アフリカへようこそ
まずは、アフリカ概論です。
阿非利加(アフリカ)洲の広さは1294万坪で、人の数は6100万人。北の方にはヨーロッパ人種もいるが、ほとんどは黒奴(くろんぼ)で、風俗ははなはだ卑しく、国々には王とか帝とか名乗る支配者がいるが、強者が力ずくで弱者を苦しめるものだから、争いが絶えることがない。
これが黒奴
アフリカは四方がすべて海だが、唯一、アジアにつながるところが100里ほど地続きになっている。この場所には蒸気車の道があって、一日で行ける。また、4、5年ほど前から、フランス人がここを掘って船を通せるように目論んでいて、いろいろと工夫し、今では小舟くらいは通れるという。この掘り割りが完成すれば、ヨーロッパから東洋のインド、中国などへの航海が、喜望峰を回らずに地中海から直に西紅海に出れるので、かなりの近道となる。
では、行きたい国を選んでください。
エジプト
衛士府都(エジプト)は山が少なくて平地である。内留(ナイル)という大河があって、国の中央を流れている。その恵みで田畑は実り、時々は川が氾濫するが、かえって作物がよくできるようになるため、この地の人は大水を豊年の印として喜ぶという。
ナイルの氾濫
このあたりは不思議な場所で、いつも雨は降らず草木を養うものは夜の露だけである。気候は熱く砂塵は吹き荒れ、住居は快適ではないが、産物は米、麦、綿、たばこなどがある。
エジプトは古い国で、名所旧跡が多い。寺の跡も大きいものが多く、比羅三井天(ピラミッド)の数も60、70はある。そのなかでいちばん大きいものは高さ480尺もあり、伝説では3000年以上前の国王の墓だという。
スーダン、エチオピア
信野(ヌビア=現スーダン)はエジプトの支配下で、阿弥志仁屋(アビシニヤ=現エチオピア)は独立国である。この辺の河には「ひぽぱたます」(カバ)という象ほどの大きさの獣がいる。
カバです
マダガスカル
麻田糟軽(マダガスカル)は、文化年中よりヨーロッパと条約を結び、にわかに風俗が改まり文武ともに盛んだが、文政11年にラダマという国王が王妃に毒殺されたことで、国中が大乱状態である。一時はすべての外国人を追い出してしまったが、最近は再び開国し外国とのつきあいも始まっている。それでも以前に比べれば国の威光は大いに衰えているが、これはすべて鎖国のせいである。
首都は棚奈竜(タナナリブ)というが、あまり繁栄した町ではない。
町並み
南アフリカ
喜望峰の地はもともとオランダの領地だが、60年前よりイギリス領となった。だから今でもオランダ人が多いので、喜望峰の港のことをケープタウンという。
喜望峰
商業は盛んで産物も多い。南の方の発天戸池屋(はってんとちや=現ナミビア、ボツワナあたり?)のあたりに住むアフリカ人は実に愚かで人間の中でも下等の部類だという。
ギニア
銀名(ぎんな=現ギニア湾沿いの一帯)国は、2つに分かれて、南の方を下銀名、北の方を上銀名という。その境はニジェール河である。上銀名にはところどころイギリスオランダの領地があって、土地の産物である砂金や椰子の実の油などを積み出している。下銀名はポルトガルの領土で、このあたりには獅子が多く、ときどき人を害するおそれがあるという。
人を食うライオン
リベリア
古くからアフリカにはひどい風俗として人身売買がある。これを「スレイブ」といい、生涯買い切りの奉公人ということである。アメリカなどには多くの人が買い込まれ、牛馬同様、田畑の仕事に使われる。心ある人はこれを憐れみ救おうとするが、たとえば理部利屋(リベリア)などはアメリカの心ある人たちが申し合わせて作った国である。こうしたことで、最近は人身売買も大きく減ったという。
モロッコ
茂禄子(モロッコ)の港の丹路留(タンジール)は治部良留多留(ジブラルタル)に臨み、スペインの対岸である。
アルジェリア
阿留世里屋(アルジェリア)は気候が穏やかで、五穀果実が実ることではモロッコに劣らない。都は海岸から小高い山の麓に開けていて、風景がいい。40、50年前はこのあたりに海賊が多く、諸国の船を悩ませていた。このため文化年中にアメリカがアルジェリアをせめて6万ドルの賠償金を取ったという。
チュニジア、リビア
戸仁須(チュニス)や戸里堀(トリポリ)などの諸国だが、チュニスの人はよく農業をし、この国では五穀、綿、たばこなど以外に銀銅鉛水銀が産する。トリポリの人はナツメを常食にしている。アラビアあたりからアフリカの海岸はナツメが多いところである。
コンゴ(旧ザイール)
アフリカの内地は西洋人の調査にも関わらず詳しくわからない。越尾比屋(エチオピア=現コンゴあたり)などの人はもっとも教養がなく、人の気はとても粗いし「にやむく」というところの黒奴は人を殺して肉を食うという。
砂漠のなかにも稀に草の茂った山がある。大海の中の島のようなもので、道行く人はこの草をラクダのエサにする。ただ、人の食料は数ヶ月分用意がいるし、雨が降らないから水にも不自由する。10日歩いて、初めて泉にあうほどだから水の貯蔵もなくて困ってしまう。文化二年、2000人のアフリカ人が1800匹のラクダをつれて砂漠をわたったとき、ちょうど水のある場所に行き会わなかったため、全員が渇死してしまったという。
マデイラ島
麻寺(マデイラ)は小島だが、山水の風景はとても良く葡萄酒が産する。気候は春夏秋冬だいたい同じで、病人が養生する場所としてよい。加奈利屋(カナリア)はスペイン領で、様子はだいたいマデイラと同じである。
セントヘレナ島
新都辺礼奈(セントヘレナ)はイギリス領で、1815年(文化12年)、フランスのナポレオン1世が和阿戸留楼(ワーテルロー)でイギリスの将軍ウェリントンに破れ、この島に流されて一生を終えたことで、有名になった。
ナポレオンはこの島に流され、1821年5月5日に死んだが、死後も罪人扱いだったのを、1840年、フランス人の願いによって大きな式典とともにパリに改葬された。