浅草の凱旋門



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 洋画家・版画家の木村荘八は、日露戦争で日本が勝利した後、東京中に凱旋門が建てられたと書いています。



《東京市中の凱旋門は、馬場先門を随一に、南は品川から京橋・日本橋・上野・浅草と要所要所に設(しつ)らえられてナカナカ立派なものだった》(『現代漫画大観3 漫画明治大正史』)



 そこに描かれた凱旋門は浅草雷門前の凱旋門です。



木村荘八のイラスト
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 もともと浅草では、雷門跡に高さ7間、間口5間の凱旋門を建てる計画をたてていました。土台には6尺四方の精巧な人造石を使い、屋根はかまぼこ形。これにトタン製の額をかけて菊と電灯で装飾する予定でした。予算は1350円で、建造は南元町の吾妻商会、ペンキ装飾は蔵前の共栄社が請け負うことが決まっていました。



 しかし、凱旋に間にあわないので、やむなく同じ型式の大緑門を建てています。高さ8間、幅6間の木造漆喰仕上げ。上部には錨と大砲の装飾が置かれ、「祝凱旋」と書いた扁額が掲げられました。



 正面に「丹心斉報国」、裏に「青史永流芳」と書かれています。



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