探検コム/刑罰と私刑の世界

私刑類纂 (一)生命刑


 イノチは動物の最大要件として、天これに生存欲を賦せり(=与えた)。
 ゆえに人を殺せし者は、殺すべしといえるが原始的懲罰の定則なりしに、悪意なき過失殺傷をも、反坐の刑(=自分を陥れようとした者に罪を与える)に処するは苛酷なりとの議論出でて、それ宥恕(=許す)法の行わるるに至(いた)りしが、人を殺せし者、あるいは殺さんとせし者にあらずして、財産上の損失、または性欲上の不利を与えし者、そのほか些々(ささ)たる小事の罪にも、他人の生命を絶つ死刑の行われしこと多かりしなり。

 その方法には、まず簡便なる打ち殺し、絞め殺し、投げ殺し、踏み殺し、切り殺し、流し殺し、などを始(はじ)めとして、ナブリ殺しには火あぶり、石子詰、絶食殺し、生き埋め、簀巻(すまき)などあり、また毒殺、銃殺なども行わる、みなこれ生命刑なり。

 このほか、はりつけ、鋸びき、釜煎り、車裂き、串さしなどの刑は、公刑の制定ありし後、私刑として行われしことありしか否かは不詳なり。

 以上の生命刑にて註疏(詳しい説明)を要すべきものは左の2、3なるべし。

▲火焙(ひあぶ)り


 火にて焙り殺すを言う。公刑にしても久しく行われたり。ひとつに「松葉いぶし」と唱え、松葉を焚きて焼き殺すもあり。公刑には茅と薪を用いたり。
 英領フィジー島の土人は、酋長に対して危害を加えんとせし者に、この火刑を行う由。その方法は、犯人の両手を後ろに回して縛り、背に枯木の束を負わしめ、それに火を点じて走らしむるなりという。

▲石子詰(いしこづめ)


 石を籠(こ)むるの義(=意味)として「石籠詰」と書きしもあり。土中に穴を掘りてその中に入れ、大小の石を投げ入れて生き埋めにせし刑なり。
 この法は原始時代における処刑のひとつたりしも、我が国にては公刑として行われしことなきがごとし。奈良
春日野の鹿殺し犯人を興福寺にて石子詰にせしというは虚説にて、その実行は無(な)かしりなりと聞く。

▲簀巻(すまき)


 竹にて編みし簀に巻きて水中に投げ入るなり。古くは「臥漬(ふしづけ)」とも言えり。臥さしめて(=横たわ
らせて)水に漬くるとの義なるべし。
 また柴にて包み水底に沈むるゆえに「柴潰」と言うが正当なりとの説もあり。大内義隆が婢(=下女)を中津川に柴漬にせしとの記事、『義残後覚』巻一に見ゆという。博徒連が「水を呑ます」というは、この簀巻殺しのことなり。

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▲試し切り


 古くは「様切(ためしぎり)」と書けり。このためしぎりとは、新刀を手に入れし者が、その刀の切れ味の如何を試みんとし、夜間、街頭または野路に出て、無辜(罪のない)の通行人を見あたり次第に斬り殺す無惨の暴行を言うなるが、これを刑罰に代用せし異例のことも行われたり。

『古事類苑』抜載の『古老物語』にいわく、
「昔は、侍、徒士(かちざむらい)、中間(武家の召使い)をその主人主人にて成敗すること度々(たびたび)なり。すべてその科人は

 一、侍、そのほか、少しにても盗みしたる者
 一、主人に隠して供帰りの馬に乗りたる者
 一、欠落者
 一、供はずしたる者
 一、慮外(無礼)したる者、侍、中間とも主人の手討(てうち)多し。また、しばり首はねるもあり

 右は誰さだむるとなく、江戸中一同の風儀(=習慣)なり。この成敗者を、さし料の刀脇差のためしものにす。しかるに段々にかようのこと、世上に少なくなりしは、武気の衰えなり」

 これを簡単に言えば、臣下の不埓者を試し切りにすることもありたり。その試し切りの止みしは武気の衰えなりと、惨虐の殺伐根性にて嘆息せるなり。

▲箱詰め


 死体取棄に便宜なるよう、罪人を箱に詰めて殺せしこともありと聞きしが、その例とは少し異なる一事あり。虚実は知らざれども、西鶴の著『武道伝来記』に、某侯の侍女・小梅といえるが、同輩の野沢といえるを嫉(ねた)みし条に、左のごとく記せり。

「野沢が命を失わん悪事をたくみ(=たくらみ)、あるとき、菓子に斑猫(はんみょう=昆虫)の大毒を仕込みて野沢のかたへおくりけるに、この山吹餅をひとりは開かずして、女﨟(=女郎)仲間を呼び集め、茶事してこれをもてなしけるに、その夜に入りて血を吐くもあり、または胸をいたませ、あるいは腹中燃えて、憂き目を見せて、この難儀かなしく、かれこれ7人の女房たち同じ枕に命終りて、小梅一人生き残るを穿鑿(せんさく)しけるに、因果を免れず、毒薬のこと、終(つい)にあらわれ、この科の果たすところ牛裂にしても慊(あきた)らずと、松の木の箱をさして、目口のところに穴をあけて彼女を入れ、毒害にあいし女房どもの親兄弟をよびよせ、恨みを晴らすためとて、この箱の蓋より身にこたうるほどの大釘をうたせける。
 歎(なげ)く片手に悪やと打つ者もあり、かえらぬ昔(=過去はとりかえせない)と打たぬ(者)もあり。身内に空所もなくして、人の命も強し。9月10日までは確かに息のかよい、11日の暮がたに終りぬ。死骸は野に埋めて、その悪名は世にのこれり」

我が日本は言語上の私刑国


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▲馘首


 くびきりにて著名なるは、台湾の生蕃(=先住民)なれども、このくびきりの蛮習は我が国にても盛んに行われし私刑公刑なり。首を取るとか、首実検とか、首をサラスとか、首の無い人とか言う言葉は、我が戦国以後、比喩的俗語に転化するほど、首切りは普通常事視せられしなり。
 
 文化輸入の近世に至りても、マダ現実に首無し男女の死体とか、「天印(てんじるし)」とか言えることも行われ、また言語としては罷免解職のことを「首を落さる」、「首を切らる」、「首が飛んだ」などの代名詞にて通し、世界思潮の激波にて起これる資本家と労働者との闘争記事中にも、新聞記者は「馘首」といえる蛮習語を平気にて盛んに使用するなど、領台(台湾支配)以後の我が国は、世界第一のくびきり国なるべし。

 なお、このほかに「詰腹を切らせる」という俗諺あり。自殺を強要せし私刑的惨虐事の転化語なり。