バグダッド・巨大慰霊塔を目指せ!


イラク/アルシャヒード・モニュメント
巨大な「割れた桃」みたいな慰霊塔


 バクダッド中央駅から7kmほど離れたティグリス河畔に、トルコブルーに輝く「THE MONUMENT OF SADAM'S QADISSIYA martyrsS」という殉教者慰霊モニュメントがあります。2枚の蓮の花弁をかたどった斬新な形で、高さは40m。日本の鹿島建設が、総工費270億円をかけて、1983年7月に完成させました。

『イラク戦争 日本の分け前』という本によれば、1970年代から80年代前半(イラン・イラク戦争勃発まで)にかけて、日本企業はイラクにずいぶんと進出していたようです。1979年には、なんと海外での総建設受注額の半分近くがイラクだったそうです。

 しかし、せっかく日本企業がこの地で築いてきた権益は、湾岸戦争と今回のイラク戦争で、すべてアメリカに奪われてしまいました。アメリカがイラク戦争を仕掛けた本当の理由は、やっぱり石油をはじめとするイラクでの利権だったこと、そしていかにイラクがカモにされ、日本が被害を被ったかが、この本を読むとよーく分かるのです。

 というわけで、奪われた日本の国益の象徴として、このモニュメントの画像を初公開します!


 イラク/アルシャヒード・モニュメント
これが玄関

イラク/アルシャヒード・モニュメントイラク/アルシャヒード・モニュメント
講堂と博物館 (内装は高島屋に特注!)


 殉教者慰霊塔は、当初、アルシャヒード・モニュメントと呼ばれ、サダム・フセインのバース党に貢献した殉教者(martyrss)たちを祀るのが目的でした。ところが、イラン・イラク戦争の勃発で主目的が変更、この戦争の殉教者(戦没者)たちのためとなったのです。
 以下、前述『イラク戦争 日本の分け前』より引用すれば、

《慰霊碑の名も変更された。「SADAM'S QADISSIYA」とはイラン・イラク戦争を指している。QADDISIYAとは、まだ中近東が象を使って戦争をしていた時代、イラクがイランとの戦いに勝った土地の名前なのだ。その戦いの地に「SADAM」をつけることで、まだ始まったばかりの戦争が、歴史的な戦争、勝利になるだろうという意味を加えたのだ。サダム・フセインの権威を知らしめ、兵士の士気を高めることも目的だった》

 すごいなー、恐るべしサダム・フセイン。こんな慰霊塔に270億円だもんな。
 ちなみにこの慰霊塔は、アメリカに占領される前はお札にも印刷されていました。イラク人にとって、「靖国神社」みたいなものだったんでしょう。

イラク/アルシャヒード・モニュメント
夜のイルミネーション


 なお、このモニュメントの建造は、イラン・イラク戦争のさなかに行われています。工事中にはイラン軍の空襲を受けることもあり、

《ミサイルが飛んでくるなか、工事は進んだ。ときには、鉄骨に流れ弾が貫通していたこともあった。
「それでも、誰もケガをせずに済みました」》

 まさに苦難の「プロジェクトX」ですね。なお、この慰霊塔は幾多の爆撃に耐え、現存しています。いつか俺も行きたいぞ!

イラク/アルシャヒード・モニュメントイラク/アルシャヒード・モニュメント
工事中の写真。この建築美を見よ!

日本人が初めて見たイラク
制作:2004年3月3日

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