写真で見る「福島原発」の誕生
あるいは幻の「原発事故シミュレーション」

福島第1原発
福島第1原発(『東電グラフ』1979年11月号)



 被爆国の国民が、どうして原発を作るようになったのか? 詳細は「東海原発の誕生」に書きましたが、大きな理由の1つは、国民が「原子力は素晴らしいものだ」と意識を変えたことにあります。その役割を担ったのが、読売新聞社主催の「原子力平和利用博覧会」でした。
 1955年〜56年にかけて全国で開かれたこのイベントに、いったいどんな展示があったかというと……。


原子炉 サイクロトロン
(左)イリノイ州のアルゴンヌ国立研究所にあるCP5原子炉
(右)田無にある東大原子核研究所のサイクロトロン模型

ガン治療器 ラジオアイソトープ
(左)シカゴ大学で使われているコバルト60によるガン治療機
(右)ラジオアイソトープを利用した、鶏とタマゴの品種改良

福島第1原発
強い放射性物質を扱うためのマジックハンド


 こうしたイベントを通じて、国民は原子力を「第3の火」として受け入れていきました(第1の火は「石油・石炭」、第2の火が「電気」)。
 実際、原発を持つことは世界最先端の技術国という誇りでもありました。その証拠に、1966年に東海原発が出来ると、地元で原子力研究所めぐりのツアーが盛んに開催されました。

東海原発 東海原発
東海原発の絵葉書より、建屋と第1号原子炉

東海原発
銘菓「原子炉」どうよ?



 ところで、ほとんど知られていませんが、日本では東海原発の工事と同時期に、原発事故のシミュレーションが極秘裏に作られています。これは1957年にアメリカが作成した事故シミュレーション『WASH-740』を参考にしたものです。

 この極秘文書のタイトルは「大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害額に関する試算」というもので、当時の科学技術庁が日本原子力産業会議(現・日本原子力産業協会)に発注したものです。
 試算は1959年9月から1960年3月までかかり、翌4月に提出されました。全244ページのうち、本文にあたる前書きはわずか18ページで、残りは具体的なシミュレーションが並んでいます。
 しかし、この資料が世に出ることはありませんでした。

 なぜかというと、出力50万kWの原発から、わずか2%の放射能(1000万キュリー=37京ベクレル)が漏れただけで、最大の損害額(空気が薄くなりやすい雨天時)が3兆7300億円になるという試算だったからです。ちなみに、当時の一般会計予算は1兆7000億円なので、実に2.2倍にも及びました。逆に、空気が薄くなりにくい乾燥時では、物的被害は少ないものの、死者が540名も出るのです。


原発事故
幻の原発事故シミュレーション
(左から「空気が希釈されやすい乾燥時」、「希釈されやすい雨天時」、「希釈されにくい乾燥時」)


 結局、この資料は封印されたまま、東海原発は稼働開始します。
 東海原発は日本原子力発電が事業者なので、今度は東電が福島に原発を作りました。その後、福島第2原発や柏崎刈羽原発が次々と出来ていくのです。

福島第1原発
福島第1原発の原子炉格納容器組み立て(『東電グラフ』1968年6月号)


福島第1原発
建築中の福島第1原発(『東電グラフ』1981年3月号)


福島第2原発
建築中の福島第2原発(『東電グラフ』1979年11月号)



 なお、この極秘文書のおかげで、原発事故の補償金に上限が設定されたと言われています。もし、この資料が表に出ていたら、日本の原子力政策は変わっていたかもしれませんね。

 ちなみにこの資料の存在をスクープしたのは、1974年の毎日新聞。しかし、資料そのものはもはや存在しないとされました。その後、1979年に共産党が初めて『赤旗』で内容を暴露するんですが、このときも最も重要な被害総額の部分は明らかになりませんでした。
 結局、すべての内容が明らかになったのは、なんと1999年のことでした。

※今回の写真は東京電力の著作物などから転載しています。被害の大きさを考慮し、また著作権法上の論評に当たると判断し、引用しました。


制作:2012年3月12日


<おまけ>
 アメリカは数多くの事故シミュレーションを作っていますが、特に有名なのが、1975年に公表された「ラスムッセン報告書」(『WASH-1400』)と呼ばれるものです。
 実に3000ページに及ぶ膨大な原発事故の想定レポート。損害保険の料率算定のために作られたので、原発事故を過小評価しているものの、ひとたび事故が起きれば、

・放射線の外部被爆による急性死亡1200人
・内部被爆による晩発性ガンによる死亡2100人
・放射性ヨウ素による甲状腺ガン発症6万7000人〜

 という衝撃的なものでした。
 ところが、重大事故が起きる確率は10億年に1回としてたんですな。そして、その4年後にスリーマイル島でレベル5の原発事故が起きてしまうのでした。

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