【ポウハタン号が見た日米関係史】番外編
アメリカ博覧会

 敗戦を迎えた普通の日本人にとって、アメリカは豊かさの象徴でした。誰もがアメリカ兵にすりより、チョコや煙草やガムを恵んでもらいました。その卑屈さは、たとえばこんな感じ。

《私たちの傍に、行員風の青年が二人いたが、
「黒ン坊の奴……」
 侮蔑的な語調だった。そして、膝の上に不作法にのせた片足のくるぶしをいわば威嚇的に示威的に叩いて、
「英語ナンテ俺は知らねえや。一つ知っている。シガレット……」(中略)
 一人が席から立ち上った。黒人兵の前へ行く。
「……?」
 煙草を貰っているのだった。手の先に白い煙草を捧げてピョコンと頭を下げている。その卑屈な笑い顔は、正視しがたいものだった》(高見順『敗戦日記』昭和20年11月6日)

 戦後、日本は驚異的な経済成長を果たしましたが、そこには明らかに「アメリカみたいに豊かになりたい」という強い思いがあったのは確かです。
 その思いの集大成といえるのが、戦後5年たって開催された「アメリカ博覧会」。会場には豊かで幸せに満ちた“憧れのアメリカ”が多数展示されていました。
 
 現在の日本人にとって原風景ともいえるこの博覧会に、さぁ、あなたも入場してみよう!



アメリカの歴史を紹介したパビリオン「ホワイトハウス」
内部にはペリーやハリスの遺品や業績が展示されていた
 


もっとも注目された2階建て洋風家屋「ブロンディの家」
 

 
アメリカ一周大パノラマ(ニューヨークと鋼鉄都市ピッツバーグ)


●アメリカ博覧会データ●
昭和25年3月17日開会
朝日新聞社主催
メイン会場は西宮球場(兵庫県)
 

 今見ても、まったく何の感動もないでしょ? でもこれこそ、僕たちのスタート地点であり、ゴール予定地点でもあったわけです。この風景から50年、日本が歩んできた道はどこが間違っていたのか一一?


●関連リンク●
「ポウハタン号が見た日米関係史」その1  日本開国の瞬間
「ポウハタン号が見た日米関係史」その2  遣米使節は何を見た?(工事中)
「ポウハタン号が見た日米関係史」その3  日本降伏の瞬間
*ポウハタンの表記は「ポーハタン」「パウハタン」などいろいろですが、本サイトでは「ポウハタン」に統一します。

制作:2002年1月4日