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22

 文報へ行くと、会計の女の人が月給袋を持って来た。
 892ヵ月分。月給というのを貰うのは何年ぶりだろう。なかの紙にこうある。

 支給額 702.00
 俸給  720.00 戦時手当 62.00 家族手当 20.00
 分類所得税 100.36 共済会 12.40(厚生年金、健康保険、報国貯金——ナシ)
 差引支給額 589.24(註=これでは計算があわぬのだが、俸給は620円の誤記かと思われる)
 これに課長手当40円。

 常務理事会に出席。といっても理事側は高島理事長だけ。それに理事の戸川貞雄が臨時に参加。事務局側から中村局長、塩田総務部長、今実践部長、高見調査部長。文報の存続が議題。事務局側は解散説。戸川氏いう。文報は大東亜戦争完遂のために生れたものだからその目的がここに霧消した以上解散するのは賛成。高島氏はこの前会ったときは存続説であったが、事務局側の責を感じて解消したいという意志を諒とした。

 言論報国会も昨日解散を宜したという。この会は戦争協力というより挑発の色の濃いものだった。文学者の大同団結たる文報とはやや趣を異にする。解散は当然である。

 酒井君が帰ってきた。情報局では、新しい文化政策が決定するまで、関係文化団体は、しばらくそのままでいるようにという方針だったという。解散は認めない、許さないという。
「情報局の許可なくしては解散できないという定款になっているのです」
 と中村さんは言った。蘇峰氏から会長辞任の届けが来ているがこれも認めないというわけだ。なんたることだ。

 文報のこの奴隷のような性格を私ははじめて知った。死ぬことも許されないというのでは奴隷以下だ。わずかばかりの目腐れ金を寄越して、そうしてこの束縛は何事か。ここに至ってなお、芸術家を意のままに使いまくろうというのか。ある情報官は「今後は、たとえばアメリカの御機嫌をとって貰うような作品を書いていただくかもしれません」と、はっきり言ったという。ああなんということだろう。

 芸術家がなめられるようになったについては、芸術家側の罪もあるのだ。役人の傲慢無礼をのみとがめることはできない。しかし今日に至ってもなお芸術家を意のままに頤使(いし)できると考えている役人の不遜も恐るべきものだ。日本の芸術は滅びてしまう。

 再交渉ということになった。そしてどうしても解散を認めないとなったら、役員及び事務局員総辞職ということにしようと話はきまった。

823

 12時から文庫で島木君の告別式が行われる。9時頃準備に来てほしいという川端さんの話だったが、疲れて動けないので妻に代りに行って貰った。

 暴風(註=昨22日の夜は暴風であった)のあとのせいか、告別式の参列者は思ったより少かった。式後、二楽荘で同人の追悼会食を催した。ビール2ダースが持ち込まれた。三浦さんの世話である。ご馳走は島木家と川端家の供出。缶詰と野菜だ。

 会後、店を手伝った。川端さんが「横須賀の海軍さんに知り合いありませんか」という。輪転機があってつてさえあれば、それが貰えるらしいという話。「残念ながらありませんな」新田や来合わせた人々にも聞いてみたが「久米さんが直接、経理部長にでも会われたらどうだろう。久米さんなら会うだろう」と新田などがいうので、そのことを川端さんに話した。結局、明朝久米さん川端さん中山君の3人に当って貰うことになった。

 歩いて帰った。停電で真っくらだ。先に帰ったはずの新田があとから帰って来て、電車に乗ろうと思って2時間待ったが結局来たのは混んでいて駄目で、歩いて帰ったという。駅で海軍の下士官が酔払って刀を抜いて暴れていたという。
「もうすぐ連合軍は上陸してくるというのに、大丈夫かね」
「心配だね」

 上陸といえば、会食の席上でこんな話を聞いた。鎌倉のある町内会長は、5歳以下の子供をどこかへかくせ、敵が上陸してくると軍用犬の餌にするから……そう言いふれて歩いたとのこと。なんというバカバカしい、いや情けない話であろう。

