日本初のエレベーター

納涼エレベーター
納涼エレベーター
(これは場所等不明)

 1853年、アメリカのオーチスがニューヨーク万国博覧会に出品した蒸気動力エレベーター。
 その後、改良が加えられ、1880年にはドイツ・マンハイム博覧会に電動エレベーターが出品されました。

 で、日本初のエレベーターは、明治23年(1890)11月にオープンした浅草の凌雲閣に設置されました。
 当時の「官報」(明治23年10月27日付け)によれば、

《下層初階より八階までは、電気モーターの運転によりて、昇降台(エレベートル)を一分時間に昇降せしむべく、この昇降台は高さ八尺、幅八尺に五尺五寸、十五人より二十人までの客を一時に乗せ得べく、電気モーターは米国紐育(=ニューヨーク)より購入せしものにて、十五馬力を有せり》

 といった感じ。ところが、当初からたびたび故障を起こし、結局半年ほどで業務停止の憂き目にあってしまうのでした。

「明治事物起原」によれば、その後、日本銀行(明治29年完成)、三井銀行(明治36年完成)などに設置されますが、いまいち利用されなかったようです。

 明治36年(1903)に大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会では、「大林高塔」とよばれた高さ150尺(約45m)のエレベーターが話題を呼びました。これが大阪初のエレベーターですが、この跡地に作られた通天閣には、国産第1号のエレベーターが取り付けられました(大正2年=1913年)。

漱石も昇った日本初の鉄骨エレベーター
漱石も昇った日本初の鉄骨エレベーター(和歌山) 


 さて、日本初の鉄骨製エレベーターが出来たのは、明治43年のこと。和歌浦の旅館(望海楼)が客寄せに作ったもので、高さ30mでした。完成翌年、夏目漱石はこの宿に泊まり、こんな文章を書き残しています。

《手摺の所へ来て、隣に見える東洋第一エレヴェーターと云う看板を眺めていた。この昇降器は普通のように、家の下層から上層に通じているのとは違って、地面から岩山の頂まで物数奇(ものずき)な人間を引き上げる仕掛であった。所にも似ず無風流な装置には違ないが、浅草にもまだない新しさが、昨日から自分の注意を惹いていた。(中略)
 二人は浴衣がけで宿を出ると、すぐ昇降器へ乗った。箱は一間四方くらいのもので、中に五六人這入(はい)ると戸を閉めて、すぐ引き上げられた。兄と自分は顔さえ出す事のできない鉄の棒の間から外を見た。そうして非常に欝陶しい感じを起した。
「牢屋見たいだな」と兄が低い声で私語(ささや)いた。
「そうですね」と自分が答えた。
「人間もこの通りだ」(中略)
 牢屋に似た箱の上りつめた頂点は、小さい石山の天辺(てっぺん)であった。そのところどころに背の低い松が噛(かじ)りつくように青味を添えて、単調を破るのが、夏の眼に嬉しく映った》(「行人」)

 このエレベーターも、大正5年(1916)には、第一次世界大戦の影響で解体され、軍用船へと変わったのでした。

エレベーター
これも上と同じ和歌山のもの 

更新:2006年11月26日

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