北海道開拓使


開拓史庁舎(明治6年完成)

 

 明治2年(1869)8月15日(旧暦)、太政官布告により「蝦夷地」を「北海道」と呼ぶことが決まりました。

 この年出された「開拓の心得」には
《北海道は皇国の北門最要衝の地なり、今般開拓仰付けられ候に付ては、深く聖旨を奉体し、撫育の道を尽し、教化を広め、風俗を敦(ただ)すべきこと》
 などとあり、遠大な開拓に向けての気概が感じられます。ただし《土人と協和》《開化心を尽す》など、差別意識も強いものでした。

 開拓使長官・鍋島直正は全道を11カ国に分け、各藩に命じて開拓命令を出しています。熊本藩は根室、佐賀藩が釧路、高知藩(廃藩置県後なので土佐ではありません)が石狩といった具合。まさにこの時点で、北海道利権が成立したともいえるのでした。
(もっとも当時の北海道は単なる荒れ地で、利権どころじゃなかったでしょうけど)



 
左:札幌・創成川付近(明治5年?)
右:小樽・入船町付近(明治14年)


千歳原野の区画貸付(明治27年)




制作:2002年3月11日