824

 雨の晴れ間をみて、店へ出ようと駅へ行ったら乗車券を売ってない。歩き出したら雨が降って来た。浄智寺の下の家の軒に林柾木君が雨宿りをしていた。関口氏を訪れるところだという。
 小袋坂で、勤労動員から解放されたらしい若い娘たちがいずれも新しいバケツをさげているのに会った。「重いわね」と口々に言ってバケツを運びづらそうにしているが、喜色満面であった。バケツのなかには何か入っているのか、缶詰でも入っているのか。工場からの「分捕品」であろう。

825

 平野少尉来る。今月いっぱいで復員とのこと。
 午後、当番で店へ。途中、小袋坂のところで監視飛行の敵機が低空で頭上を通りすぎた。口惜しさが胸にこみあげた。わが日本の空に、わが日本の飛行機はもう飛んではいないのである。もう見られないのである。
 店は、混んだ。人心が「安定」したのか。
 夜、久米家で相談会。スキ焼の会食。——久しぶりのスキ焼、栄養がほんとうに骨身にしみ込んでゆく感じだった。
 私はほんとうに食いしんぼうだ。ご馳走が好きなのだ。

「食事がうるさくて、困る……
 と妻がいう。新田などはあまりかまわない方らしい。
「職人は、ロはぜいたくするんだ」
 と私はいう。もののない当節、妻はおかずを作るのに困っている。わがままだと思うが、うまいものを食わないと事実弱る気がする。無理がきかない。そこへ無理をするので弱る。この日記だけでも、毎日、相当の無理をしている。
——やせたね」
 と、この間、島木君の葬式のとき里見さんにいわれた。沢開君(註=毎日新聞、沢開進)にも言われた。
 頬をなでてみる。なるほどやせた。

 戦前、もののあった頃、口はぜいたくした。そうして無理した。早くスキ焼、ビフテキ、蒲焼といったものを自由に食いたい。そうして思う存分身体を酷使して、頑張りたい。

 牛肉を1貫目わけて貫った。400円。——10040円。(ついこの間まで25円だった)

「徹ちゃんはあなたを恐がっている」
 と妻はいう。
「あなたは年取ったら偏窟な恐い老人になることでしょう」
 という。私も認める。
 私は普通の人との普通の世間話というものができない。辛抱できない。その我慢のなさがだんだんひどくなる。

826

癇が立つ
 心が渇えている
照ったり降ったり
 天も不機嫌だ
人間が恐ろしく嫌いだ
 人間を愛し過ぎる
敵がなくなって
 新しい敵が生じた
 永久の敵 なくならない敵
 女
 女にとっては男
彼は酒が好きなのではない
 酒好きと思うことが好きなのである
私は子供が好きなのではない
 子供が好きという感情が好きなのである
人間とつきあえない
 昆虫などと仲よしだ
妻をなぐった
 妻をののしった
 ——恥かしい
 自分以外の人間は所詮気に入らないんだね
 人間が気に入らないんだね
他人(ひと)の振り見て我が振り直せ
 己が振り見て他人の振り直す
自分とも妥協できぬ
 自分すら我慢できない
言訳——「ほんとうに悪い夫は決して妻に怒らない」
夫「自分の一部になっているのさ。だから、つい——
 妻「あなたのどこになってるのでしょう」
気のきいたことが書きたくなる
 自分に対する虚栄心
ある女
 可愛げがないだけで、いやな女
可愛げがありすぎて、何かが足りない
精神という言葉を知っている
 精神というものを知らない
要するに
 腹が立って仕方がない

 朝からスキ焼だ。平野少尉の送別会だ。
 朝からスキ焼か——などという貧しいさもしい心。ああ日本人はかわいそうだ。かわいそうでなくなるかと思ったらもっとかわいそうなところへ真っさかさまに転落だ。「来てみろ地獄へさか落し」なんてバカな恥かしい流行歌を作っていた日本だから自分が地獄へさか落しだ。それが天国から地獄へ落ちるのならいい。はじめから地獄にいたんだ。いくらか浮びあがろうとしたらまた地獄へ墜落だ。バカな話だが哀れも深い。

 丸山定夫が原子爆弾で死んだ。口惜しい。私は彼と、もし私が戯曲を書いたらその最初の戯曲は是非彼に演って貰おうと固く約束したのだった。芝居を書け書けと彼は言った。私は「40になったら書く」と言った。来年である。私も来年は書こうと思った。が、書いたら渡そうと思った丸山定夫は死んでしまった。残念だ。なさけない。口惜しい。——彼の冥福を祈って私も戯曲を書かねばならぬ。

