愛知万博「海上の森」を行く

愛知万博海上の森
これが海上の森


 2005年3月25日から同年9月25日まで愛知県で開催された愛知万博(「愛・地球博」)。テーマは「自然の叡智」でしたが、その言葉通り、瀬戸会場の隣には、広大な森が広がっていました。これが「海上(かいしょ)の森」で、約2000ヘクタールもある豊かな里山です。地形はなかなか変化に富んでいて、絶滅危惧種のオオタカや東海地方固有種を含む3000種以上の動植物が確認されているんだとか。
 ちなみに、縄文時代には、このあたりまで海が迫っていたため、「海上」の名前になったと言われています。
 
 というわけで、本サイトは万博の開幕直前にこの森に行ってみました。
 
 2004年6月、海上の森に入ると、巨大なパビリオンが建設中でした。これが瀬戸会場の中心となる瀬戸日本館。なんだか環境を謳うわりには、ずいぶんと森を切り開いてますが……まぁ、それは言いっこなしですね。

愛知万博海上の森
大規模工事中
 
 で、こちらが森の中央にある大正池。この日は霧雨が降ってたんですが、本当に幽玄でいい感じの池でした。素晴らしい森ですな。こんな森が名古屋から20kmの場所に残っているなんて、奇跡みたいなもんです。

愛知万博海上の森
こちらが大正池

 
 実は、当初、この森が愛知万博の会場でした。つまり、この森を完全につぶしてパビリオンを作る予定だったのです。ところが、地元などの大反対で、なんとか生き残ったのです。
 このあたりのことを、愛知万博の裏側を徹底的に書いた『虚飾の愛知万博』という本で見てみましょう。

《愛知万博の会場候補地として、瀬戸市の海上の森の名前が上がったとき、県は「新住事業」に準ずる事業として用地買収を行うと発表した。……単に宅地を供給するというのではなく、道路、公園、学校なども含めて整備し、大規模な住宅市街地を供給しようという事業だ。つまり、ニュータウンをつくるための事業である》
 
 要は、森をつぶして万博を開催、閉幕後に大規模な町を作る計画だったわけ。しかも、近辺の多くの土地は、地元有力者の所有だったそうです。うーむ、権力者ってすごいな。

 1995年にまとめられた新住事業では、万博会場中心部の250ヘクタールを2500戸、7500人が住む町として開発する予定でした。ところが、反対運動の激化で、1997年には150ヘクタール、2000戸、6000人の街に縮小されることになりました。
 
 愛知県は「新住事業」を強引に推し進めるのですが、2000年1月14日、中日新聞がとあるスクープを打ったことで、計画は中止に追い込まれます。博覧会国際事務局(BIE)のロセルタレス事務局長が、通産省との会談で、愛知万博を痛烈に批判したのです。
 
《当初は丘陵地での開催と聞かされていた。実際に見ると、山の中。跡地も、環境と同化したリサーチセンターだと聞かされていたが、実際は山を切り崩す宅地造成計画だった。「愛知万博は自然破壊につながる大規模開発の隠れみのだ」というのが、WWF(世界自然保護基金)をはじめとする世界的な環境団体の主張だ。あなた方は地雷の上に乗っていることをよく自覚すべきだ》(中日新聞)

 地雷とはまた強烈な言葉です。それにしても、おそるべし愛知土建王国。
 
 かくて、愛知県は海上の森の開発計画を中止、メイン会場を近隣の愛知青少年公園に移すことで、万博の認可を受けたのです。この過程で、当初「産業博」だった愛知万博が、いつのまにか「環境博」に変わってしまったのでした。
  
 というわけで、続いて万博の反対運動が激化してるころの海上の森に行ってみるよ。

愛知万博海上の森
森の入口にはさまざまなビラや垂れ幕が


 2000年2月、愛知県がもっとも揺れてたころの海上の森。入口付近の大きな木に、こんな札がついていました。

愛知万博海上の森
これが無節操の木

 当初、森を守ると言って無党派で当選しておきながら、いきなり自民党に鞍替え、万博賛成に回ったタレント国会議員・末広まき子が、立木トラストで名札をつけた木です。いつのまにか名札をはずしたことで、「無節操の木」と言われているとか(笑)。
 
《末広が、参院運輸委員としてJR東海首脳に会った際、……時間は40分ほどだったが「半分以上は自分の食品会社の商品を、何とかJRで売りたいという話だった」という》(中日新聞1998年6月23日)

 すごいぞ、末広議員。公私混同はやっぱり国会議員の基本ですな。で、
 
《元支持者や万博反対派は、「公約違反の末広まきこを辞めさせる会」を結成、辞職を求める署名を集めた。そして、1998年6月、公約違反でまきこ氏を名古屋地裁に提訴した(結果は棄却)。……まきこ氏は、2001年4月に参議院選挙に再び立候補したが、「落選させる会」などの活動もあり、あっけなく落選した。こうして、万博反対運動は、いつのまにか方向性を見失い、万博ともども迷走していったのである》(『虚飾の愛知万博』)

 さて。反対運動のさなかの海上の森に話を戻しましょう。
 当時、森の中には、反対派が住んでいたんですが、その人に話を聞いてみると、こんな返事でした。
 
「ここ海上の森には隠されていた武田信玄公の墓があります。物証や史跡などが残っているにもかかわらず、愛知県や瀬戸市による正式な調査はいまだ行われていません。宅地開発のターゲットになっている海上から、文化財などが今さら出てきて欲しくないというのが本音なのではないでしょうか?
 早急に文化財の調査から始め、宅地開発を中止し、世界にごまかしのない万博を作り上げて欲しい」
 
 いいこと言いますね。なお、この人物によると、森の周辺には卑弥呼や聖徳太子の墓もあるとかないとか……。悪人(サタン)による工事が始まれば、地球大異変が起こるそうです……。

愛知万博海上の森 愛知万博海上の森
これが地元住人が建てた「陶龍寺」の看板と「日の本の国大国主命神社」

 まぁ卑弥呼や聖徳太子はともかく、この地が武田信玄とゆかりがあるのは本当のようです。1752年に完成した地誌『張州府志』には、この地が武田信玄の古塁であると書かれているし、森にある「物見山」から武田信玄が尾張一帯を眺め、天下取りを夢想したという、まことしやかな伝説も残っているのです。

愛知万博海上の森
こちらは海上集落“本来の”神棚

 いやー、本当に素晴らしいぞ、海上の森。
 残念ながら、こうした神社なんかはもう残っていませんが、みんなもぜひこの森へ行ってみよう! うまくすれば、信玄軍の亡霊とかに会えるかもよ!


更新:2005年2月26日


<おまけ>

愛知万博 愛知万博海上の森
こちらはメイン会場(旧青少年公園)の工事現場。
『夢みる山』(左)と『ワンダーホイール 展・覧・車』ですね。
観覧車の手前にあるのは、日本初のリニアモーターカーの営業路線。

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