漫画の歴史
江戸時代:草双紙の世界

草双紙
歌舞伎・狂言を解説した草双紙。手前は主演の花井才三郎


 江戸時代(1603〜1867)の中・後期以降、庶民向けの草双紙(くさぞうし)という絵入り本が多数出版されました。
 草双紙はおとぎ話など子供向け(「赤本」)から始まり、歌舞伎や浄瑠璃の内容紹介(「黒本」「青本」)など次第に大人向けの内容になっていきます。

 そして、シャレや流行語の多用、荒唐無稽な筋、世相や事件などをテーマにした「黄表紙(きびょうし)」へと進化します。文字通り、表紙は黄色で、1775年(安永4年)に刊行された恋川春町(こいかわはるまち)の『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』を嚆矢とし、以後、大流行します。挿絵には「吹き出し」のようものが描かれるなど、現代の漫画にも通じる表現技法を持っていました。

 黄表紙の有名作家といえば、山東京伝(さんとうきょうでん)。葛飾北斎も若い頃は黄表紙本の作者でした。
 この黄表紙は、10年ほど経つと幕府の取り締まりのせいで内容が固くなっていき、ついには教訓や道徳ものばかりとなってしまいます。そして内容は敵討物が中心となりました。『東海道中膝栗毛』の十返舎一九は、この頃デビューしています。

 さて、敵討物をきっちり読ませるには長い文章が必要となります。つまり、シャレや文体のおもしろさではなく、ストーリーを追うことになり、絵本から長編小説に進化していきます。本もどんどん厚くなり、「合巻(ごうかん)」という形になりました。合巻は伝奇色が濃厚で、ここで妖怪などが頻繁に登場するようになります。漫画的に言えば、派手な表紙やコマ割りなどの要素があげられます。式亭三馬あたりが有名作家ですな。

 さらに文字重視になると「読本(よみほん)」となり、もはや絵入りの大河小説のようになります。『南総里見八犬伝』の滝沢馬琴は読本の流行作家です。この読本文化は明治初期まで続きますが、やがて夏目漱石などの新聞小説などに変貌していくのでした。

 
 そんなわけで、合巻や読本から、奇想の挿絵を大公開していきます!



 まずは文化5年(1808)の読本『近世怪談 霜夜星』から葛飾北斎の挿画です。
 ごく簡単にストーリーをまとめておくと……

 上総(千葉県南部)のお花と伊兵衛は恋人同士だが、お花は身売りされ、伊藤快保の側妾(そばめ)となる。伊兵衛はお花をあきらめ、ブスのお沢と結婚するが、奇跡的にお花と出会い、愛が復活。物わかりのいい伊藤は2人を結婚させようとするが、お沢が邪魔だ。
 そこで、伊兵衛がギャンブルにハマり、放蕩を演じると、お沢は身投げして自殺。めでたくお花と伊兵衛は鎌倉で結婚するが、そこに蛇となったお沢の怨霊が襲いかかる……というものです。


 ちなみにこの話は鶴屋南北の『東海道四谷怪談』と似ていますな。登場人物も伊右衛門とお梅、醜いお岩、伊藤とそっくり。それもそのはず、実は元禄時代に起きた実際の事件(失踪事件?)が、享保12年(1727)に『四谷雑談集』としてまとめられ、それがこの話と四谷怪談の元ネタとなったからです。

草双紙
参考:『四谷怪談後日談』よりお岩登場の場面(これは渓斎英泉の画)


 
 さて、まずは
「おさはがおんねん、へびとなりて、わるじゑをかせしくわんじをうらむ」と題された挿絵。漢字で書くと「お沢が怨念 蛇となりて 悪知恵を貸せし 観次を恨む」ですな。観次というのは、伊藤家の食客で、伊兵衛に放蕩を演じるようアドバイスした人間です。

草双紙
観次の薬籠についていたカエルの根付(今でいう携帯ストラップ)に襲いかかるお沢の怨念


草双紙
鎌倉の伊兵衛宅に現れたお沢の怨霊は、伊兵衛の撃った鉄砲に一時撤退


草双紙
お沢の怨霊と伊兵衛とお花。お花が止めているのは、怨霊が見えないため


怨霊草双紙
お沢の怨霊に村人が恐怖におののく

 すばらしいですな、北斎! まさに今のマンガに通じる迫力です。

<おまけ>
 冒頭に掲載した草双紙は、多分、歌舞伎狂言『阿国御前化粧鏡(おくにごぜんけしょうのすがたみ)』の解説本です。名古屋山三郎と不破伴左衛門が女をめぐって争うという歌舞伎の「不破名古屋物」という世界観のなかで、憤死した阿国御前が亡霊になって登場するという……このあたり、みんな四谷怪談的な話が多いですな。

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