捕鯨の始まり

捕鯨船で解体されるクジラ
捕鯨船で解体されるクジラ(1952年頃)


 日本書紀によれば、神武天皇は、兵士たちにご馳走を振る舞ったとき、次のような戦勝歌を詠みました。

「鴫(しぎ)のためのワナを張ったら、思いがけず鯨がかかった。前妻が欲しがったら、ちょっとだけ切ってやれ。後妻が欲しがったら、たっぷりと切ってやれ」

 日本書紀の原文では鯨を「区施羅」、古事記では「久治良」と書いてあるんですが、まさに日本人は昔から鯨を食べてきたわけですな。
 
 日本の捕鯨がいつ始まったのかは諸説あるんですが、記録に残ってるのは、1570年頃の鉾を使った三河での捕鯨が最初のようです。
 その後、丹後、但馬で行われ、慶長11年(1606)、紀州の太地町(たいじちょう)で和田金右衛門が大々的な捕鯨を始めました。慶安4年(1651)に土佐で、享保10年(1725)に肥前で捕鯨が始まり、日本全国に広まったそうです(『大日本産業事蹟』が『鯨記』の引用として紹介)。

 では、日本の捕鯨はどのように行われていたのか?

 教科書で有名なシーボルトは、1826年の旅行を『江戸参府紀行』にまとめ、ここで捕鯨のやり方を次のように書いています。

《日本では普通25の小舟と8隻の割合大きい船が船団を作って捕鯨にでかける。小さい船は9〜11mの長さの空舟で、8つの艪をもち、11ないし13人が乗り組んでいる。彼らは鯨が見つかると、この小さい舟にのって鯨に向かって漕ぎ進みモリを投げる。
 大きいほうの船は、傷ついた鯨を取囲んだり、あるいはその退路を断つ大きい鯨アミを運搬したりする役を受けもつ。こういう網は稲藁か、またまれにはシュロの繊維で編んだもので、10丈(38.18m)の深さで、300mの長さがあるので、これだけで船の積荷となる。
 捕った鯨や殺された鯨をその網でつつみ、普通は漁村の海岸まで引っぱってゆき、陸揚げ場のうちとくにそういう設備のある場所で切り開く。肉や脂身やその他食用になるところは魚屋が買い集め、新鮮な状態で日本じゅうのすべての港へ送り出す》(要約引用)

捕鯨
銛(モリ)がクジラに命中!

捕鯨のクジラの搬送
クジラに空気を入れて搬送(船尾の白いものが鯨)


 ちょっと引用が長くなりますが、鯨の食べ方については次のように書いています。

《いちばん需要の多いのはセミクジラとコクジラの肉である。歯切れのよくない牡の種牛か水牛の肉のような味で、生のまま食べたり塩漬けして食べたりするが、塩漬けのほうがおいしい。塩漬けにし薄い小片に切って食べる脂身は日本人の好物で、塩漬けしたオリーブのような味がする。内臓、鰭(ひれ)および髭(ひげ)も食用となる。
 髭はきれいにおろしてサラダにする。脂身の屑や砕いた骨から鯨油を精製するが、人々はその油を菜種油よりよいとして好んで用いる。焼いて油をとった残りの部分もなお貧乏な人々の食用となり、粉は肥料として用いる》


 鯨の種類なんて知らないと思うので、日本人が捕鯨してきた鯨の一覧を公開しときます(1952年の『体系商品辞典』より転載)。

クジラの種類
左上から白長須鯨、長須鯨、鰮鯨、座頭鯨、克鯨、背美鯨、抹香鯨、小鰮鯨、槌鯨、巨頭鯨、逆戟(鯱)


捕鯨船 鯨肉
数少なくなった日本の捕鯨船と鯨肉(手前がミンククジラ、奥がゴンドウクジラ)


 さて、こうして食料にされた鯨に感謝して、日本各地に「鯨墓」とか「鯨塚」といった記念碑が残されていますが、今回はそういった記念碑ではなく、日本唯一の「くじら橋」に行ってみることにしました。

くじら橋
くじら橋の全景

 
 くじら橋というのは大阪市の瑞光寺(東淀川区)にある橋で、正式名称は「雪鯨橋」。幅約3m、長さ約6m。橋自体は明治時代に造られた花崗岩なんですが、実は側面がクジラの骨でできているのです。
 
 伝承によると、宝暦6年(1756)年、紀州を行脚中の当時の住職潭住(たんじゅう)が、太地浦で豊漁祈願をしたところ、鯨の大漁となったそうで、そのお礼として金30両と鯨骨16本が納められました。
 そこで、鯨の供養のためにこの橋が架けられたそうです。

 以来250年。骨だけに浸食がひどく、橋は江戸(1829年)、明治(1873年)、大正(1923年)、昭和(1974年)の各時代に改築されてきました。
 そして、2006年11月5日、32年ぶり6代目の橋の落慶法要が行われました。

 1988年以降、日本は商業捕鯨を停止しているため、必要な大きさの骨が手に入らず、改修は難航したそうですが、2004年に北海道沖で捕獲されたイワシクジラの下顎骨と肩甲骨、および2005年、南極海で捕れたクロミンククジラの脊椎が手に入り、ようやく実現しました。

くじら橋 くじら橋
夜になってしまいましたが、白さがわかるでしょ?


 欄干は長さ約3mのイワシクジラのあご骨を2本つなぎ合わせてあり、直径約80cmの扇形の肩甲骨6枚を飾りに使用。台座はミンククジラの脊椎18個を利用。実にクジラ3頭分の骨が使われました。
 実際に見てみると、確かに名前の通り、雪のような白さでした。


クジラの経済史
クジラの解体

制作:2007年1月29日

<おまけ>
 2006年6月の第58回国際捕鯨委員会(IWC)総会で、捕鯨再開を支持する宣言が初めて採択されました(とはいえわずか1票差)。
 昨今の国際世論は、商業捕鯨再開へと向きつつあるのかと思ったら、イギリスをはじめとする反捕鯨国が運動を活発化させてきました。正式な商業捕鯨再開には加盟国の4分の3以上の賛成が必要なので、再開までの道のりはまだまだ遠いですが……いつかまた鯨が簡単に食べられるといいですね!
千葉県館山名物のくじら弁当
千葉県館山名物のくじら弁当

広告
© 探検コム メール