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東京科学博物館(1932年)

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国立科学博物館


 現在、上野にある「国立科学博物館」は、昭和24年(1949)、文部省設置法により誕生しました。とはいえ源流をたどれば、「東京国立博物館」と並ぶほどの歴史を誇っています。

 まずは簡単に歴史をまとめます。

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明治5年、日本初の博覧会(湯島)


 明治4年(1871)、さまざまな物品を収集していた「物産局仮役所」が文部省博物局の施設となり、湯島聖堂内に日本初の博物館を設置。翌年には湯島で日本初の博覧会が開催されました。博物館と博覧会はその後、内務省の管理下で合併し、明治8年、日比谷に「山下門内博物館」が誕生します。

 明治10年、海外から珍しい標本が到着するなどして、徐々に本格的な内容になってきた博物館は、明治14年、第2回勧業博覧会を機に上野に移転。明治15年3月20日、動物園とともに開館しました。これが後に宮内省管轄になり、明治22年に帝国博物館となりました。

 さらに明治33年(1900)、東京帝室博物館と改称されました。これが現在の東京国立博物館。

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コンドルが設計した帝室博物館の本館


 一方、博物館の権限を取られた文部省は、対抗して?明治10年、「教育博物館」を上野に開設。現在、東京芸大がある場所です。発案は田中不二麿という官僚で、女子校や幼稚園の開設に関与するなど数多くの実績を残しています。明治14年、「東京教育博物館」と改称。

 こうして上野に2つの博物館ができあがりました。

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上野の東京教育博物館


 ちなみに明治18年の調査によれば、教育博物館の所蔵品は以下の通り。

・教育諸器具 4815
・動物標本  8485
・植物標本  4297
・金石学標本 3414  ※金石学とは碑文研究のことです
・そのほか  908

 この博物館が苦難の道を歩むのはここから。

 前述の通り、明治22年には帝国博物館が誕生しますが、このとき教育関係以外の所蔵品の多くが移管させられ、同時に高等師範学校の附属となって湯島聖堂に移転させられるのです。それまで教育博物館だった建物は、居候していた東京美術学校(現・東京芸大)のものになってしまいました。

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湯島の教育博物館



 最盛期の明治12年には年間20万人以上の来館者がありましたが、中身が乏しくなってからはジリ貧で、明治33年にはわずか7万人弱しか訪れていません。

 大正3年(1914)、東京高等師範学校から独立して「東京教育博物館」となり、大正10年には「東京博物館」と改称。しかし大正12年、関東大震災で全焼、すべての収蔵品を失ってしまいます。

 大正14年、帝室博物館から動植物や鉱物の標本を譲渡され、美術と歴史を主とする帝室博物館、天産(自然史)や技術を主とする東京博物館と、両者の違いが鮮明になりました。

 そして昭和6年(1931)11月2日、「東京科学博物館」と改称し、上野に再度オープンするのです。

 そんなわけで、昭和7年の博物館案内を元に、上野にオープンしたばかりの「東京科学博物館」の全貌を再現します。