水道からミミズの「衛生都市」
休みは月2で4畳半に11人居住の悲惨な都会生活


東京の水上生活者
東京の水上生活者(1932年で3万6000人ほど存在)


 1929年(昭和4年)、東京ではおよそ7600人の法定伝染病患者が発生しました。
 ざっくり赤痢3500人、チフス1700人、猩紅熱1200人、ジフテリア1000人といった具合です。また、肺結核の死者は全体の10%に及び、衛生環境の改善が喫緊の課題となっていました。
 
 1923年の関東大震災を機に、東京では大規模な復興計画が進みますが、これを契機に、東京の衛生環境は一気に改善の方向に向かいます。

 そうしたなか、『科学画報』1935年3月号に、「都会人の恐怖を防ぐ都市衛生座談会」という記事が掲載されました。これは、東京市衛生試験所の藤巻良知、有本邦太郎、小穴正徳の各医学博士に、都会の衛生問題を取材したものです。

 休みの取れないデパートの従業員は太陽に当たることもできず、呼吸器病が蔓延している。水道からミミズが出てきて騒動になる、あまりにひどい煤煙で都市の緑が枯れてしまう……などなど今では想像もできない苦労が記載されています。

 今回は、この記事を読みやすく改変のうえ、一部を再録しておきます。

東京市衛生試験所
東京市衛生試験所


【「亡国病」結核と呼吸器病】

記者 小穴先生、最近の都会人の健康についてお話しくださいませんか。

小穴 都会は社会組織がきわめて複雑なため、疾病の種類も多く、また罹病者も多いことは当然でしょう。従って、都会人の健康状態は田園生活者のそれに比べて、各階級、年齢、性別等を通じて複雑化しています。

 従来、社会病として考えられ、昨今、その予防がやかましく言われている結核は、なんといっても都会人の健康状態を支配している王座でしょう。僕はいま、主として結核の早期発見と対策の第一線に立っていますが、この問題は非常に難しい問題です。たとえば、最近、東京市内の統計を見ても、結核死亡者はきわめて多い。しかし、伝染の源となる患者の実数は、日本では恥ずかしい話ですが、わかっていないのです。

 そのために、予防対策も不十分なものしかできないのですが、とにかく全国に結核死亡者が年12〜13万いる。東京市では、昭和8年(1933年)は1万2000〜3000人くらいと記憶しています。が、罹患者は少なくとも10倍以上いるわけです。

記者 年齢ではわかりませんか。

小穴 年齢はやはり、15〜16歳から30歳までが一番多い。そして男子の方が女子より多いようです。結核にはいろいろありますけれど、肺結核を主として、他のすべてをその他として見ると、3対1くらいになりやしないかと思います。

ゴミの輸送船
ゴミの輸送船


記者 都会としてはどこが一番多いんですか。

小穴 昭和元年(1926年)から6年くらいまでは大阪が首位で、年6000人から6500人死んでまして、東京は4500内外でしたが、大東京(※昭和7年、周辺町村を東京市に編入して、新たに20区を新設)となってからは1年の結核死が1万2000くらいになり第1位になりました。

 結核は、直接に生活を脅かしたり、悲惨な人生の行路をたどらせる亡国病とまで言われていますが、早期に発見して治療を加えれば容易に治るもので、恐ろしいものではないのです。

 それから、デパートではまだ団体的にはやっていませんけれど、あるデパートの衛生部と密接な関係を持って相談に乗っていますが、従業員に一番多いのは呼吸器病ですね。ことに女の人などは若い人が多いため、家庭の関係でやめる人もあるでしょう。健康上の問題で、満足に2〜3年勤める人は少ないそうですね。
 
 それは1日の日課を聞きますと当然だろうと思われる原因があります。第一に、大きなデパートは定期的に月3回休みます
けれど、小さいデパートはそんなに休みはありません。月に2日くらいは休んでよいそうですが、しかし月々コンスタントに2回休む人はないという。病気でもしたら別ですけども。

 それと、朝は早朝家を出て、夜は遅くまで勤める。日光に親しむことはちっともない。食事の時間すら十分に与えられておらず、かわりばんこに行かなければなりません。忙しいときは立ち食いして、食後は休む暇なく、すぐ自分の持ち場へ行って、しかも一日中立ち続けている。
 
 そして、夜帰るときは、疲れた抵抗の弱った体をバイキンの多い塵芥いっぱいの電車などで、揺られながら帰って、光に親しむことは全然ないのですから、呼吸器病が多いのです。デパートにはいろいろなお客が来ますから、感染することが普通より多いと思います。

