黎明期の「日本の空」
世界初飛行の栄冠は誰の手に?

表具屋幸吉
表具屋幸吉の勇姿

《空を飛ぶということは、いつの世にも自然の理に反したことなのです。人間が空を飛ぶ時、それは死を覚悟した時でなければならない。いいかえるならば、死んでもいいから空を飛びたいと強く望む人間だけが空を飛ぶ権利を持つ》(筒井康隆『空飛ぶ表具屋』より)



 世界で最初に空を飛んだ人間は誰か? 
 この答えは簡単で、フランス人のダルランド侯爵とロジェという若者です。1783年11月21日、モンゴルフィエ兄弟が作った世界初の熱気球に乗船、約25分間の飛行に成功しました。

 では、気球を使わずに、最初に空を飛んだ人間は誰か? ライト兄弟? 違うんだなぁ。
 ライト兄弟は1903年12月17日、世界初の「動力付き飛行機」に乗って飛行に成功(59秒、260m)しましたが、「動力なし飛行機」で成功したのはドイツ人のリリエンタール。要はグライダーの元祖で、1893年か94年ごろだとされています。

ライト兄弟の「動力付き」飛行機
ライト兄弟の「動力付き」飛行機
 

 でだ。
 実はこのリリエンタールより100年も昔に、日本で空を飛んだ人間がいます。その男の名は浮田幸吉。表具屋だったため、「表具屋幸吉」と言われた人物です。
 岡山県玉野市で生まれた幸吉は、今から220年前の天明5年(1785年)7月 、岡山城下・旭川に架かっていた京橋から、颯爽と空に舞いました。
 橋の高さは10mほどで、そこから数十m滑空し、宴会客のいる河原を経て土手に墜落しました。当時29歳の快挙です。

 幸吉の飛行理論は簡単で、「鳥の羽と胴体の比率を自分に当てはめて翼を付ければ、空を飛べる」というものです。それで竹で作った骨格に和紙を張り付けて翼を制作したのでした。
 

 しかし、時代が時代だけに、幸吉は岡山藩からとがめられ、所払い(追放)となってしまいます。
 幸吉はその後、今の静岡市に移り住みますが、安倍川でも飛行に挑戦します。で、ここも所払いとなって、今の磐田市に移りました。この地で91歳で没したとされますが、静岡で68歳で没したという説もあり、晩年はいまいち定かではありません。

 
 さて。
 幸吉の伝説が流布する一方で、実はそれより前の琉球で、世界で始めて空を飛んだ男がいたとも言われます。
 それが安里周当で、琉球王朝の花火師でした。後に「飛び安里」と呼ばれますが、幸吉より早い1780年頃には空を飛んだとされています。
 もっとも、両者ともに正確な記録があるわけではないので、どっちが世界初かは微妙なところですな。



 一方、ライト兄弟になり損ねた男が愛媛県八幡浜市にいました。
 1891年にゴム動力付き模型飛行機を作った二宮忠八です。忠八は、軍隊入営後、カラスをマネれば飛行可能だと考え、実験を始めます。そしてカラスのような尾翼をもったプロペラ式の模型飛行機を作り上げ、35mほどの飛行に成功しています。

カラス型1号器
カラス型1号器の模型

 さらに1893年には、人力でプロペラを回す「玉虫型飛行器」を構想します。これは玉虫が前羽で浮かび、後羽で推進する様子にヒントを得たものでした。忠八は軍部に「玉虫型飛行器」の実験を何度も申請しますが、参謀長の長岡外史は全く相手にしませんでした。

 結局、忠八は軍を辞め、製薬会社で働いて1万円の資金を貯めます。そして、いざ実験を始めようとしたとき、ライト兄弟の初飛行の話を聞いて、開発を中止するのです。
 その後、忠八は京都府八幡町に飛行神社を開き、航空機で命を落とした人間を祀るのでした。
 
 というわけで、まずは忠八の開発した日本初の動力付き飛行機を見に行ってみたよ。故郷の八幡浜や京都八幡の飛行神社には関連資料があるようですが、今回は小松空港に併設された石川県立航空プラザへ。ここには設計図から復元された原寸の「玉虫型飛行器」が展示されているのです。

玉虫型飛行器
これが日本初の人力飛行機「玉虫型飛行器」だ!

 
 意外に大きいというのが最初の感想でしたが、正直、これで飛ぶのかよ??とも思いました。現代のグライダーそっくりですが、自分で飛べと言われたら、ちょっとイヤだな。



 さて、日本で最初に動力飛行機で空を飛んだのは、日本陸軍の日野熊蔵でした。1910(明治43年)年12月14日のことです。この日、日野大尉の乗ったドイツ製単葉機ハンス・グラーデは代々木練兵場の滑走路を駆け出し、ふわりと空を飛びました。飛行距離25m。第2回目は60m。まさに歴史的な瞬間です。
 翌日、公開試験飛行が行われ、日野は再び50mの飛行に成功しています。

日野大尉の飛行機
これが日本初の飛行に成功した日野大尉の飛行機


 ところが、なぜか日本では「日本初飛行の日」が12月19日とされています。何でかというと、この日に陸軍の徳川好敏大尉がフランス製複葉機アンリ・ファルマンで3000mを飛行しているからです。同じ日、日野も700mの飛行に成功してるんですが、軍としては「徳川」の血を引く人間に栄誉を与えたかったということでしょう。
 わかりやすいというか何というか。

徳川大尉が乗った飛行機
こちら徳川大尉が乗った飛行機


 さて、最後に、日本初の墜死について書いておきましょう。
 本邦初の航空機墜落による死者は、大正2年(1913)3月28日の徳田金一郎歩兵中尉と木村鈴四郎歩兵中尉です。青山練兵場で開催された軍の飛行展覧会でデモンストレーションを行った後、所沢に向かう途中で墜落死しました。

本邦初の航空機墜落
墜落地点に立てられた記念碑


 一方、日本初の民間の事故死は、同じ年の5月4日のことでした。大阪朝日新聞社主催の京都ー大阪連絡飛行大会に参加した武石浩坡が、成功後、京都・深草練兵場に帰還したときに墜落死しました。

本邦初の航空機死亡事故
これが事故現場だ!

 航空機が安全になるのは、まだまだずっと先のことでした。

制作:2005年7月21日


<おまけ>
 世界で初めて?空を飛んだ鳥人幸吉ですが、1997年、ようやく故郷の岡山県玉野市で「所払い」が解かれました。そのときの「本村戻り式」では、旧岡山藩池田家の当主が空中飛行を「科学的発展に対する先見の明」などとたたえたそうです。
 212年ぶりの名誉回復で、ガリレオみたいでおもしろいですな。

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