北海道開拓使の誕生

北海道旧本庁舎
北海道庁旧本庁舎


 明治2年(1869)8月15日(旧暦)、太政官布告により「蝦夷地」を「北海道」と呼ぶことが決まりました。

 この年出された「開拓の心得」には、

《北海道は皇国の北門最要衝の地なり、今般開拓仰付けられ候に付ては、深く聖旨を奉体し、撫育の道を尽し、教化を広め、風俗を敦(ただ)すべきこと》

 などとあり、遠大な開拓に向けての気概が感じられます。ただし《土人と協和》《開化心を尽す》など、差別意識も強いものでした。

 開拓使長官・鍋島直正は全道を11カ国に分け、各藩に命じて開拓命令を出しています。熊本藩は根室、佐賀藩が釧路、高知藩(廃藩置県後なので土 佐ではありません)が石狩といった具合。

士族が多かった北海道開拓団
士族が多かった北海道開拓団


札幌・創成川付近
左:札幌・創成川付近(明治5年?)


小樽・入船町付近
小樽・入船町付近(明治14年)


 その後、北海道の未開地は、明治30年に施行された「未開地処分法」によって、開拓民に無償で貸し付けされました。
明治36年に刊行された『北海道移住手引草』によれば、開墾用の土地は1人150万坪以下、牧畜用の土地は250万坪以下、植樹用の土地は200万坪以下とされました。

 土地貸し付けの期間は、5000坪未満で3年、1万5000坪未満で5年、10万坪以上で10年。基本的に土地すべてが成功しないと、更新はありません。

 ちなみに、北海道は新開地だけに金融の利息が高く、通常の銀行金利で年利1割から2割、民間の貸借で月2分から3分でした。高利貸しにいたって は月5分以上もあり、多くの開拓民が借金に追われて破綻するのでした。

千歳原野の区画貸付
千歳原野の区画貸付(明治27年)


 なお、明治6年(1873)に建てられた「開拓使」札幌本庁舎は、明治12年、焼失しました。そして、その跡地に、明治21年(1888)、アメリカ風のネオ・バロック様式で北海道庁旧本庁舎(冒頭の写真)が建てられました。

北海道開拓使仮庁舎
北海道開拓使仮庁舎

北海道開拓使庁舎 北海道開拓使庁舎
北海道開拓使庁舎の上棟式(明治6年、北海道立文書館の展示より)と外観


広告
© 探検コム メール