 結核では年齢的にいえば15〜16歳から30歳までといいましたが、デパートに働く女性は20歳前後が多いですから、危険も多くなると思います。

記者 職業別による結核数というものはわかりませんか。

小穴 はっきりおぼえていませんが、広い意味の繊維工業者、物品販売業者、運輸業の人が多いようです。われわれのところは印刷工場で働く人の結核をよく診ます。

藤巻 製絲工場、紡績工場に多いのでしょう。それから結核は、細民階級に非常に多いんですね。

小穴 それはそうですが、都会人で金のある人は市外へ転地するとか、市外のサナトリウムに行くとかできますが、細民はそのようなことはできず、結局、無料で入れる市の療養所とか施療病院、あるいは委託患者になって、市から交付される費用で療養ということで、それをもって統計を取るから、そんな統計が出るのだと思います。とにかく結核は金食病ですから、細民の患者の死亡はかなり早いようですね。

藤巻 昭和5年の正月3日から3月31日まで、小石川白山下の細民階級を1700人調査しましたが、そのとき、臨床家の誰もが 認めるような結核患者が30人いた。それが不思議なことに、半年くらいの間に全部が死んでいる。

小穴 結核患者やその死亡率は、階級的に見たら非常に下層階級の方が多いんでしょうが、貴賤貧富いずれを問わずあるものだと思います。

有本 ともかく、太陽のささない状態、それから畳一畳に何人だったか、大変な生活をしている。

藤巻 一番多いのは4畳半に11人ですね。

銀座の裏にあった密集家屋
銀座の裏にあった密集家屋


【蔓延する伝染病】

小穴 それから伝染病ですが、それはだんだんと少なくなる傾向ですけれども、依然として減らないのは疫痢(※多くは赤痢)だとか猩紅熱、チフス、ジフテリア。ことにジフテリアは予防注射を3〜4年前から東京市でやり出してから非常に減っております。チフスは飲食物が原因。年がら年中、東京をはじめ大都市にはあるわけですが。

記者 チフスはボーナス病だと聞かされております。これはボーナスが入って暴飲暴食するからだというのですが。

小穴 ある人は、牡蠣はチフスを媒介しないと言うんですけども、伝染研に私がいたとき、チフスの入院患者が「牡蠣を食べた」と言う人が多いんですね。牡蠣の出場所にもよるでしょうけれど、生でむやみに牡蠣を食べるため、下水の不十分な都会の近海で獲れたものは危ない。

 ことに警視庁でやかましくいってる飲食店の従業員の検便、あれは年に2〜3回しなければならない。そのなかに健康体でも保菌者がいることがあり、これが危険です。飲食物は火の通ったものを食べれば、そう心配はないんですけど。刺身とかにぎり寿司なども危ないです。

糞尿の輸送船
糞尿の輸送船



記者 伝染病が都会に入った場合、防疫はどうなっていますか。

小穴 2〜3年前ですが、天然痘がはやりましたね。下谷のどこでしたか、ああいう場合、どこかに源がなければ、ポコリと出てくるわけはありません。怪しい患者が出て、医者が10種類の伝染病を発見すれば、2時間以内に警察に届ける義務が あるのです。警察へ届けると、警視庁から市の衛生課へ電話で通知がまいります。すると、市ではこれに対する予防を講じなければいけない。もちろん、小さい町会でも自治制ですから、直接、市の手を借りなくても町会町会で防疫事務をやります。

 主としてそういう順序で、警察、警視庁、市、町会というふうに連絡を取ります。天然痘の場合でしたら、平均3町以内の区民は強制種痘する義務がある。警視庁が危険だと思えばこれ以外のところもやります。患者は特定の伝染病院へ送る、つまり相当な監禁をするわけです。赤痢、腸チフスはそこまでしなくてもいいが、天然痘やペストはそこまでやらなければ危険です。

【ミミズが出てきた水道】

記者 最近問題になっております水道衛生について伺います。われわれが給水を受けて飲む水、たとえば多摩川水源地の場合、細菌数の消長はどんなものですか。

有本 それは季節にもよるが、平均して原水でまず900くらいの細菌が、沈澱池へ来て800くらいになり、それが濾過されると10くらい。市内栓に入って少し殖えます。かくも精巧なる濾過機構を持っていますから、都市の水道水は安心して飲んでいいと思います。

 しかし、安心して飲むには、水道使用者が水質保全の努力をしなければいいけないと思います。東京市民が多摩川上流へ遊びに行ったとき、東京市の水源であるから汚染しないようにする考えを持たねばなりません。上流で船を浮かべたいとか漁獲をするとか、砂金が取れるから採掘したいというよう な請願があるようですが、それはいずれも水質保全という大きな見地から不許可になっているようです。

淀橋浄水場
現在、東京都庁などが建つ淀橋浄水場


記者 この間の赤痢の問題は。

有本 先だっての川崎の赤痢の流行、あの原因が水道かどうかはっきりしていないのですが、新聞の報じるところでは水道にも多少の欠点があって汚水の流入などもあったようです。

記者 それからもうひとつ、水道口からよくミミズが出るというのですが、どういうわけですか?

