韓国の「日本家屋」ストリート
九龍浦に行ってみた

九龍浦
九龍浦の日本家屋


 韓国の東端にある「浦項」(ポハン)市の中心からバスで30分ほど行くと、九龍浦(クリョンポ)という町があります。10匹の龍が天に昇ろうとしたとき、1匹だけ海中に落ちたという伝説から名付けられました。ここは韓国有数の漁業の町で、ズワイガニで有名です。

 この町は、今から100年ほど前、瀬戸内海の漁師たちが移住して作った町です。1911年頃から日本人の大量移住が始まり、最盛期の1932年には、287世帯1161人の日本人が住んでいました。

九龍浦
九龍浦の中心部の地図


 敗戦でこの町から日本人がいなくなると、残された日本家屋に韓国人が住み始めます。その日本家屋はいまでも多く残っていて、とくに最近になって保護・補修が進み、観光地化が図られています。

 九龍浦は、最近までほとんど日本人には知られていませんでした。しかし、おそらく韓国で最も日本人の息吹が残された町なのです。そんなわけで、本サイトの管理人も見に行ってみたよ。すると、窓枠に富士山が彫られた凝りまくり日本家屋などがあって、ちょっとびっくりしたのでした。

九龍浦
窓枠に彫られた富士山


 それにしても、いったいどうしてこの地に日本人が住み始めたのか。
 実は、明治になって、瀬戸内海など日本近海では乱獲がたたり、漁獲量が激減、過当競争で漁民の生活は悲惨な状態でした。そこで、香川県や岡山県の漁師たちが対馬経由で韓国に移住したのです。

 もともと明治維新以降、日韓間には国交がなく、密漁などが横行、両国間でトラブルが多発していました。1876年の日朝修好条規、1883年の日朝通商章程でも漁業権の設定がなく、1890年の通漁規則が公布されて初めて漁業問題が解決しました。

 漁業権の獲得は現地に住むことが条件だったため、瀬戸内の漁師たちは本格的に移住を開始します。
 当初、九龍浦は韓国人もほとんど住まない寒村でした。しかし、寒流と暖流がぶつかるこの地は「海の半分が水で、半分が魚」と言われるくらい漁獲がありました。

九龍浦
漁業組合の共同販売所に山と積まれた海産物


 最盛期、この町には日本人の船が990隻、韓国人の船が100隻あり、常に1000隻以上の船が港に停泊していました。サバやニシンのシーズンには、2000隻もの船が湾を行き来したと言われます。

 町は大いに潤い、百貨店も医者も学校も銭湯もパン屋もすべて揃っていました。日本人の芸者は100人、韓国のキーセンが50人、合わせて150人の芸妓がいました。お金があふれ、「犬も札束をくわえて町を歩いた」というエピソードが残されています。

九龍浦 九龍浦
日本家屋ストリート。中央のピンクの家は、昔は右写真のような感じ。昔も今も床屋


九龍浦 九龍浦
 かつて「一心亭」という名前だった料亭は、今、喫茶店に


九龍浦 九龍浦
かつての「はりまや食堂」は現在家ごと売り出し中(79平米)


 町で有名な日本人と言えば、十河弥三郎(とがわやさぶろう、岡山出身)と橋本善吉(香川出身)の2人います。十河彌三郎は防波堤や道路を作るなど九龍浦の発展に尽くした人物で、橋本善吉は漁業組合長をしていました。
 現在、橋本の家は修復され、「近代歴史館」として内部が無料公開されています。内部を見ると、巨大な床柱がそそり立ち、欄干や欄間の細工も見事な豪邸でした。瀬戸内の貧乏な漁師が、ここでは「お大尽」暮らしができたのです。

九龍浦 九龍浦
橋本善吉の邸宅

九龍浦 九龍浦
トイレと扇風機・糸車

九龍浦
ガラスの浮き彫りも見事
 

 町には漁業の守り神「恵比寿神社」、航海の安全を祈る「金比羅神社」、産業の神を祀る「稲荷神社」などがあり、中心の高台に九龍浦神社があります。この寒村に日本人がやってきたとき、最初におこなったのはこの九龍浦神社を作ることでした。
 その後、橋本善吉が中心となって、十河彌三郎の偉業をたたえた記念碑が境内に立てられました。記念碑は木がそのまま化石になった珪化木で作られました。

九龍浦 九龍浦
九龍浦神社入口と、そこから見た風景。中央の防波堤は日本時代のもの


 敗戦で日本人がいなくなると、韓国人は記念碑の文字をセメントで塗りつぶします。在郷軍人会が立てた境内の忠魂塔は倒され、朝鮮戦争で死んだ韓国兵の忠魂塔に建て替えられます。
 九龍浦神社は、長い階段の両側に寄進者たちの名前が刻まれた石柱が並んでいました。韓国人たちはこの石碑もすべてセメントで塗りつぶし、裏返して韓国人の名前を彫って、階段に並べました。
 日本人の「残り香」は、すべて消し去ろうという行為でした。

九龍浦
セメントで文字を埋められた記念碑


 ところが、最近になって面白い発見がありました。石柱の中に1つだけ名前を塗りつぶし忘れたものが見つかったのです。
 今回、九龍浦に関するほとんどすべての情報を教えてくれた「近代歴史館」の権赫昌さんが、その石柱まで案内してくれました。そこには偶然にも「十河彌三郎」の名前が残っていました。
 
九龍浦
唯一残されていた「十河彌三郎」の名前


制作:2013年7月15日


<おまけ>
 九龍浦はズワイガニで韓国最大の漁獲量を誇ります。町には海産物を食べさせるレストランが並んでいるんで、俺もズワイガニを食べてみました。丸ごと1匹に蟹鍋、蟹ご飯など完全セットで約5000円強。会計時にはちょっと高いなぁと思いましたが、まぁ美味しかったんでいいか、という感じです。
九龍浦

広告
© 探検コム メール