「従軍慰安婦」博物館に行ってみた!

従軍慰安婦博物館
ひっきりなしに入場者が……


 2012年7月、ソウルにある日本大使館が、改築許可を韓国政府に申請したところ、韓国側の許可が下りないという事態になりました。韓国側は、文化財である景福宮に近く、高さ制限を超えるとしていますが、すでに大使館周辺には高層ビルが多数建っており、大使館関係者は「嫌がらせに等しい。現場を見れば日本大使館への規制がいかに現実離れしているかわかるだろう」と怒っています。

 というわけで、実際に見に行ってみたよ。確かに、日本大使館の周囲には富士通などの巨大なビルが建っていて、理不尽さが際だちます。

ソウルの日本大使館
高層ビルに囲まれた日本大使館


 日本大使館をめぐる嫌がらせはまだまだあって、2011年12月14日には目の前に従軍慰安婦の少女像「平和の碑」が立てられました。この少女像に怒った右翼が「竹島は日本固有の領土」という杭を少女像に結んだところ、今度は韓国の右翼が日本大使館にトラックを突入させるという……なんだかなぁという展開になっています。

 日本国内では、大使館の前に慰安婦像を立てるのは韓国政府の差し金という意見が強いようです。もちろん、韓国では政府の支持率が下がると「とりあえず反日」というお約束があるわけですが、しかし、実はこの場所では、もう20年以上にわたって毎週1回、日本政府への抗議デモが行われているのも事実です。

従軍慰安婦デモ
大使館前で毎週水曜12〜13時に開かれるデモ


 第1回反日デモは、1992年1月8日に行われ、以後毎週水曜、ひたすら繰り返されてきました。そして、ついに2011年12月14日に1000回目を記録したのです。日本大使館前の少女像は、これを記念したものだったんですね。
 逆に言えば、20年間もデモを放置してきた日本政府にも問題があったと言わざるを得ません。

従軍慰安婦デモ
毎回、これだけのマスコミが集まってるんですが、日本ではほとんど知られず



みんなでシュプレヒコールしたり反日歌を歌ったり


 とりあえず、6コマ漫画でわかるデモ側の主張です。

従軍慰安婦デモ 従軍慰安婦デモ
日本強制占領期間、1944年/ある日、日本軍に引きずられた

従軍慰安婦デモ 従軍慰安婦デモ
そして彼女は「従軍慰安婦」になった/彼女は、精神的身体的に大きな被害を受けた

従軍慰安婦デモ 従軍慰安婦デモ
戦争は終わったが、少女は嬉しくはなかった/その時の傷を抱えて、今まで生きてきている


 さて、韓国における従軍慰安婦への支援は、「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が主役となっていますが、ついに2012年5月5日、慰安婦に関する資料を集めた「戦争と女性の人権博物館」をソウル市内にオープンさせることに成功します。建設には、韓国政府が約3500万円の資金を提供したことが判明しており、いわば反日施設の集大成的な位置づけです。

 そんなわけで、慰安婦博物館に行ってみたよ!

従軍慰安婦博物館
地下鉄弘大入口駅から歩いて10分位。すごい急坂にありました

従軍慰安婦博物館
入口からして陰惨です

従軍慰安婦博物館
そして、地下1階。テーマは「彼女が歩んできた生に出会う」


 ここで従軍慰安婦問題についてまとめておきます。
 日韓ともに、慰安婦施設があったことは認めているので、問題の論点は大きく分けて以下の3つしかありません。

  ・この施設で働いた女性達が強制連行だったのか、強制ではなかったのか
  ・軍の関与はあったのか(つまり政府犯罪)、なかったのか
  ・慰安婦は単なる売春婦だったのか、性奴隷だったのか


 そして、「軍が強制連行したんだから、日本政府は慰安婦に謝罪と補償しろ」という韓国に対し、日本側は「1965年6月22日に結ばれた日韓基本条約で問題は解決済み」という立場です。
 この条約で、韓国は対日請求権を放棄する代わり、日本は韓国に3億ドル(当時のレートで1080億円)を支払っています。韓国はこのカネで製鉄会社ポスコを創設し、経済成長のきっかけを作ります。
 もともと韓国も「補償は解決済み」という立場でしたが、2010年3月15日、慰安婦については対象外と裁判所が宣言しました。

 以上がざっくりした論点ですが、双方が自分が正しいと言い合ってる状況では、いくら資料があるとかないとか言っても、問題解決に至ることは決してないでしょう。

従軍慰安婦博物館
展示品は左から【慰安所入室時に使用した慰安券】【慰安所出入証】【日本が使用した軍票】

従軍慰安婦博物館
こちら出入証の拡大写真

 
 以下、本サイトでは別な角度からこの問題について書いておきます。

 まず、「強制連行だった」というのは、日本側の発言から始まりました。
 それが朝鮮人約6000人を強制連行したという吉田清治氏で、吉田氏は1983年の著書『私の戦争犯罪:朝鮮人強制連行』などで、自分がいかにひどいことをしてきたか告白を重ねます。

