北澤楽天とは? of 北沢楽天の世界

北澤楽天とは?

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楽天自画像

 日本初のクロスワードパズルは、大正14年(1925)に誕生しました。制作したのは、日本初の職業漫画家と呼ばれる北沢楽天です。
 楽天は明治9年(1876)、大宮で生まれました。本名は保次(やすじ)。
 19歳のとき、『ボックス・オブ・キュリオス』という横浜の外人居留地にあった英字週刊誌に入社し、オーストラリア出身のフランク・ナンケベルから西洋漫画の技術を学びました。

 明治32年(1899)、福沢諭吉に才能を見いだされ、「時事新報」に引き抜かれ、多くの政治・社会風刺漫画を発表します。楽天の作品は大人気を博し、当時「ポンチ絵」「おどけ絵」と呼ばれていた漫画の評価を高めました。
 福沢の作った「時事新報」は、情報をわかりやすく伝えるためにイラストを多用しています。もともと諷刺画を担当していた今泉一瓢(いまいずみ いっぴょう)が漫画をカリカチュアの意味で使い、後任の北澤楽天がカートゥーンやコミックの意味で使い始めたことで、現在の「漫画」という言葉が誕生しました。
(江戸時代から「漫画」という言葉はありましたが、これは「戯画的な絵」という意味合いでしかありませんでした)

 その後、楽天は日本初のカラー漫画雑誌『東京パック』を発行し、さらに『楽天パック』『家庭パック』『子供之友』を次々に創刊し、漫画を広めていきました。

 楽天が日本初の職業漫画家とされた理由はいくつかあるんですが、

 ●漫画のカラー化
 ●漫画雑誌への定期的な連載
 ●漫画制作のプロダクション化
 ●キャラクターの創設(別項で解説)

 などがあげられます。

 カラー化というのは、石版による多色刷りを多用した『東京パック』の創刊(明治38年)で実現しています。
 連載は「時事新報」が発刊した日曜版「時事漫画」で実現しています。特に大正10年(1921)に日曜版が独立したことで、特集漫画という意味合いが強まりました。このとき楽天は「漫画好楽会」を結成し、才能ある若手を集めました。これが漫画プロダクションの始まりです。

 楽天の漫画は人気を集め、「時事新報」入社時50円だった給料は、昭和7年(1932)の退職時には530円になっており、経済的にも大成功しています(酒井忠康、清水勲『大正前期の漫画による)。

 なお、昭和に入ると楽天の人気は落ち始め、時事新報退社後は、事実上の引退となりました。その後、楽天はパリで学んだ絵画技法を弟子に伝えるため、「三光漫画スタジオ」をつくり、後進の育成に努めています。 
 昭和18年(1943)には漫画による戦意高揚を目指した日本漫画奉公会が設立され、楽天が会長となりました。

 昭和30年(1955)、楽天は79歳で死去し、大宮市(さいたま市)の名誉市民第1号に選ばれます。大宮には楽天の家を改築した漫画会館があるんですが、著作権消滅にもかかわらずネット上にはほとんど作品が公開されていないため、本サイトで一気に公開することにしました。