビとサウジの地図や、油田関係の書類などを持っていって説明しました。
 佐藤さんはたまたま国連総会で、日本の首相として演説するということで、ニューヨークに行くことになっており、そこにニクソンも出てくるというので、「分かった。ニクソン大統領に話そう」ということになった。佐藤さんはその通りやってくれました。
 おかげで戦争は回避され、アブダビの領土を守ることができたんです》(『田中清玄自伝』)


 シェイク・ザーイドは田中に感謝し、お礼としてアブダビ沖の海上油田の権利を与えてくれました。これが、欧米以外の国が、アラビアの油田に採掘から関与することになった最初です。
 UAEは、1973年のオイルショックのときも、別の油田の採掘権を日本に与えてくれました。

 シェイク・ザーイドは、石油で得たマネーを国中に投資し、UAEは世界屈指の豊かな国になりました。現在では教育も医療も無料で、家も政府が支給してくれます。

アブダビの国家支給の家
国家支給の典型的な家


 石油が発見されて以来、UAEの産業化は一気に進みました。いまではセメント、アルミニウムなど多くの工場が建造されています。
 また、1999年にはアブダビとドバイに株式取引所が設立され、世界有数のイスラム銀行「アブダビ・イスラミック・バンク」も創設されました。

発電・海水淡水化プロジェクト
東京電力など、日本企業が参画した「海水淡水化・発電」施設


 シェイク・ザーイドは2004年に死去しますが、UAEの建国の父としての評価は揺らいでいません。
 前述の田中清玄は、シェイク・ザーイドをこう評価しています。
「人柄、識見、判断力、行動力、それらをすべて総合して、彼こそがアラビア人としては最高の英傑だと思った」

シェイク・ザーイド
シェイク・ザーイド(1918ー2004)


制作:2015年4月6日


<おまけ>
 現在のUAEの大統領は、シェイク・ザーイドの息子のシェイク・ハリーファ(カリファ)です。
 2010年に完成した世界でもっとも高いビル「ブルジュ・ハリーファ」の名前も大統領の名前からとられました。彼は父親以上のインフラ投資を進め、いま、アブダビには世界一のものがたくさんあるのです。

シェイク・ザーイド・モスク シェイク・ザーイド・モスク
世界最大の絨毯が敷かれたシェイク・ザイード・モスク


F1アブダビ・グランプリの会場「ヤス・マリーナ・サーキット」
F1アブダビ・グランプリの会場「ヤス・マリーナ・サーキット」


世界最大のロゴが描かれたフェラーリ・ワールド 世界最速の時速240kmのジェットコースター
世界最大のロゴが描かれたフェラーリ・ワールドと、世界最速の時速240kmのジェットコースター


キャピタルゲートビル キャピタルゲートビル
世界で最も傾いた「キャピタルゲートビル」(高さ160m、傾斜角18°)。右は遠望


2015年12月オープン予定の「ルーヴル・アブダビ」
2015年12月オープン予定の「ルーヴル・アブダビ」美術館

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