韓国・史上最高の仏典
あるいは「極楽」と「不思議の国のアリス」を結ぶ点と線

仏国寺(世界遺産)
仏国寺(世界遺産)


 俺は毎年、年賀状のためだけに「世界の珍スポット&秘境」へ行くんですが、2005年は珍しく観光地で撮影しました。場所は韓国・慶州の仏国寺です。
 仏国寺とは、その名の通り、地上に現出した「仏の国」。上の写真の安養門につながる階段は、蓮華橋(下10段)と七宝橋(上8段)といって、地上から極楽浄土へ渡る橋という意味を持っています(国宝22号)。つまり階段の下が現世で、上が極楽浄土というわけ。

 では、極楽とはどんなところなのか?
 歴史の教科書に絶対登場する鳩摩羅什が訳した『仏説阿弥陀経』(402年ころ)では、極楽浄土は次のように書かれています。

《彼國常有種種奇妙雜色之鳥白鵠孔雀鸚鵡舍利迦陵頻伽共命之鳥是諸衆鳥晝夜六時出和雅音其音演暢五根五力七菩提分八聖道分如是等法》

 オイオイ……これでは全く意味不明ですよ。でまぁ、訳すとこんな感じ。
 
《かの世界には、常に色とりどりの珍しい鳥がいる。白鵠(白鳥)、孔雀・鸚鵡(オウム)・舎利(九官鳥)・迦陵頻伽(人の頭を持った鳥)・共命鳥(声の美しいキジ)といった鳥が、昼夜6時に優雅な声で鳴く。その鳴き声は、そのまま「五根」「五力」「七菩提分」「八聖道分」といった尊い教えを説いている》

極楽
ここが極楽。
 

 素晴らしい世界ですな。
 さらにいえば、極楽には7つの宝(金・銀・瑠璃・水晶・蝦蛄・赤真珠・瑪瑙)でできた池があって、そこには不可思議な力を持った水がなみなみとたたえられているそうです。
 しかし、日頃の信心不足からか、残念ながら、俺には極楽の鳥も金銀財宝も見えませなんだ。残念無念。
 


 それはそうと。
 こうしたさまざまな仏典を総称したものを、「大蔵経(だいぞうきょう)」または「一切経(いっさいきょう)」といいます。
 仏典はもともと梵語(サンスクリット語)またはパーリ語で、本来、大蔵経とは漢語訳のものを指す言葉でしたが、今では各国語訳も大蔵経と言ってます。以下、さまざまな大蔵経をあげておきましょう。

敦煌・千仏洞の写経 奈良・正倉院聖語蔵本
左:敦煌・千仏洞の写経
右:奈良・正倉院聖語蔵本


大蔵経チベット語
チベット語版
 

 こうした各種大蔵経のなかで、学術的にもっとも高い評価を得ているのが、日本で編纂された『大正新修大蔵経』(大正新脩大蔵経とも。略して『大正蔵』)です。本蔵85巻、目録3巻、図像12巻の合計100巻。大正11年(1924)から昭和9年(1934)にかけて、高楠順次郎、渡辺海旭、小野玄妙らが中心となってまとめられました。
 まさに大蔵経の決定版で、国内海外問わず、学者が論文に仏典を引用する場合は、『大正蔵』の巻数、ページ数、段数を明示するのが通例です。
 
 で、その『大正蔵』は、韓国の海印寺にある「八万大蔵経」を底本としています。というわけで、その「八万大蔵経」を見に行ってみたよ。

海印寺(世界遺産)
海印寺(世界遺産)


 海印寺は慶尚南道にある寺で、創設は新羅時代の802年。まったくもって山のなかで、たどり着くのが大変です。なにせ、釜山から車で3時間はかかります。しかも、付近にはこの寺以外の観光地はまったくないため、普通はなかなか行く気になれません。
 が、しかし、世界遺産ということもあり、最近は観光客もずいぶん増えてきたんだとか。
 この寺の観光ポイントは、とにかく午前中に行われる海印寺太鼓の勤行です。何人もの坊さんが順番に太鼓をどんどこ打つ姿は素晴らしいですぞ。
 
 
 さて、この寺の最奥部に収められているのが、目指す「八万大蔵経」です。
 これは、蒙古軍の侵略に対して仏の加護を祈願するため、1236年から制作がはじまりました。版木はすべて白樺で、3年間海水につけ乾燥させたあとで、文字を彫り、最後に漆を塗った現存最古&史上最高の経版とされています。
 完成は1251年。1398年に江華島から海印寺へ移されました。総数はなんと8万1258枚で、韓国の国宝52号に指定されています。

海印寺(世界遺産)海印寺(世界遺産)
急な階段(左の写真)を上ると、経木の巨大保存庫に到着


 ぱっと見、保存庫は単なる建物なんですが、湿度とか温度とか、うまく調節できてるんでしょう。八万大蔵経はもちろん触ることはできませんが、すごい数だなぁーー、ということだけはわかります。

八万大蔵経(世界遺産)
八万大蔵経(世界遺産)

 
 しかしまぁね。確かに素晴らしい。素晴らしいんだけど、そこにあるのは単なるボロボロの板。俺にはいまいち価値がわかりませぬ。やっぱり功徳が足りないのかもね。


制作:2005年1月26日


<おまけ>
 『大正蔵』を制作した高楠(たかくす)順次郎は、明治23年(1890)、オックスフォードに留学し、マックス・ミュラーに師事、ここでサンスクリット語とパーリ語を学びました。その後、1901年に東京帝国大学で梵語学の教授になっています。
 1924年、関東大震災のときにできた築地本願寺の救護所に、女子大を創設します。これが現在の武蔵野大学(2004年から共学になりました)。

 ちなみに師匠のマックス・ミュラーは神話学の開祖みたいな人で、同僚には『不思議の国のアリス』の作者・ルイス・キャロルがいました。2人の親交は有名なので、高楠はおそらくルイス・キャロルにも会ってると思いますが、もしかしたら、アリスのモデル(アリス・リデル)とも出会っていたかもしれませんね。

 ルイス・キャロルのロリコン説はどうも嘘っぱちらしいですが、高楠がどうして女子校を作ったのか、ちょっと考えてみるとなかなか面白いのでした。

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