日比谷の凱旋門(日清戦争)



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 日清戦争の勝利で、日比谷に巨大な凱旋門が建造されました。


 長さは1町以上なので、およそ110m。中央に100尺(30m以上)の塔があり、前後に貫通門のアーチがついています。基礎は木造で、全体を杉の葉で覆っています。



 東京日日新聞(1895年5月21日)より、その凱旋門の記事を省略引用しておきます。



《東京市有志奉迎会の依托により、清水組の技師田島格造、岡本金太郎の両学士が考案になりたる設計にして、長さ一町に余り、央に高100尺以上の高塔を設け、前後に貫通門幅27尺のアーチを備え、高さ40尺、幅33尺の廻廊をもって連続す。



 けだし設計者は欧米にも前例なき斬新なるTriumph Archadeの仮設工事をなす考案なりという。



 また工学博士・辰野金吾氏は凱旋門建築につき、大学において種々研究中なるをもって、奉迎会の依托を受け、設計上につき相談にあずかることを承諾せられしという。



 前後貫通門の上正面には、草花をもって「聖駕奉迎」の4大字を造出せし大額面を製し、その上には大国旗を交叉し、その左右に菊花の御紋章を造り、門の両側は左に「東京市商人」、右に「有志奉迎会」とこれまた草花をもって書き出し、高塔及び前後貫通門の天井は、いずれも草花をもって八角に組み合わす計画なり》



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 樋口一葉も、凱旋門を取り壊す当日、慌てて見学に行きました。しかし、たまたま天皇の還御の行列に当たり、ようやくたどり着いところ、



《やがて凱旋門ちかく成れば、もはや取崩しに取かかれりとおぼしく、取りおろしたる杉の葉などここかしこに山とつまれぬ》(日記『水の上』1895年6月1日)



 という状況で、ほとんど木材しか見られませんでした。