ロッキード事件
これが政府の「後手後手」対応だ!

ロッキード事件
全然使えない情報公開法


 昭和51年(1976年)2月4日、ワシントンのダークセン会館で、上院外交委員会の多国籍企業小委員会が開かれました。いわゆるチャーチ委員会です。
 チャーチ委員会では、米航空機メーカーのロッキード社が日本への自社機売り込み工作で、30億円以上の資金を使ったことが暴露されました。
 2日後には、ロッキード社のカール・コーチャン副会長が、丸紅経由で約6億円を複数の政府高官に渡したと証言。
 一体、誰がロッキードの資金を受け取ったのか? 日本中は蜂の巣をつついたような騒ぎになりました。これが戦後日本最大のスキャンダル・ロッキード事件の始まりです。
 
 衆院予算委員会では、2月16日から丸紅や全日空幹部らの証人喚問が始まりました。こうした騒ぎのなか、日本政府はいったいどのような対応を取ってきたのか? 
 本サイトは情報公開法を使って内閣府と外務省の文書を請求してみました。ところが、重要な資料はほとんどすべてが不開示。書類の存在すら公にしない徹底ぶりでした。しかし、開示された資料を見るだけでも、政府の驚くほどぬるい対応が判明したのです。
 というわけで、初公開! これが日本政府の危機管理(笑)の現場です。
 


 内閣府の内部資料によると、2月19日、政府は「ロッキード問題閣僚連絡協議会」(以下、協議会)の設置を決定しています。これは事件の速やかな真相解明を最大の課題とし、総理以下、副総理、法務、外務、大蔵、通産、運輸の各大臣、総理府総務長官、国家公安委員長、さらに防衛庁、内閣官房、内閣法制局の長官が一堂に会し、相互に緊密な連絡を取ろうとするものでした。

 2月20日、協議会の第1回目の会合が開かれます。議題は「今後の対処方針について」と非常に曖昧なものですが、この会合の内容は公開されていません。しかし、同日付で外務省北米一課が「ロッキード社問題(米国への捜査協力等の要請についての考察)」という無期限秘密文書をまとめているので、おそらくアメリカとどのように連携して真相解明を行っていくかが主な議題だったと思われます。

 今回、初めて秘密解除となった「ロッキード社問題(米国への捜査協力等の要請についての考察)」では、日米の捜査協力、税務調査協力、領事による証言録取、司法共助について、前例や法解釈がまとめられています。ことは外交問題だけに、慎重な対応が求められたわけです。ここまでは立派な対応ですな。


ロッキード事件
「ロッキード社問題(米国への捜査協力等の要請についての考察)」

 
 2月23日、衆参両院が事件解明のため、米政府・上院に資料提供要請を決議すると、これに呼応したように、翌日、三木首相がフォード大統領に協力要請依頼の親書を送っています。アメリカ側の内部資料を徹底的に分析した『角栄失脚 歪められた真実』という衝撃的な本によると、その親書は次のようなものでした。
 
《昨日、日本の衆参両院は、この問題に関する重要な決議を採択し、そのコピーを貴国政府にも送付いたします。憲法上の最高機関である国会が、このような決議を採択したことは特筆されるべきで、国会が真相究明をいかに重要視しているかを物語っています。
 わが国の政府関係者がロッキード社から支払いを受け取ったという多国籍企業小委員会での告発は、わが国の政界に大きな衝撃を与えました。もし、関係者の名前が明らかにされず、この件がうやむやにされた場合、日本の民主主義に深刻な打撃を与えるとの懸念が広がっています。私もその憂いを共にいたします。関係者の氏名を含む、全ての関係資料を公表することは、わが国の政治だけでなく、日米友好に貢献するものであります》

 
 つまり、賄賂を受け取った政府高官の名前を教えてくれというのですな。もちろん、そこに田中角栄の名前があれば、三木首相は政敵・田中に致命的なダメージを与えられるから必死です。

●後手後手の対応●
 
 さて、三木首相がアメリカに親書を送った24日の読売新聞に「国税庁がIRS(米国の国税庁)に調査要請」という記事が載っています。実は、就任したばかりの東郷文彦駐米大使はこのことを知らず、外務省に「詳細を教えていただきたい」という至急電報(極秘扱い)を打っているんです。駐米大使が国税庁の調査依頼を知らず、あわてふためいていることがわかるのですが、あまりのコミュニケーションのなさに驚くほかありません。

ロッキード事件
これが極秘扱いのワシントン電


 外務省は翌26日、東郷大使に返電しますが、「特別な調査を依頼したものではない」という気の抜けた返事です。このあたりから政府の対応のまずさがハッキリするのですが、それはさておき。
 
 3月12日、フォード大統領から返事が届きます。これも『角栄失脚 歪められた真実』によれば、

《これらの情報を早まって公表すれば、国内の調査と司法手続きに支障をきたし、最終的に刑事事件の被告になるかどうか関係なく、個人の人権を侵す恐れが存在します》

 と非常に慎重な姿勢だったようです。アメリカ政府は、高官名を明らかにしたら大変なことになると考えていたのです。三木としてはがっかりでしょうが、それでも、3月24日には法務省と米国司法省との取り決めが成立、4月10日にロッキード社の調査資料が日本に到着したのです。
 