《従軍慰安婦の徴用のやり方は、私たち実行者が10人か15人、山口県から朝鮮半島に出張し、その道(どう)の警察部を中心にして総督府の警察官50人か100人を動員します。そして警察官の護送トラックを5台から10台準備して、計画通りに村を包囲し、突然、若い女性を全部道路に追い出し、包囲します。そして従軍慰安婦として使えそうな若い女性を強制的に、というか事実は、皆、木剣を持っていましたから殴る蹴るの暴力によってトラックに詰め込み、村中がパニックになっている中を、1つの村から3人、5人、あるいは10人と連行していきます》(朝日新聞1991年5月22日、『アジアの声:侵略戦争への告発』よりの引用)

 この発言が朝日新聞や北海道新聞などで金科玉条のように扱われ、繰り返し記事になり、既成事実となりました。しかし、後にすべてカネ目当ての捏造だったと判明します。これは当の朝日新聞も認めていて、

《戦時中に山口県労務報国会下関支部にいた吉田清治氏は83年に、「軍の命令により朝鮮・済州島で慰安婦狩りを行い、女性205人を無理やり連行した」とする本を出版していた。慰安婦訴訟をきっかけに再び注目を集め、朝日新聞などいくつかのメディアに登場したが、間もなく、この証言を疑問視する声が上がった。
 済州島の人たちからも、氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない。吉田氏は「自分の体験をそのまま書いた」と話すが、「反論するつもりはない」として、関係者の氏名などデータの提供を拒んでいる》(朝日新聞1997年3月31日)


 と誤報を暗に認めています。


従軍慰安婦博物館
下部の展示品、左から【慰安所割引券「特別売銭税免税票」】【配布されたコンドーム】【「出動軍下士官兵衛生心得」】【慰安所に行ったときの兵士の日記】【ルソン島で降伏した慰安婦の身上書】【「慰安少女」と書かれた連合軍の捕虜尋問報告書】


戦争と女性の人権博物館 戦争と女性の人権博物館
コンドーム「突撃一番」と割引券のコピー


 続いて、軍の関与についてですが、これも朝日新聞が声高に叫んで既成事実化しました。1992年1月11日、一面トップで報じられた「慰安所への軍関与示す資料 防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌」というスクープです。
 見つかった新資料は、いかにも日本軍の犯罪の決定的な証拠のように書かれましたが、よく見ると「民間業者がトラブルを起こさないように、きちんとさせろ」という内容でした。

《日本国内で慰安婦を募集する際、業者などがトラブルを起こして警察ざたになるなどしたため、陸軍省兵務課が作成、派遣軍などに通達された。「募集などに当たっては、派遣軍が統制し、これに任ずる人物の選定を周到適切にし、実施に当たっては関係地方の憲兵および警察当局との連携を密にして軍の威信保持上ならびに社会問題上遺漏なきよう配慮」(カタカナ書きの原文を平がなにするなど現代文に直した)するよう指示、後に参謀総長になった梅津美治郎陸軍次官や高級副官ら担当者が承認の印を押している》

 非常にわかりにくく書いてありますが、これってどう見ても、日本軍がいいことをしてるようにしか読めませんな。
 問題は、記事が出たのが、当時の宮沢喜一首相が訪韓する5日前だったことです。記事を受け、当時の加藤紘一官房長官が事実調査の前に「お詫びと反省」の談話を発表し、宮沢首相も「軍の関与を認め、お詫びしたい」と述べ、結局、韓国で首相は8回も謝罪するハメになるのです。

 この影響は大きく、1993年8月4日、当時の河野洋平内閣官房長官が、証拠がないにもかかわらず、「本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり」という談話を公表し、慰安婦問題が“歴史的事実”になってしまったのです。

戦争と女性の人権博物館
続いてパネル。「実態は『慰安』とはほど遠い強かん犯罪だった」と翻訳にはあり、下は慰安所の想像図。上は値段表(兵30分1〜1.5円、下士官30分1.5〜2.5円、将校1時間3〜6円)なんですが、翻訳には「『慰安婦』女性の大多数は、報酬を受け取っていないと証言している」とあります



 従軍慰安婦問題は常に朝日新聞が先導してきたんですが、初めて実名で告白した慰安婦・金学順さんの存在を明らかにしたのも朝日新聞です。

《女性の話によると、中国東北部で生まれ、17歳の時、200〜300人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れて行かれた。慰安所は民家を使っていた。5人の朝鮮人女性がおり、1人に1室が与えられた。女性は「春子」(仮名)と日本名を付けられ、毎日3、4人の相手をさせられた、という。「監禁されて、逃げ出したいという思いしかなかった。相手が来ないように思い続けた」という。》(朝日新聞東京版1991年8月12日、大阪版は前日付)

 この記事が、従軍慰安婦問題を大きく育てた記事だとされています。ちなみにこの記事を書いた記者の妻は、韓国「太平洋戦争犠牲者遺族会」常任理事の娘だそうです(『WiLL』2007年8月増刊号、西岡力「すべては朝日新聞の捏造から始まった」による)。
 また、金学順さんは強制連行されたのではなく、単に貧困のため、親に売られただけでした。

