制作:2002年8月4日
<おまけ>
NHKスペシャル『学徒兵 許されざる帰還』によれば、特攻機には欠陥機が多く、機体不良などで引き返してきた特攻兵が相当数いたようです。
彼らは“死に損ないの軍神”だったため、士気に影響しないよう、「振武寮」と呼ばれた建物に隔離されました。これは福岡女学院の寄宿舎を第6航空軍司令部が接収して設置したもので、終戦までのわずか2カ月間しか存在していません。
寮内では上官が罵声と暴力で、帰還兵の“再教育”を繰り返しました。この寮の実態を調査したノンフィクション作家、林えいだい氏は、特攻隊の編成を担当し、寮内で特攻兵を暴行した倉沢清忠少佐に、生前取材しています。
《「やれやれ主義で隊員の心情をくみ取る思いやりが足りなかった。彼らを国賊のようにののしった自分が恥ずかしい」と涙ぐみさえした。たばこを持つ手がぶるぶると震えていた。そして、こう告白した。
「80歳まで、護身のためピストルに実弾を込めて持ち歩き、家では軍刀を手放さなかった」
多くの若者に“散華”を強いた軍高官として、戦後も元特攻隊員や遺族の報復におびえ続けていたのだった。
林の取材が終わると、倉沢は穏やかな表情に変わっていた。
「戦後、ずっと胸につかえていたものを全部吐き出して、すっきりした。わたしの戦後の区切りがついた」
それから2週間後に死去。86歳だった》(共同通信2007年4月27日)