「経験値」至上主義者の未来
三文小説


 かつて、あるところに、人生でもっとも大事なことは「経験」だと信じている、一人の勇者がいた。勇者は、「俺はすでにありとあらゆることを経験した。もっと新しいことはないのか」と豪語していた。勇者は、いま以上に経験値を高めたくて仕方がなかったのだ。

 それを伝え聞いた神——人間に経験を積ませることを業とする経験神が、ある雪の日、勇者のもとにやってきた。

「お前はありとあらゆることを経験したそうだな」
「たしかに。もう、この世に俺の知らないことなんて、ほとんどない、と思っている」

「雪を滑ったことはあるか」
「もちろん、スキーもスノボーもやったことはある」

「では、滑る雪はあるか?」
「滑る雪とはなんだ? 雪崩のことか。だったら、何度も近くで見ている」

「ならば、氷を滑ったことは?」
「スケートくらい、当たり前だろう」

「では、滑る氷はどうだ?」
「それは、いったいなんだ?」
「では、経験させてやろう」

 神が手を振ると、雪は突然凍結し、勇者は足を取られて転倒、あっさりと足首を骨折してしまった。勇者は、当初、嘆き悲しんだが、入院中に落ち着いてくると、これで経験値が5000増えたと前向きになった。

 だが、骨折は長引き、勇者は会社をリストラされてしまった。神は勇者に言った。
「お前はリストラも初体験だろう」
「それはそうだが、、」  

 勇者は最初、嘆き悲しんだが、これで経験値が10000上がったと前向きになった。

 だが、勇者は再就職という経験はできず、貯金が尽きたところで一家離散となった。神は言った。

「一家離散も初めてだろう」
「確かに、そうだが、、」

 勇者の経験値は15000上がったが、一人になった勇者は、収入もなく、生活保護になった。神は言った。

「生活保護も初めてだろう」
「もちろんそうだが、俺が経験したかったのは、こんなことではない、、」
「しかし、お前の経験値は20000も上がったぞ」

 勇者は、ようやく気づきはじめていた。この神はネガティブなことだけを経験させる神だったのだ。だが、すでに時は遅しである。

 勇者はうつ病になり(経験値+25000)、ガンになり(経験値+30000)、まもなく人生の幕を閉じる寸前となった。

 神が言った。

「お前はもうすぐ死ぬ。しかし、お前が積んだ経験値は、過去のどんな人間よりはるかに高い。最後は特別なお祝いをやろう」

「お祝いとはなんだ?」と、勇者は息も絶え絶えに聞いた。

「お前はこれから、『死』という人生最大の経験をする。経験値勇者のお前に敬意を払い、死に方を選ばせてやろう。

 自ら死ぬか、誰かに殺されるか、不慮の死か、寿命を迎えるか——自殺、他殺、事故死、老衰のなかから、選べ。必ずかなえてやる。

 もちろん、変わった死に方ほど経験値は高くなるぞ」

 この期に及び、経験値勇者は、ありとあらゆる経験を積みたいという若き日の気持ちを思い出した。

「俺はもう早く死にたいが、最後は、その4つすべてを経験したい」

 神は慌てた。

「いや、4つ同時は無理だろ」
「最後くらい、フルコースでいきたい。必ずかなえてやると言ったではないか」
「いや、さすがに4つ同時は無理だろ」
「神なのに嘘をつくのか?」
「嘘はつかないが、困ったな」

 いくら説得しても勇者の気持ちは変わらなかった。困り果てた神は、こうつぶやいて、空に消えた。

「死という至高の経験を積むには、お前のような若輩者では、まだ早い。もっと経験を積んだとき、4つ同時に味わうがよい」

 こうして、勇者はいつまでも死ぬことはなく、いまもどこかで生きているのだという。(2018年脱稿)

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