従軍慰安婦博物館
目立つ場所に飾られた元慰安婦・金学順さんの絵


 ちなみに、従軍慰安婦という言葉を最初に使ったのは、千田夏光という毎日新聞出身の作家で、「女子挺身隊に動員された女性20万人のうち、5〜7万人が強制的に従軍慰安婦に従事した」(『従軍慰安婦 正編』)との事実誤認に基づく記述から、従軍慰安婦が20万人いたという話に拡大していきました。
 また、以後、「女子挺身隊」と「従軍慰安婦」を意図的に混乱させて使う記事が再生産されていきます。

 さて、韓国は、最近になって、従軍慰安婦の英文名称を 「性奴隷」に変更することを検討しています(聯合ニュース、2012年7月16日)。
 戦争で苦しんだ同じ民族の老婆を「性奴隷」と表現してまで日本を攻撃するのは、なんだか本末転倒な気もしますが、とにもかくにも日本軍はタダで慰安婦を強姦し続けたと主張したいみたいです。

 で、これについては、昭和13年(1938)2月7日、上海・揚家宅にできた慰安所に掲げられた「慰安所規定」全文を書いておきます。これは軍医だった麻生徹男氏が撮影した写真から書き起こしたものですが、写真が不鮮明なので、一部推測を含みます。

従軍慰安婦博物館
慰安所規定

慰安所規定

一、本慰安所には、陸軍々人軍属(軍夫を除く)の外、入場を許さず。
  入場者は慰安所外出証を所持すること。
一、入場者は必ず受付において料金を支払い、之(これ)と引替に入場券及「サック」一個を受け取ること。
一、入場券の料金、左の如し
   下士官・兵・軍属 金二円
一、入場券の効力は当日限りとし、若(も)し入室せざる時は現金と引替をなすものとす。
  但し、一旦、酌婦に渡したるものは返戻せず。
一、入場券を買い求めたる者は、指定せられたる番号の室に入ること。但し時間は三十分とす。
一、入室と同時に入場券を酌婦に渡すこと。
一、室内に於ては、飲酒を禁ず。
一、用済みの上は、直に退室すること。
一、規定を守らざる者、及、軍旗風紀を紊(みだ)す者は退場せしむ。
一、「サック」を使用せざる者は接婦を禁ず。
一、入場(時間?)
   兵     自午前十時 至午後五時
   下士官軍属 自午後一時 至午後九時
但し(?)
1 ●●●●●に依り時間の変更をせず。
2 二、八の日は(?)検診日に付、午前は休業す。

昭和十三年十二月三日(?)
東兵站司令部

 戦争と性の結びつきをただ単に否定してもしょうがないわけで、それを前提とした管理売春への努力があったことがわかりますね。

従軍慰安婦博物館
性病検査に使った検査台と慰安所の玄関。翻訳には「兵士から暴力、拷問、心中の強要といった虐待を受けた。性病、妊娠、疾病などが確認されると、施術や堕胎を強制された。軍人から麻薬を注射されたり、苦痛から逃れるために麻薬に依存したりするケースもあった」


 なお、パネルに転載された写真を撮影した麻生氏の『上海より上海へ』には、以下のように書かれています。

《かくして上海軍工路近くの楊家宅に、軍直轄の慰安婦が整然とした兵営アパートの形式で完成した。(中略)やがて、これに呼応して民間側にても、江湾鎮の一角に数軒の慰安所が開設されるようになった。この方は普通の民家を利用した建物構造で衛生管理、消毒施設などははなはだ不徹底で、絶えず管理医官たる私の御小言を頂戴していた。しかし、サービスは前者に比べると良いらしく、その看板の謳い、殺しの文句にも、
   聖戦大勝の勇士大歓迎
   身も心も捧ぐ大和撫子のサービス
 という具合にて前者の官僚統制型に比べて、いかにも自由企業的雰囲気であった》


 この文章を見る限り、やっぱり「性奴隷」というのは無理がありますな。

戦争と女性の人権博物館
韓国が主張する「性奴隷」の皆さん


制作:2012年7月22日


<おまけ>
「戦争と女性の人権博物館」の着工式は2009年3月8日に行われたんですが、韓国から33団体400余名が参加しています。そして、このとき日本からも60数名が参加してるんですね。
 博物館の日本建設委員会のサイトによると、寄付者一覧には多くの日本人名が記載されています。また、JRやNTT労組なども寄付をしていることがわかります。
 あーそっか、従軍慰安婦問題はもともと日本と韓国の国際問題なんじゃなくて、本当は日本国内の左翼との政治問題だったんだとわかります。

 ちなみに、1997年2月7日、慰安婦27人が「氏名未詳者多数」を対象に、責任者処罰を求める告発状を東京地検に提出するんですが、この告発状の日本の連絡先が「日本キリスト教協議会女性委員会」となっています。住所は新宿区西早稲田2-3-18。実はこの場所には「女たちの戦争と平和資料館」から「在日韓国人問題研究所」までいろんな団体が集まっています。検索してみると面白いかもね!

従軍慰安婦博物館

「戦争と女性の人権博物館」日本建設委員会のサイトより、寄付者一覧

広告
© 探検コム メール