827

 下痢。餓鬼の下痢。
 てきめんというところ。
 新聞に言論報国会の解散広告が出ている。この頃は毎日各種団体の解散広告が出ている。海軍有終会なども解散した。

828

 電車に乗るとひどい混みようだった。復員の水兵が大きな荷物を持ち込んでいる。これが癇にさわる。普通乗車券の発売停止の間になぜ乗らないのだ。一般乗客を禁止して復員のための電車を特別に用意している間になぜ乗らないのだ。そんなことが腹が立つ。それにその大きな荷物はなんだ。まるでかっぱらいだ。毛布を何枚も持っているのがある。兵舎にあるものを何んでも持ち出している。乾パンと缶詰の山。なぜ戦災者にわけないのだ。飢えている壕生活者に与えないのだ。軍隊のこの個人主義。癇が立つ。水兵が汚いのも、癇にさわる。まるで敗残兵だ。連合国の兵隊はもう上っている。この汚い日本の兵隊を見たらどう思うだろう。口惜しい。癇が立つ。頭上を低空で占領軍の飛行機が飛び廻っている。癇が立つ。ポカンとロをあけて見上げているのがいる。バカ! なんでもかんでもシャクにさわった。神経がささくれている。

 新橋駅には憲兵が警備していた。憲兵検問所というのが新設された。そう言えば北鎌倉駅には保安隊と書いた腕章をつけた海軍兵がいた。銃を持ってない。わびしい姿だった。保安隊の下にN・Pとある。英語の氾濫の前触れだ。

 新田との約束で4時に銀座のビアホールヘ行った。アメリカの飛行機が頭上に跳梁している。ビアホールの角に新田がいて「トラックが来ないので今日は駄目らしい」という。あきらめ切れない連中が横の入口に群がっている。「では、浅草へ行ってみよう」と私は言った。

 急いで金龍館へ行った。地下室への入口は開いているが、人の出入がなく、別に行列もないので、ここもまたやってないのかと思ったら、新田が人にたずねて「やっている」という。地下室へ入ってみたら、なるほど、やっている。100人あまりの人が飲んでいる。朝比奈さん(註=浅草の飲食店団体の幹事)の顔を探した。いない。外へ出て腕を組んだ。遮二無二飲みたくなった。

 もう一度地下室へ行って、会計の人にでも聞いてみようと思ったが、ひどく忙しいので遠慮していると、「——やあ」と声をかけられた。朝比奈さんである。うれしかった。券を5枚貰った。はじめの1杯はまるで覚えがない。2杯目で「うまい」とつぶやくのだった。朝比奈さんに誘われて裏の事務室へ行った。話を聞いた。6区が戦前同様の賑わいであること。警視庁から占領軍相手のキャバレーを準備するようにと命令が出たこと。「淫売集めもしなくてはならないのです、いやどうも」「集まらなくて大変でしょう」「それがどうもなかなか希望者が多いのです」「ヘー
え」

 新聞記事から。
 徳富蘇峰が毎日の社賓をやめた。その社告が出ている。氏は戦争犯罪人に擬せられているという噂がある。気の毒だ。不当だ。悪者はほかにもっと沢山いる。

 前田文部大臣の少国民に対する放送中にこういう言葉がある。「同時に自分の国ばかりが特別に偉くて、他の国はみんな駄目だと言ったような誤った自慢はいけません」こうした当り前の言葉が要路の人から発せられるのが、思えばおそかった! もとは、こんなことを言ったら非国民扱いされた。売国奴呼ばわりさえ受けたものだ。所詮その愚かしい慢心が敗戦をもたらしたのだ。

829

 言論出版集会結社等がだんだん自由になってくるようだ。心が明るくなる。思えば中世だった。暗黒政治だった。恐怖政治だった。——しかし真の自由はやはり与えられないだろう。日本がもっともっと「大人」にならなくては……

 舟橋聖一君に会った。彼の話では、彼の知人の娘がスカートをはいて外を歩いていて、憲兵か巡査につかまり、2時間あまり叱られたという。
「スカートはどうしていけないのかね」
「もんぺをはけというのだ」
「バカバカしい」
 ——外人への体面があるから、きれいな身なりをしろとむしろいうべきではないか。そういうふれを出すべきではないか。国辱的な浅間しい汚い身なりをしろというのはどういう料簡か。

