連合艦隊・司令長官
山本五十六「国葬」へ

山本五十六
山本五十六、生前最後の姿


 中越地震で大きな被害を受けた新潟県長岡市ですが、この町は山本五十六・連合艦隊司令長官の生まれ故郷です。地震で菩提寺(長興寺)にあった墓が倒壊したのですが、遺族は復興で忙しい地元の人たちに迷惑をかけたくないと、あえて修復をしなかったといいます。
 さすが、
「苦しいこともあるだろう、言いたいこともあるだろう、不満なこともあるだろう、腹の立つこともあるだろう、泣きたいこともあるだろう。これらをじっとこらえていくのが男の修行である」
 と言った五十六閣下の遺族です。
 結局、墓は命日(4月18日)の直前に修復されましたが、それは実に倒壊から半年ぶりのことでした。
 
 そんなわけで、さっそく元帥の墓を見に行ってみました。

山本五十六
こちら元帥の墓

 長岡市には、元帥の生家も残されていますが、見てビックリ。ほとんど掘っ立て小屋なんだもん。まぁ、元帥はもともと貧乏士族・高野家の人間で、大正5年(1916)、旧長岡藩家老の山本家を継いだので、しょうがないと言えばしょうがないですが。
 なお、この生家は、昭和20年8月1日の長岡空襲で焼失し、昭和33年(1958)に再建されたものです。

山本五十六
山本五十六長官の生家

 余談ながら、この長岡空襲の12日前(7月20日)、市内に1発の爆弾が落ち、4人が死亡しました。この爆弾はたった1発で直径15メートル、深さ5メートルの穴を開け、その穴は地下水で池のようになったといわれています。
 実は、この爆弾、長崎に投下された原子爆弾と同じパンプキン型の同型品(4.5トン)で、原爆の投下訓練として、長岡に落とされたものでした(ちなみにこの模擬原爆、日本国内49カ所に落とされたそうです)。

 長岡が狙われたのは、交通の要衝だったとか兵器工場が多かったとか石油が出たとかいろいろ理由がありますが、やっぱり真珠湾攻撃を指揮した山本長官のお膝元というのも大きな理由ではないかと思うんだけど。


 さて。
 生家の近くには山本五十六記念館がありました。狭い館内の中央には、巨大な翼が展示してあります。
 山本五十六は、昭和18年(1943)4月18日、ブーゲンビル島(現ブーゲンビル自治政府、旧パプアニューギニア)の上空でアメリカ軍のP38戦闘機に撃墜されました。この翼は、長官が乗っていた一式陸上攻撃機の左翼だったのです。

山本五十六長官機
長官機の左翼(本物)


 俺はまだ行ったことないですが、山本長官機の落ちた場所はものすごいジャングルで、とても普通の人間はたどり着けない場所だと聞いていました。長官機の里帰りプロジェクトの記録(『翼は還る』)によれば、こんな感じ。

《10メートル先を行く村人を見失うほどのジャングルには、ところどろこに目から火の出るようなファイヤーツリーがある。これに触れるとたちまち皮膚が赤くはれ、痛さと痒さに悩まされる》

 ファイヤーツリーとやらをぜひ1度見てみたいですが、まさか長官機の翼が展示してあるとは思いもよりませんでした。

ブーゲンビル島で活躍する日本軍 ブーゲンビル島で活躍する日本軍
ブーゲンビル島で活躍する日本軍


 長官は撃墜された翌日遺体で発見され、現地で荼毘に付されました。長官の訃報はおよそ1カ月間、5月21日まで国民に隠され、6月5日、日比谷公園で国葬が行われました。葬儀委員長は米内光政海軍大将、司祭長は塩沢幸一海軍大将。葬場には、東條英機首相や満州国、枢軸国の大使ら、約1500人が参列していました。

山本五十六国葬
これが長官の国葬だ!
(水交社から日比谷公園への葬列)
 

 元帥(死亡時は海軍大将)の死亡を報じる朝日新聞には、米内光政が、こんな追悼の言葉を書いてます。

《不思議だと思ふのは4月に実にはっきりした夢を見た、何をいったか忘れたが、今でも顔がはっきりする夢を見た、をかしいなと思ってゐたが、まさかかうなるとは思はなかった》(朝日新聞1943年5月22日)

 死ぬと魂が親しい人の夢枕に行くといいますが……ロンドン軍縮会議に同行し、日独伊三国軍事同盟に反対した“海軍左派”の「同志」2人の、なんとも不思議な縁でした。

制作:2005年10月31日


<おまけ>
 山本長官の撃墜死は、歴史用語では「海軍甲事件」と呼ばれます。山本五十六の後に連合艦隊の司令長官になったのは古賀峯一で、こちらは1944年3月31日に悪天候に遭遇し、墜死しています(発表は4月5日)。こちらは「海軍乙事件」。
 山本長官の撃墜は米軍が日本軍の暗号を解読していたから起きたわけですが、先に触れた山本長官の死亡を報じた朝日新聞には、
《米国側は山本長官の戦死の事実をわが大本営発表によって始めて知ったものと見られる》
 とあります。日本軍はまさか暗号が解読されているとは思ってもみなかったのです。

 一方、海軍乙事件では、米軍に作戦と暗号が書かれた機密文書を奪われてしまいますが、信じられないことに日本軍はそのまま暗号も変えず作戦を実行し、惨敗を被ります。彼我の情報意識の差に愕然とするばかりなのでした。

山本五十六
航空隊を見送る山本長官

<おまけ2>
 国葬の司祭長を務めた塩沢幸一大将の実家は、あの養命酒の会社です。山本長官は同期で親友だった彼のことを、ずっと「養命酒」と呼んでいたとかいないとか。

広告
© 探検コム メール