電話の誕生と歴史

電話交換機
開業当時の電話交換機


 インターネットは既存のあらゆるシステムを崩壊させましたが、なかでも最も影響を受けたのは電話だと思います。ネット経由の無料通信も増え、携帯電話以外の電話ビジネスはほとんど崩壊寸前となりました。実際、NTTは2003年頃に社員20万人の半数近くをリストラしました。
 もちろん、携帯電話も安穏としていられるわけではありません。
 ネット経由の電話を「IP電話」といいますが、これが持ち運びできるようになれば、もちろん携帯電話も無料に近づいていくからです。

 ネットのおかげで通信料が安くなったのは確かですが、それは結果的に日本の電話会社をすべて滅亡させてしまう可能性もあるわけです。
 というわけで、今回は電話の歴史です。

 日本で電話が開通したのは1890年(明治23年)で、まずは東京ー横浜で営業が開始されました。ちなみにグラハム・ベルが電話を発明してから14年後のことです。
 当初の加入者数は、東京155、横浜42。ダイヤル1番は東京府庁、2番は逓信省、3番は司法省でした。
 
『明治事物起原』によれば、創業当時は、
《種々商人を勧誘したれども、加入者なく、当局者もおほいに当惑し、市中重立ちたる人々100余名を、逓信省の楼上に呼び集めて、電話の効用を蝶々説き立てて加入を勧め……》
 といった感じでした。
 東京〜大阪間が開通したのは1899年。翌年には新橋駅と上野駅に、日本初の公衆電話(「自働電話」といったそうです)が設置されました。
 
 実は夏目漱石の『吾輩は猫である』に電話の場面が出てきます。
 
《しばらく佇(たたず)んでいると廊下を隔てて向うの座敷でベルの音がする。そらあすこにも何か事がある。後(おく)れぬ先に、とその方角へ歩を向ける。来て見ると女が独(ひと)りで何か大声で話している。……女はしきりに喋舌(しゃべ)っているが相手の声が少しも聞えないのは、噂にきく電話というものであろう》

『吾輩は猫である』が雑誌『ホトトギス』に連載されたのは明治38年(1905)なんですが、このころ、ようやく電話が普及してきたことがわかりますね。
 で、日露戦争後には加入希望者が激増したんですが、予算難からなかなか電話は引けませんでした。で、始まったのが電話売買業です。

電話
当時のチラシ
 
 こうして1910年には、ついに全国の電話加入者数が10万を突破しました。
 ちなみに昭和に入ってからも、なかなか一般家庭には電話が普及しませんでした。当時は電話を引くのに、ちゃんと許可を得ないとダメだったんだな。これがその許可証。


電話
申請受理決定通知書(1928年)

 
 戦後の話は触れなくてもいいでしょう。電電公社ができたのは1952年、それから33年後に民営化され、NTTが誕生したのです。

制作:2003年12月20日

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