潮干狩りにて、もっともしてはならぬこと、それは「屁」なり。
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今茲(こんじ=今年)晩春、某の日、余(わ)れ、偶々(たまたま)事なく、机によりて詩を哦(が)す。忽(たちま)ち柴門を扣(たた)く者あり。出て之を迎ふれば即ち友人某、数輩なり。其の来意を問ば曰く、品海に於て拾貝の遊を為さんとするなりと。
乃(すなわ)ち伴なひ行ば、恰(あたか)も好し。潮、既に退いて海面一滴の水なく、恰(あたか)も是れ平地の如し。
乃(すなわ)ち各自に竹籠を提(たずさ)へ、海沙を踏みて行くこと凡(およ)そ300餘歩にして、蛤の属(たぐひ)、沙上に散乱し、恰(あた)かも、是れ落花の地上に舗(しく)が如く、左に拾ひ、右に取り、彼につまどり、此に探り、忽ちにして籠に盈(み)てり。
乃(すなわ)ち憩一憩(=休憩)して、亦(また)、歩すること100餘歩にして、潮あり脛(すね)に及ぶ。其の清きこと氷の如く、以て水底を見るべし。小魚あり、藻中に潜伏す。乃(すなわ)ち、小槊(=小さなヤリ)を以て之を刺すに、一として得ざるはなし。或は手を以て之を捕ふるも、亦、獲ざるはなし。其の楽み、亦、比すべき者なし。
況(いわん)や此の日の晴色(=晴天)湛然(たんぜん)として、一點(いってん)の雲なく、片陣の風なく、暖和の氣(き)人を薫じて、身の海中に在るを忘れしむるをや。
乃(すなわ)ち岸に登り、酒を呼び、獲る所の魚貝を肴とし、頽然として酔に就き、聊(いさ)さか手足の労を醫(い)し、薄暮、家に帰り、燈下に於て之か記を作り、以て同行者に示すと云示(うんじ)す。