有本 ミミズは去年の夏に問題になったもので、私の専門外のことですが、水道水は原水を浄化しているんですから、それを通過してミミズが水道管に入ってくることは考えられないんです。

 ただ、給水管の一部に停滞した水があって、そこに繁殖するというようなことも言われています。それで、水道ではたびたび排水したり鉄管の掃除をしたりします。

 一方で、水道使用者が給水栓にホースをつるしたり、かぶせたりした場合、その端が地面近くにたれ下がって、ミミズがそこから這い上がって、なかに吸い込まれることもあるそうです。ミミズは気持ちのいい動物ではありませんから、水道のなかに一匹でもいれば、非常に珍らしいことのように問題にされたんです。袋をつるしておいたら、それにミミズがいっぱい溜まったということは、おそらく東京市にはなかったようですね。

【煤煙で洗濯回数が5倍に】

記者 今度は煤煙問題ですが……。

有本 煤煙によって空気が汚され、いわゆる「明るさ」が減少し、なんだか押し付けられるような気持ちで生活しなければならない。われわれの活力が奪われ、健康上も仕事の能率上も、大きな影響を受けるんです。

 煤煙というものは、煤(すす)を主体としており、これにタール物質が含まれており、いずれにしても未燃焼の物質の 集まりですから、燃料経済から考えても非常な損失であります。煤煙によって建物や器物、衣服などが汚れたり破損したりもします。

 これは大阪で試験したことですが、大阪と奈良の洗濯屋で洗濯費用を比較したんです。だいたい奈良に比べて、洗濯回数が2倍、費用が3倍になっていたのです。東京でも似た試験をして、汚染程度を商業、工業、住宅の各地区について調べたことがありましたが、一番汚れたところと汚れないところで5倍くらいの違いがあったように記憶しております。

戦前の東京のゴミ処理場
東京のゴミ処理場



 次に、煤煙とともにガス、たとえば亜硫酸ガスなどが出る。これは金属などを腐蝕させる性質をもっています。工場地帯などでは、どんなに真鍮などの金属面を磨いてもすぐ黒くなってきます。このように、建物、器物が破損せられるのです。

 それから都市の緑化が妨げられるのです。植物の葉の上に煤煙中のタール物質がついて、植物の呼吸を止めてしまうからでありまして、手近な例は上野公園の省線沿いの街路樹、あれが何度植えかえても枯れてしまう。操車場に面していて、機関車から出る煤煙が大きな原因です。

 煤煙はなかなか問題ですけれども、相手が煙ですから対策はなかなか厄介です。近頃では場所によって有煙炭の使用を禁止したり、また機関を備えたところでは、一定の規則を設けて焚き方を熟知した機関士に責任をもたせたり、煙突の長さを定めたりして取締っております。また、最近警視庁では「煤煙防止デー」という試みもやりました。

戦前のゴミの野焼き
ゴミの野焼き


 煤煙と同時に、道路砂塵のような細かい塵埃の影響も相当なものです。現在の東京は道路が非常によくなりましたが、以前は不完全で砂塵も多く、煤煙と塵埃どっちがが多いかというと、塵埃の方が多いようでした。これに比べて大阪あたりでは煤煙の方が多かったのです。

 それで、煤煙防止の対策としては、先ほどの燃料制限とか焚き方を熟練させるとか、あるいは道路の改良、舗装の改善であると。それからまた、消極的の対策ではありますが、小公園を設けて、たとえわずかな時間でも市民に煤煙を避けてもらうことになります。

東京の道路清掃
東京の道路清掃


記者 このごろ家庭で風呂を使いますが、これはいかがですか。

有本 煤煙といえば工場から出るものだけを目安にしているようですけれど、それよりも私は、家庭煤煙、風呂屋それから工場と名のつかぬ小工場から出す煤煙、これが非常に大きいと思います。

■警視庁工場課調査による東京市中の煙突数

15m以上の煙突5451本
・工場用1639 (総数の約30%)
・暖房用その他997(約18%)
・浴場用2815(約50%)

 東京の煙突數は5451本で、その約半分は風呂屋の煙突です。ですから、影響がかなり大きいのです。大きな工場は相当にいろいろ考えてますが、それ以外に風呂屋や家庭の煤煙は大きなものですね。


制作:2023年11月11日

●結核の文化史

三河島の汚水処分場
三河島の汚水処分場
 
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