夏目漱石が見た新橋凱旋門



新橋の凱旋門
gaisenmon1



 1905年、夏目漱石と思われる小説の主人公「余」は、所用で新橋駅に向かいました。すると、駅前広場には人がいっぱいです。目の前には巨大な凱旋門がそびえ、中央に2間ばかり(4m弱)の道が空いていて、左右には割り込むことも出来ないような大行列。



《行列の中には怪し気な絹帽(シルクハット)を阿弥陀に被(かぶ)って、耳の御蔭で目隠しの難を喰い止めているのもある。仙台平(せんだいひら=高級な袴)を窮屈そうに穿いて七子(ななこ=表面が魚卵のように粒だった絹織物)の紋付を人の着物のようにいじろじろ眺めているのもある。



 フロック・コートは承知したがズックの白い運動靴をはいて同じく白の手袋をちょっと見たまえと云わぬばかりに振り廻しているのは奇観だ。



 そうして20人に1本ずつくらいの割合で手頃な旗を押し立てている。大抵は紫に字を白く染め抜いたものだが、中には白地に黒々と達筆を振(ふる)ったのも見える。この旗さえ見たらこの群集の意味も大概分るだろうと思って一番近いのを注意して読むと木村六之助君の凱旋を祝す連雀町有志者とあった。



 ははあ歓迎だと始めて気がついて見ると、先刻さっきの異装紳士も何となく立派に見えるような気がする》(『趣味の遺伝』)



 凱旋の兵士が到着すると、ホーム上で「万歳!」という声が響き渡りました。漱石は、これまで一度も「万歳」を叫んだことがありません。《小石で気管を塞(ふさ)がれたようでどうしても万歳が咽喉笛(のどぶえ)へこびりついたぎり動かない。どんなに奮発しても出てくれない》からです。



 しかし、今日は叫んでみようと思いつつ、タイミングを失してしまいます。すると、《胸の中に名状しがたい波動が込み上げて来て、両眼から二雫(ふたしずく)ばかり涙が落ちた》という不思議な話です。



新橋の凱旋門
gaisenmon2