進化する「脅迫状」

脅迫状
朝日新聞に送られた「みずほ銀行創設者」への脅迫状(1921年)


 日本の探偵小説やSFの開祖である海野十三(うんのじゅうざ)の作品には、たくさんの脅迫状が出てきます。
 たとえば闇成金の苅谷勘一郎氏のもとに烏啼天狗という奇賊から送られた脅迫状はこんな感じ。

《脅迫状。拝啓、来る11月11日を期し、貴殿夫人繭子(まゆこ)どの を誘拐(ゆうかい)いたすべく候間お渡し下されたく、万一それに応ぜざるときは貴殿は不愉快なる目に遭(あ)うべく候。右念のため。草々敬具。烏啼天狗生拝》

 この慇懃な脅迫状は「真蹟」と書かれてるので、手書きだということがわかります。見方を変えれば、脅迫状は一種の手紙だともいえるわけです。

 718年に制定された「養老律令」には「脅迫罪」が規定されているので、脅迫自体は古代からあったことがわかります。
 ではいったい最古の脅迫状は何か? これは調べたんだけど、さすがによくわかりません。そこで近現代の例を見てみると……。

 幕末に来日したジョン・レディ・ブラックの『ヤング・ジャパン』には、殺された井伊直弼の後に老中となった安藤対馬守(安藤信正)の邸宅の門に、脅迫状が貼られたと記録されています。1861年8月17日のことで、実際、半年後に安藤は浪士から襲撃を受けています。
 脅迫状に書かれた内容はよくわかりませんが、ただ、この場合はテロの宣言みたいなもので、一般的には脅迫状ではなく斬奸状(斬姦状=ざんかんじょう)といいます。

 たとえば大久保利通暗殺の斬奸状には、
「公議を杜絶し、民権を抑圧し、以て政事を私する。無用の修飾を主と し、国財を徒費する。慷慨忠節の士を疎斥し、以て内乱を醸成する」
 と書かれています。

 また、現在のみずほ銀行や損保ジャパン、明治安田生命保険を創設した安田善次郎への斬奸状には、
「巨富を作すと雖(いえど)も富豪の責任を果さず。国家社会を無視し、 貪欲卑吝にして民衆の怨府(えんぷ)たるや久し……」
 と書かれています(冒頭の写真)。

 考えてみると、こうしたテロの話をのぞくと、脅迫状(=手紙)というのはかなり個人的なものなので、なかなか記録に残らないものなのかもしれません。


 脅迫状といえば誘拐を思い浮かべますが、実際の事件ではどうだったのか?

 1955年に起きた人気芸人トニー谷の長男が誘拐された事件では、身代金200万円を要求する脅迫状が速達で届きました。
「戦後最大の誘拐事件」といわれた1963年の「吉展ちゃん誘拐殺人」では、脅迫状ではなく電話で身代金が要求されました。ちなみにこの事件で初めて報道協定が結ばれ、また刑法に「身の代金目的略取」という条項が追加されました。
 この直後に起きた狭山事件では、「刑札(警察)にはなすな。子供死出 死(しんでし)まう」などと書かれた脅迫状が玄関に置かれていました。

 狭山事件は冤罪がささやかれているので例外だとしても、一般的に手書きの脅迫状というのは犯人に結びつきやすいのは言うまでもありません。

 そこで、脅迫状も進化を遂げます。よくある活字を切り抜いたものから、和文タイプライターに変わっていくのですな。冒頭で触れた海野十三も『大脳手術』ではタイプ式の脅迫状を登場させています。

《開封してみると、それは果して怪しい文書であった。全文は、邦文タイ プライターによる平仮名書であった。その文に曰く、
 “やみかわ、きちんど に けいこくする。こみや、たまこ は、きみ のうつくしいあしを、わかみや、どんちき よりかいとった。そしてそのあしは、かのじょのかねてあいするおとこへささげられた。こんごゆだんをすると、とんでもないことになるぞ。はやみみせいより”》


 日本で初めて和文タイプを導入しようとしたのは、明治の外交官・山下芳太郎(やましたよしたろう)です。漢字を廃止してカタカナによる日本語の効率化を目指した人で、英文タイプをモデルにしてカナタイプを開発。しかし、現物が届く前に死んでいます。

 国産の邦文タイプライターは、大正4年(1915)、杉本京太が開発に成功し、1917年には日本タイプライターが設立されました。邦文タイプライターは各企業にたちまち採用され、一気に普及していきます。

日本タイプライターのカタログ
日本タイプライターのカタログ(1929年)


 当然のことながら、現実の事件でも脅迫状がタイプ打ちされるようになりました。そのもっとも有名な例が、1984〜5年に起きたグリコ・森永事件ですな。

「かい人21面相」と名乗る犯人から送られてきた脅迫状は、日本タイプライター製の「パンライターP45」型で作られていました。事件までに全国で約1万4300台が販売されていましたが、これだけでは絞り込みができません。

 実はタイプの場合、文字盤の製造過程で活字に微妙な違いが生じるため、徐々に対象機種を絞ることに成功するんですね。
 文字間隔は4.5ミリ、文字の大きさ9ポイント、字体は細丸ゴシック体。「メ」の活字に特徴があるこの文字盤は、茨城県の工場で5000台が生産されていたことがわかります。そしてさらに調査を続けた結果、1982年8月31日に出荷された20台のどれかだと判明します。
 警察は時間をかけて1台1台つぶしていきますが、最後の1台が詰め切れませんでした。1983年1月、東京都千代田区の店で「山下」と名乗る男が購入したことまで判明しましたが、ここで線は途切れてしまったのでした。

邦文タイプライターの文字見本
邦文タイプライターの文字見本(1929年)


 旧通産省傘下の「日本事務機器工業会」によると、邦文タイプライターの国内出荷台数は次のようになっています。

  1984年 約7万台
  1986年 約6000台

 この急激な落ち込みは、言うまでもなくワープロのせいです。1978年、東芝が日本初のワードプロセッサを発表し、1985年頃には個人向けのワープロが花盛りとなります。
 1989年には、ワープロの年間出荷台数が270万台を突破し、同時に邦文タイプは消滅していくのでした。

 グリコ・森永事件の犯行終結宣言から2年ほど過ぎた1987年5月。
 朝日新聞阪神支局に散弾銃を持った男が押し入り、記者1人が撃ち殺されました。赤報隊と名乗る犯人からの声明文は、ワープロで書かれていました。警察は機種を特定しましたが、6300台の所有者から犯人を絞り込むのは不可能でした。なぜなら邦文タイプと違って、ワープロは1台ごとの字体に特徴はないからです。

 日本の邦文タイプ市場をほぼ独占した日本タイプライターは、現在キヤノンの傘下に入り、キヤノンセミコンダクターエクィップメントとなりました。
 赤報隊事件は2003年3月11日時効が成立しました。
 そしてグリコ・森永事件は、2000年2月13日に時効が成立しています。バレンタインデーの前日のことでした。

制作:2009年2月13日

<おまけ>

「脅迫」は「強迫」とも書きますが、この違いは明確ではないですね。法律では、刑法(222条)が「脅迫」を使用し、民法や商法は「強迫」を使用しています。ちなみに養老律令は「恐迫」です。

<おまけ2>
 宮本百合子の『舗道』には、邦文タイプを長い間やってると必ずかかる職業病として肺リンパがあげられています。「力を入れる工合でみんなそうなる」そうですよ。腱鞘炎ならわかるけど、肺リンパとはなぜだろう?
邦文タイプライター

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