新資料発見
なぜ日中戦争は拡大したのか?

内務省資料
本サイトが発掘した内務省の極秘文書


 1937年、盧溝橋事件を契機として、日中戦争が始まります。戦争は1945年の日本敗戦まで8年間という長期間にわたりました。
 当初、近衛文麿内閣は「不拡大方針」を掲げていたのですが、なしくずし的に全面戦争に突入してしまいました。それは一体どうしてなのか?

 2006年8月13日に放送されたNHKスペシャル『日中戦争〜なぜ戦争は拡大したのか〜』によれば、軍部が蒋介石政権を過小評価したことが原因とされています。現地司令官が満州事変の経験から中国の力を過小評価し、独断で首都南京攻略へ進軍してしまった。そして、日本政府もこれを追認してしまった……というのです。
 では、どうして政府は軍の暴走を追認してしまったのか? これは番組でも説明がありませんでした。この点は、実は昭和史の結構な謎でもあるのです。
 
 今回、本サイトではその背景を理解する上できわめて貴重な資料を入手しました。日中戦争が始まった直後の1937年9月、当時の内務省が主な財界人や主要工場に戦争の影響を聞き取り調査した極秘文書『支那事変の経済界に及ぼしたる影響』です。
 この資料の発見により、当時の財界が実は戦争による景気拡大を願っていたことが判明。要は、政府がやむなく軍の暴走を追認したのではなく、かなり積極的に追認したのではないかと推測されるのです。

内務省資料
『支那事変の経済界に及ぼしたる影響』

 内務省の内部文書は、終戦後、大半が処分されたため、現存している物はきわめて数が少ないのですが、この文書は281ページにわたる詳細なもの。実は超 レアなこの資料の一部を初公開しておきます。

内務省資料
この資料発見のニュースは、8月19日に共同通信から配信されました。
(写真は東京新聞2006年8月20日)



 文書は二部に分かれていて、前半は東横電鉄(現東急電鉄)の五島慶太社長ら財界の101人への、「国債」「物価」「輸出入」など6項目のインタビューが掲載されています。後半は、従業員50人以上の702工場・事業所に「軍需産業への転換の可能性」「原料品の騰落」など9項目について聞いています。

 まず前半部の内容を見ていくと、ここでは元日銀総裁から、日清紡や浅野セメント、シチズン時計の社長、一介の材木問屋、経済誌『ダイヤモンド』社長までありとあらゆる経済人にインタビューしています。
 財界人の大半が、関係の深い中国市場が閉ざされることで輸出不振となり、軍需物資を中心に輸入超過になると見ています。だから「国産品代用原料の使用」「国民の消費節約」で輸入の減少を図る必要がある、と。
 物価については、軍需物資だけでなく一般物資も確実に騰貴すると考えていました。
 
 具体例を挙げましょう。今ではあまり知られていない財界人が多いので、五島慶太の見解を引用しておきます。

 五島は国債について次のように言います。

《今後の国債発行は極めて容易にして……然れ共、日本銀行は如何にして此の国債を処分するや……金融を極度に統制し金融業者に割当引受せしむるが如き方法をとらば、各私経済は資金難に陥り、株式は低落し、物価は騰貴し、経済界は萎縮し、再度の国債消化力を減殺すべし……》

 戦費のために国債を発行するのは簡単だが、その処分をどうするのか? 銀行などの金融業に強制的に引き受けさせると、経済力が落ちてしまう。だから、金融業に割り当てず、一般産業を振興させることで、私経済(=民間)において消化させるよう進言します。これならば、いくら公債の額が多くなっても、消化は困難ではないそうですが。
 う〜む、体のいい民間への押しつけ発言ですな。

 また、輸出については、次のように言います。

《軍需資材の輸入は絶対必要なる現状に於て輸出入の均衡を得むが為めには、他の輸出入を抑制すると同時に輸出を増加せしめざる可からず。政府は此の方針の下に貿易管理を為さむとするも、輸入の大宗たる綿花は同時に輸出商品の原料なる我が国情に於て、綿花輸入を抑制する事は到底大なる期待を持つ能はず。而も事変が長期に亘れば軍需資材の輸入は益々増大すべく結局入超は必然の傾向なりと思料せらる……》

 簡単に言えば、繊維製品くらいしか輸出産品がなかったわが国では、どうやっても輸入は増えてしまうので、輸入すべきものは輸入して、輸出の増産を図ろう、そのためには軍需工業だけでなく一般産業にも資金を回しましょう、ということですが。
 なんだか机上の空論的な感じは否めませんが、まぁ他の人も似たようなもんです。


内務省資料
702社のアンケート統計

 一方、後半の工場インタビューですが、702工場のうち、

●軍需関係の有無
  ・軍需関係を持つ 218
  ・軍需関係がない 484
  (うち、将来軍需関係に転換可能 232)

●原料の騰落
  ・上がった 457
  ・下がった 36
  ・変化なし 208

●事業の将来見込み
  ・拡大する 267
  ・減少する 103
  ・現状維持 332


 などとなっています。将来事業が増大すると答えた工場は38%にも上るわけで、けっこう戦時景気を期待する声があったことも分かります。
 もちろんこれはまとめであって、実際はものすごくデータが詳細なんですよ。

 たとえば、当時あった「帝国薬莢」という銃の薬莢(弾丸)を作る会社を見てみましょう。
 社員80人のこの会社では、当時1人だけ召集されていました。原料入手は容易ではないものの、原料価格は不変で、生産品の値段も上がってはいません。ですが、生産量も生産額もともに10%アップ。当然、将来のビジネスも拡大すると予測しています。
 
 社員2934人の日本光学(現ニコン)では108人が応召し、影響が大としています。原料費も15%増で、次第に入手困難になってはいますが、生産額50%増。

 社員1461人の読売新聞では、当時42人応召していました。原料の紙代は30%上がったものの、入手は容易。新聞の値段も上がってはいませんが、生産量も生産額もともに4%アップ。

 生産量が減ったのは、たとえば東洋紡の王子工場、鐘淵紡績(現カネボウ)の大井工場などで、いずれも10%減。繊維系は、ほとんどが将来にわたって現状維持が続くと答えています。

 戦争で大打撃を受けたのは、意外にも船舶関係。日本郵船は燃料の高騰で採算不良と答えています。そして「致命的打撃」と答えたのは、中国航路だけしか持っていなかった日清汽船で、理由は全航路が停止したため。
 
 日中戦争は、こうした各産業界の思惑を併せのみ、拡大の一途をたどっていったのでした。

制作:2006年8月28日


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