「壁」崩壊10年記念!
東ドイツを偲んで

 1989年11月9日。ベルリンの壁崩壊。僕はその翌年2月に現地に行きました。当時、「思い出はカメラでなく心に刻む」などと思って(←バカ)、写真は1枚も撮っていないため、当時の思い出を書いておきます。

 僕はベルリンの壁崩壊の3ヶ月後、生まれて初めて海外旅行に行きました。当時、大学1年だった僕には、海外と言えばヨーロッパかアメリカという意識しかありません。それで、このときは最初にロンドンまで飛んで、そのままヨーロッパ一周しようと考えていました。
 忘れもしない20歳の誕生日、僕はわくわくしながら飛行機に乗ったのです。

 旅行は順調でした。ところが、スペインやイタリアを回って、それはそれは楽しい経験だったのだけど、どうにも旅に飽きてきました。ヨーロッパって、日本と一緒じゃん。そりゃ、大聖堂は荘厳で立派だし、ビールもうまい。でも、何か足りない……。

 そんな思いを持ったまま、僕はオーストリアのウィーンに到着しました。ウィーンは東欧の玄関口です。ここで僕は東欧に行こうかどうか悩みました。北に向かえば西ドイツ。一緒にいた友達は当然のように西ドイツに行くと言います。もし東欧に行くなら、ここからは一人です。
 友達は「お前の顔は土気色だ。大丈夫か」と不安そうです。初めての海外で、疲れがたまっていたんでしょう。ここから一人で「危険な」東欧になんか行けるのだろうか。確かに怖い。でもせっかくここまで来たのに……。決断にはずいぶんと勇気がいりました。

 結局、僕はユーゴスラビアに入国します。ウィーンに比べて、街がくすんで見えたのを憶えています。
 その後、ルーマニアからハンガリー、チェコスロバキア、ポーランドと北上し、最後に東ドイツに行きました。ベルリンの壁が見たい! その一念が、びびりながらも東欧を旅する動機となったのは確かです。

 壁はもちろん延々と残っていました。それでも自由に壁に登れたし、街ではお土産として壁の残骸が売られていました。まだ国境はあるので、東ベルリンに行くには税関を通る必要があります。地下鉄経由で東に抜けると、ずいぶん広々として、閑散としていました。そのせいか、僕は「社会主義」と聞くと「空が広い」というイメージが沸きます。
 この日、広場では、東ドイツ初の民主選挙が行われていました。市民は楽しそうに騒いでいました。みんな初めての「自由」を、戸惑いながらも手探りで楽しんでいるようでした。


 その後、ユーゴスラビアやチェコスロバキアは分裂、東ドイツも、1990年10月3日、消滅しました。ウィーンまでの道すがら、飛行機の乗り方からチップの渡し方まで、一から教えてくれた友達も、もうこの世にはいません。10年ね。世界はどんどん変わっていきます。
 そして、僕は何が変わったのか。やっぱり自分だけは何も変わっていないのかも、なんて思ったりもします。変わらないのか、変われないのか。
 
 あれから10年。あと数ヶ月で、僕も30歳になってしまうのでした。
 ここらでもう一回、原点に返ってヨーロッパを巡るのもいいかもしれない。そこから新たな展望が開けるのか、それともぐるぐる周りの迷宮に入ってしまうのか。

 はてさて、答えはいったいいつ出るのやら(1999年脱稿)。


おまけとして、今は亡き東ドイツの紙幣をアップしておきます。

東ドイツの紙幣 東ドイツの紙幣


ついでに、同じく今は亡きユーゴスラビアの紙幣もアップしときます。

ユーゴスラビアの紙幣

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