 新田との約束で銀座のビアホールヘ行った。しきりと飲みたい。
 酔客が日本の悪口をしきりに言っていた。
 日本罵倒が早くも軽薄な風潮となりつつある。独尊と紙一重なのであろう。川端さんがこの間言った。「僕等はやがて右翼ということになるかもしれませんね。僕等はちっとも動かないが、周囲がどんどん動いて行って……

 東京新聞にこんな広告(註=特殊慰安施設協会の名で「職員事務員募集」の広告)が出ている。占領軍相手の「特殊慰安施設」なのだろう。今君の話では、接客婦1000名を募ったところ4000名の応募者があって係員を「憤慨」させたという。今に路上で「ヘイ」とか「コム・オン」とかいう日本男女が出てくるだろう。

830

 新聞を読む。この頃は毎朝正しく配達されるようになった。首相宮の記者団との会見で仰せられた言葉は、われわれの今まで言わんと欲して言い得ざりしところをズバズバと言ってのけておられて胸のすく思いであった。気持がまことに明るい。嗚呼かかる政治が、今日の敗戦の前になぜ与えられなかったのだろう。敗戦という悲しい代償をもってせねばかかる明るさが与えられなかったとは。

 情報局へ行った。鯨国君に、原子爆弾の話どうだった? と聞くと、あまり乗気のしない返事で、どうぞご自由にと言った挨拶だったという。原子爆弾の話というのは、この間久米さんの家で会食があった時、川端さんが、
「広島や長崎へ、作家が行ってその惨害をくわしく調べて後々のために書いておく、こういうことは必要だとおもうんだが……
 そう言って、みんな賛成した。作家の調査記録、これはたしかに必要だ。しかし今のような状態では作家個人で行くのでは大変だから当局の便宜を与えて貰うよう、文報から情報局に話してみることにしましょう、そう私は言った。

 文報で今君に話してみた。
「俺は、すんだあとのしらべをしたりするなんてことは、あまり好きじゃないたちなんだ。何かやるという方は好きだが……
 しかし反対なのではなかった。局長、総務部長は賛成だった。派遣の人選、——長崎はそこ出身の福田清人、『九州文学』の人たち、広島は現在岡山に疎開している阿部知二、発案者の川端氏、「決死的に行ってもいい」と会食の夜言った中山君等々。
「広島には大田洋子さんが疎開していたはずだが、死んだな、きっと」
 ——その大田洋子さんが、今日の朝日に書いているという。助かったのだ。
 
 久米さんが、
「白木屋ヘー緒に行かないか」
 という。川端さんが先に行って待っている由。今君も誘った。
 白木屋に鎌倉文庫東京支店を設ける話が決定したという。白木屋の2階を借りている日産の斡旋である。むしろ慫慂(しょうよう)である。
 三浦君(註=日産社員)に焼酎をすすめられ事務室で飲み出した。日産のイワシ缶詰を開いて、不思議な風景である。社員も加わった。
「日産はどうなるか——
 社員たちもどうなるかわからない。焼酎を傾けるのみだ。私たちには鎌倉で会が待っていたので早く帰らねばというのだが、社員たちは「まあまあ」と離さない。

 鎌倉の会というのは、久米さんに会ってはじめて知らされたのだ。とある製紙会社から鎌倉文庫と提携して出版会社を始めたいという申し込みがあったというのだ。鎌倉文庫の店の様子をみて、その提携を思い立ったとかで、いきなり、誰の紹介もなしに先方の荒川常務というのが久米さんの所へその申し出に来た由。それについての相読会である。その会に焼酎をわけて貰った。

 議論沸騰。提携を決意する以上は、従来の出版を革新するつもりでやらねばならぬ。里見さんはいう。われわれが従来のような出版屋になって従来のように文士を搾取するのであっては、なんにもならぬ、それではやらぬ方がいい、革新の覚悟ではじめなくちゃならない、ところがだね、そういう革新というのは、他の方を例にとると、角力の天龍、芝居の春秋座、みんな成功したことはない、資本家に反抗して正しい道を開こうとしてやっても、みんな失敗している、われわれの仕事もむずかしい、むずかしいが、やり出す以上はむずかしい仕事をやろう云々。