【翼にかけた夢】
エアガールの誕生

羽田空港
完成直後の羽田空港。ガラガラです


 昭和6年(1931年)8月25日、羽田に東京飛行場が完成します。民間機はそれまで間借りしていた立川の軍用飛行場から移りましたが、日本のスチュワーデスは、この立川から始まりました。
 
《エアー・ガールを求む。東京、下田間の定期航空旅客水上機に搭乗し、風景の説明や珈琲のサービスをするもの、容姿端麗なる方を求む。希望の方は2月5日午後2時、芝桜田本郷町飛行館4階へ》
 
 こんな新聞広告がでたのは、この年1931年のはじめです。東京航空輸送社による日本初のスチュワーデス募集でした。
 応募者は141人で、「民間航空の父」と呼ばれる長岡外史中将らによって面接が行われました(ちなみに長岡中将は、日本で初めてスキーを導入した人物)。
 で、3月5日に採用決定されたのは、たった3人。4月1日から乗務を開始しましたが、搭乗機は旅客6人乗りの水上飛行機で、あまりの狭さと薄給で、4月29日には全員がやめてしまいましたとさ。
 その後、やむなく給料を1回の飛行で3円、地上勤務で1円としたところ、300人以上の希望者が集まったそうです。


エアーガールスチュワーデス
東京〜下田〜清水間を搭乗したエアーガールたち


 さて、この「エアー・ガール」は流行語となったわけですが、当時の新語辞典に同社社長の相羽有氏(東京初の自動車教習所を開設した人物)が解説を加えています。この解説によれば、エアー・ガールは日本で作られた言葉で、当然のことながら訳語はなく、新聞は「空の麗人」とか「空中の女給」とかさまざまな表現をしたそうです。

 さらにいえば、スチュワーデス自体、発明したのは日本だそうです。もともとニューヨーク〜マイアミ間には女性によるサービスがあったけれども、質素なもので、いわゆるスッチーは日本が先駆け。欧米は日本に数ヶ月遅れて採用を開始したんだそうです。
(がしかし、やっぱり通例は、この1930年のボーイング航空輸送[現ユナイテッド航空]が採用した8人が世界初のスッチーというべきでしょう。相羽氏がこれを「質素」としたのは、彼女たちが全員元看護婦で医療スタッフに近かったせいだと思われます)

 民間飛行機がようやく空を飛び始めた時代。しかし、この年6月22日には日本航空輸送の旅客機が福岡で墜落、3人が死亡してしまいます。これが日本初の旅客機墜落事故。まだまだ、空の大衆化は遠い時代でした。


制作:2004年2月10日

<おまけ>
 日本で初めてスッチーからサービスを受けたのは、当時の逓信大臣小泉又次郎です。彼は当時の新技術として話題を集めた「電送写真」の視察をしたり、いろんなパフォーマンスが大好きな人間でした。この血を受け継いだのが、孫の小泉純一郎元首相なのですが……血は争えないというか、妙に納得してしまいますな。

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