「地方」の成立
その2
〜金魚の町から見た「郡区町村」〜
弥富町・金魚の養殖池
みなさんは愛知県の弥富町って知ってますか? ここは金魚の生産日本一なんですね。町には金魚の養殖池が並び、最盛期には、ちょっとした眺めです。
で、この弥富町は、愛知県海部(あま)郡なんですが、この海部郡は1913年に海東郡と海西郡が合併したものなんです。
これが当時の合併請願書なんですが、ここに、こう書いてあります。
合併請願書
《
明治4年、大小区制
を布(し)かるるに際しても亦、我「海東海西」2郡を1大区とし、爾后屡々(しばしば)変更ありしも、遂に2郡を分割せしことなく、現に第6区会所を「海東」郡神守村に置き、両郡を支配せしも、其の適例なり。
尋て
明治11年、郡区制
を編成し郡役所を置かるるに方(あた)り、又、我「海東海西」郡は1郡衙(ぐんが)の下に立ち、以て今日に及ぶも、其間、曾(かっ)て之れが分立を唱えしものあることなく、2郡の名あるも、恰(あたか)も1郡の如く、実に異名同体協同和熟して……》(原文カタカナ書き)
要は昔から同じ生活圏だったし、予算も無駄だから合併させて! というお願いなんですな。
大小区制というのは、
廃藩置県
後に新しく決められた地方行政制度です。この年に出された戸籍法の実現のために作られたもので、いくつかの村を小区にし、それをまとめて大区にしたわけです。大区に区長、小区に戸長を置きましたが、区長も戸長も政府の意向を受けて、ひたすら人民の管理に努めたため、大いに反感を買いました。
で、あんまりにも官僚支配と人々の抵抗が強くなったため、明治11年(1878年)、三新法が発布されて大小区制は廃止、三新法の1つ「郡区町村編制法」により、府県の下に郡区町村の設置が認められたのです。
郡は地方自治体となったものの、課税権もなく、府県知事や中央政府の管理の下、結局のところ人民支配を強力に押し進めるだけでした。あまりの無駄さ加減に、日露戦争以後たびたび廃止論争が起こります。
ところが廃止法案は何度も流れてしまいます。これは、官僚支配の牙城である「郡制」を維持したい山県有朋の勢力と、廃止を機に山県閥を弱めようとする原敬ら政友会勢力の対立があったからだといわれています。
なんだか、抵抗勢力と改革派みたいな構図ですが……。
それはまぁともかく、結局、郡制は大正9年に廃止が決定し、
郡は単なる行政区画となりました
(
実際の廃止は大正12年4月1日)。
原敬・暗殺の瞬間
さてさて、庶民からは人気があった原敬ですが、あんまり急進的すぎたのか、大正9年11月に東京駅で暗殺されてしまいます。
改革派は暗殺されてもおかしくない時代でしたが、なに、政友会だっていろんな汚職があったのも事実です。
なんだかね、つまりはホントのところ、地方自治なんてものは、昔からこの国にはなかったということですな。あるのは中央の利権だけ、なのかも。
制作:2003年7月28日
※ちなみに弥富町は今、同じ海部郡の蟹江町、飛島村、十四山村とで「海部南部ブロック市町村合併研究会」を開き、合併への道を模索しています。海部郡も、消滅の危機か?