平和紀念東京博覧会へ行ってみた

平和紀念東京博覧会
正門からすぐに見える平和館


 作家の宮本百合子は、大正11年(1922)5月、上野公園で行われた平和紀念東京博覧会に出かけています。そのときの印象は、
 
《まだ第二会場を一遍通り抜けただけなのでよく分りません。建物から云っては、決して感じよい建築とは思えません。モダーンなのはよいが、もう少し、外国雑誌の写真の、皮相的模倣以外に出られなかったものでしょうか。一目見てごたごたし、雑駁な印象を強く与えられたから、しんから愛らしい心持で欲しいなと思うようなものは見つかりませんでした》(「博覧会見物の印象」)
 
 と、さんざんな評価です。宮本がモダーンといったのは第2会場(不忍池)入口にあるこの外国館↓

平和紀念東京博覧会
白亜の外国館


 などを指していると思われますが、下の鳥瞰図を見ればわかるとおり、左上の外国館からそのまま真っ直ぐ行くと台湾館、朝鮮館など、なかなかエキゾチックな建物が並びます。

平和紀念東京博覧会
当時のガイド鳥瞰図


 でもまぁ、留学経験がある宮本にとって、こうした一連の建物はあんまり興味の対象とはならなかったのかも知れません。しかし、オレ的にはけっこう楽しげなので、このまま会場一周ツアーをしてみましょう。
 

 まずはこの鳥瞰図の下部にご注目。精養軒の隣に森永菓子とありますね。ここで一服してから会場へ行きましょう。この喫茶店は「ココアホール」となっていますが、実は日本初のミルクココアは、1919年に森永が発売したのです。それからわずか3年後ですから、この博覧会で初めてココアを飲んだ人もたくさんいるでしょうね。

平和紀念東京博覧会
日本初のココアをどうぞ!
 

 そのまま不忍池ぞいに行くと、メインの平和塔が見えてきます。その近くにあるのは龍宮館。ここに「サクラビール」という看板が立ってますが、これは1912(大正元)年に設立された九州初のビール会社・帝国麦酒のブランドです。帝国麦酒は、現在のサッポロビールに吸収されています。

平和紀念東京博覧会
左が平和塔、右が龍宮館
 

 さらに歩いていくと、なんと不忍池に水上飛行機が走っているではありませんか。これはなかなか楽しそうですな。

平和紀念東京博覧会
大人気だった水上飛行機

 
 さて、そろそろ第1会場(上野公園)に行きましょう。第1会場のメインはこの演芸館。隣はシベリア館です。中に入ると、こんな感じのイベントが見られます。

平和紀念東京博覧会  平和紀念東京博覧会
(写真左)向かって右が演芸館、左がシベリア館
(写真中、右)演芸館の出し物とギリヤーク人のダンス



 第1会場には万国街というのがあって、世界中の風俗が楽しめました。特に人気を集めたのが、この南洋館。あやしげなヘビ男がポイントです。

 平和紀念東京博覧会 平和紀念東京博覧会
南洋館と土人の蛇遣いたち
 

 さて、一般に博覧会は鉱工業や農林水産業の技術紹介といった面と、世界中の風俗紹介といった2つの側面があります。この博覧会でも、動力館・交通館・染色館などいわゆる工業物の展示に並んで、前述の南洋館・シベリア館などがあったのです。
 「博覧会の政治学」という本が面白い指摘をしてるので、ここで引用しておきましょう。

《平和記念東京博となると、「南洋土人の生活を語るいろいろの品物」を集めた南洋館や、「西伯利亜(シベリア)土人の風俗生活上の標本を集め」た西伯利亜館も加わっている。こうしてみると、日本の軍事的侵略を先触れするかのように、周辺地域のパビリオンが建てられていったことがわかる》

 日本は、第一次世界大戦(1914-1918)に際し、赤道以北のドイツ領南洋群島を占領、1920年に委任統治が認められました。同じく1918年から1922年までシベリア出兵していたわけで、1922年に開催されたこの博覧会は、まさに日本の帝国主義を背景に盛り上がったと言えるのです。
 しかも、事実上、第一次世界大戦ではじめて飛行機が実戦で使用されたことを考えれば、不忍池に浮かぶ水上飛行機も別な意味が感じられますね。これが博覧会を語るうえで、欠かせない視点ということです。「平和紀念」といいつつ、本当のところはもっと深い狙いがあったのでした。


制作:2004年8月15日

平和紀念東京博覧会(東京平和博覧会)データ

 ●第1会場 上野公園(4万4925坪)、第2会場 不忍池畔(6万9650坪)
 ●建物総坪数 1万5357坪 
 ●予算 600万円、協賛会予算800万円
 ●期間 大正11年3月10日ー7月31日
 ●入場料 1人60銭

平和紀念東京博覧会
やっぱり最後はビールで乾杯か?(背後は満蒙館)

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