電話の歴史
あるいはNTTの崩壊


開業当時の電話交換機


 社員20万人のNTTが、なんと半数の10万人をリストラ中だそうです。『NTTは誰に殺されたのか!』という衝撃的な本によれば、
 
《一般の固定電話だけでなく、いまは活況を呈している携帯電話も、やが て滅びてしまう運命にある。なぜなら、両者ともに「インターネット・プロトコル」(以下「IP」=Internet Protocol)と呼ばれる通信規約の登場によって一気に価格競争力を失うからである。「IP電話」や「IP携帯電話」は、通話料金をひたすら無料に近 づけていくため、従来の固定電話も携帯電話も、いずれ経営はまったく成り立たなくなる。そして、その結果起こる日本の“通信崩壊”は、すなわち“NTT崩 壊”を意味している》
 
 通信料が安くなったのは確かですが、それは結果的に日本の電話会社をすべて滅亡させてしまう、と。しかも弱まったNTTは、外資に買収されても構わないと政府は思ってるんだとか。
 技術大好きっ子の本サイトとしては、とっても納得がいかないのでした。というわけで、今回は電話の歴史です。

 日本で電話が開通したのは1890年(明治23年)で、まずは東京ー横浜で営業が開始されました。ちなみにグラハム・ベルが電話を発明してから14年後のことです。
 当初の加入者数は、東京155、横浜42。ダイヤル1番は東京府庁、2番は逓信省、3番は司法省でした。
 
『明治事物起原』によれば、創業当時は、
《種々商人を勧誘したれども、加入者なく、当局者もおほいに当惑し、市中重立ちたる人々100余名を、逓信省の楼上に呼び集めて、電話の効用を蝶々説き立てて加入を勧め……》
 といった感じでした。
 東京〜大阪間が開通したのは1899年。翌年には新橋駅と上野駅に、日本初の公衆電話(「自働電話」といったそうです)が設置されました。
 
 実は夏目漱石の『吾輩は猫である』に電話の場面が出てくるんだな。
 
《しばらく佇(たたず)んでいると廊下を隔てて向うの座敷でベルの音が する。そらあすこにも何か事がある。後(おく)れぬ先に、とその方角へ歩を向ける。来て見ると女が独(ひと)りで何か大声で話している。……女はしきりに 喋舌(しゃべ)っているが相手の声が少しも聞えないのは、噂にきく電話というものであろう》

『吾輩は猫である』が雑誌『ホトトギス』に連載されたのは明治38年(1905)なんですが、このころ、ようやく電話が普及してきたことがわかりますね。
 で、日露戦争後には加入希望者が激増したんですが、予算難からなかなか電話は引けませんでした。で、始まったのが電話売買業です。


当時のチラシ
 
 こうして1910年には、ついに全国の電話加入者数が10万を突破しました。
 ちなみに昭和に入ってからも、なかなか一般家庭には電話が普及しませんでした。当時は電話を引くのに、ちゃんと許可を得ないとダメだったんだな。これがその許可証。



申請受理決定通知書(1928年)

 
 
 戦後の話は触れなくてもいいでしょう。電電公社ができたのは1952年、それから33年後、民営化され、NTTが誕生しました。
 さて、ボロボロになった通信業界ですが、今後どうなるのか? 再び『NTTは誰に殺されたのか!』によれば、
 
《この競争政策の行き着く先は完全な「地方切り捨て」である。唐突だと 思うだろうか。だが、2000年の答申は、そのことも明確に書いているのである。「誰もが利用可能な料金で、日本全国あまねく公平かつ安定的に供給される 国民生活に不可欠なサービス」をユニバーサルサービスという。具体的には、次の3つである。 
(1)加入電話サービス
(2)公衆電話サービス
(3)緊急通報サービス(警察、消防、海上保安庁への通報)
 これ以外は、別段公平にする必要も安定供給する必要もないということ だ。おわかりだろうか? 上の3つには、インターネットも携帯電話も入っていないのである。つまり、今後、地方ではインターネット接続料が都市の10倍に なろうが携帯電話が不通になろうが、政府としてはいっこうに構わないということである》
 
 政府は「三位一体の地方改革」とかいいながら、その実、地方を「殺そう」としていたのでした。ちょっと許せない話です。

制作:2003年12月20日