 5月10日、協議会は、「政府特使の派米」を決めました。事件究明の鍵を握るロッキード社幹部への事情聴取の可否などをアメリカと話し合うためです。当時の外務省の発表によると、斎藤鎮男特使は、5月14日正午から30分間、国務省でキッシンジャーと会談したことになっているんですが、実は、この会談は外務省のヤラセだというんです。
 国務省会議録を見ると、ハビブ国務次官補が、

《「会談時間は10分から15分で結構とのことです。残りの10分は斎藤を控え室で待機させ、世間には半時間の会談だったと見せます。……斎藤は『キッシンジャー長官が、今回の事件が良好な日米関係を妨げることはないと語ってくれた』と国内で発表したいのです。これは歌舞伎、それも重要な歌舞伎なのです」》

 と語っています(前掲『角栄失脚』)。つまり、会談の時間を意図的に長くして、両国の友好関係を演出したわけです(オイオイ……)。
 5月21日、「特使の帰国報告について」をテーマにした第6回協議会が開かれますが、会談がヤラセである以上、全く中身のない会議だったことは間違いありませんな。みんな「やっぱキッシンジャーには会えないねー」とかなんとか、お気楽な雑談でもしてたんでしょうか?
 
 7月2日、東京地検が丸紅専務を逮捕したのを皮切りに、全日空の社長などが次々と逮捕されていきました。
 そしてついに7月27日早朝、田中角栄が逮捕されるんですが、実はこの日9時20分から第7回協議会の予定でした。ちなみにこの日のテーマは「捜査状況等について」で、これを見ても、政府の対応がすべて後手後手なのがわかって、情けない限りです。
 
●すべて潰れた「再発防止策」●

 三木首相は11月1日、有識者を集めて、「ロッキード事件再発防止懇談会」を開きます。

ロッキード事件
これが三木首相からの案内状


 ここで議論された内容が11月12日、第9回協議会で承認されました。そのポイントは以下の通り。


1 贈収賄罪の規定の整備等
(1)周旋第三者収賄罪の新設
(2)収賄罪の法定刑の引上げ
(3)贈賄罪に関する国民の国外犯規定の新設
(4)賄賂罪の推定規定の新設

2 犯罪捜査等についての条約の整備
(1)日米犯罪人引渡条約の適用罪種の拡大
(2)犯罪人引渡条約締結国の拡大
(3)捜査司法共助法制の整備

3 多国籍企業、海外進出企業の行動規制の強化
(1)多国籍企業の行動の適性化に対する指導を強化するとともに、商法上の諸制度(取締役の責任、株主総会の運営等)の改善等による間接的規制を図る。
(2)国連における多国籍企業委員会等における腐敗行為の防止検討に積極的に参加
(3)OECDの多国籍企業の行動指針等をわが国海外進出企業に遵守方の指導

4 行政の公正確保のための措置の強化
(1)行政指導、行政部内の方針決定等の意志決定の明確化
(2)重要な行政指導の決定等についての体制の整備(省内委員会の設置等)
(3)許認可事項の整理及び処理基準の明確化
(4)物品等の購入に伴う不正の防止
(5)業者の接触等についての綱紀粛正の強化


 なかなか立派ですな。
 で、各省庁が一丸となって再発防止に取り組むかと思いきや、なんと1カ月後に三木首相は、退陣を表明してしまいます(12月17日)。そして、この年のクリスマス・イブ、福田赳夫内閣が成立するのですが、結局のところ、この再発防止策は、ほとんど機能しないまま終わってしまいます。

 昭和52年(1977)になると、ロッキード事件各ルートの公判が始まります。政府は1月31日に「政治・行政の腐敗防止策について」という文書を内輪で回し、各省庁の意見を聞いたりしていますが、それで終わり。いったいなんのためなのかよくわからないまま、この防止策も消滅してしまいます。
 
 昭和53年12月7日、大平正芳内閣が成立。大平首相がいの一番におこなったのは、三木首相が決めた事件再発防止策の進捗状況を調べることでした。しかし、案の定というか、いくつかの法改正があった以外、ほとんど状況は変わっていませんでした。
 ちなみに、このとき防衛庁がP3CやF15購入の際に、不正があったら契約解除できるという誓約書を書かせ始めた云々という報告があるんですが、つまり、それまではそうした契約書もなかったということですね。鷹揚というか、抜けてるというか。
 
 こうして抜本的な再発防止策が取られないまま、昭和54年1月、第2のロッキード事件と呼ばれるダグラス・グラマン事件が発覚します。あわてた大平首相は、5月になって「航空機疑惑問題再発防止関係閣僚会議」を開催しますが、7月17日に鈴木善幸内閣が成立してしまい、これまた防止策は闇に消えてしまいました。
 
 かくてロッキード事件に端を発した不正防止策はみんなどこかへ消えていってしまい、わが国は今も汚職天国なのでありました。おそるべし日本政府、ですな。

制作:2004年12月19日

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