練習船・日本丸の誕生

日本丸
係留保存されている日本丸


 横浜・桜木町駅前のみなとみらい地区に、4本マストの帆船日本丸が係留されています。日本丸は昭和5年(1930)1月27日、神戸の川崎造船所で進水した練習用帆船です。全長97m、その美しい姿から、「太平洋の白鳥」や「海の貴婦人」などと呼ばれました。
 練習船とは読んで字のごとく、船員を養成するための実習訓練船です。日本丸は1984年に引退しますが、その間に育てた実習生は11500人、航海距離は183万km(地球45.4周)にも及びました。


日本丸
資料発見を報じる読売新聞

 さて、本サイトは、今回、第2次世界大戦中の日本丸の訓練日程表など、いくつかの新資料を発見しました。このことを報じた読売新聞(2005年4月15日)によれば、
 
《詳しい記録がほとんど残っていない大戦中の日本丸の“航跡”が分かる貴重な資料で、戦時下を通し、数奇な運命をたどった帆船の過去の1ページが映し出されている》

 という貴重なものです。そこで、この資料の一部を公開しておきましょう。
 
 昭和17年(1942)3月、大日本学徒海洋訓練振興会が「学徒海洋訓練」を行います。日本丸、海王丸、大成丸が参加し、早稲田大学ヨット部など250名が参加しました。今回発見の資料はおそらくこのときのもので、3月24日から1週間の訓練でした。

日本丸
行事予定表


 予定表には次のような日課が記されています。
 
●日課●

5:45 起床
6:00〜7:15 朝礼、体操、課業
7:30 朝食
8:00 整列、国旗掲揚
9:00〜11:30 課業
12:00 昼食
13:00〜15:30 課業
16:00〜16:45 補課(補習)
17:00 夕食
日没 整列、国旗降下
18:30〜19:30 自習
19:45〜21:00 自習(20:00 巡検)
21:15 就寝消灯

 けっこう勤勉だと感心しますが、このときの実際の訓練は、

3/24(火)乗船式、分隊編成、船内案内、座談会
3/25(水)簡易航海術、海図使用法、帆走説明実施
3/26(木)経理学校見学、水路部見学
3/27(金)東京高等商船学校見学、水産講習所見学
3/28(土)無線電信・機関術講義、講演
3/29(日)東京湾航海、巡航訓練、入浴
3/30(月)大掃除、退船式
 
 というものでした。

日本丸
日本丸・機関室見取図


日本丸 日本丸
船の名称一覧(英語)と、記念に配られた絵はがき



 上の予定表を見て気づくことは、海洋訓練なのに、なぜか東京湾にとどまって関連施設の見学が続いていることです。これはいったいどういうことなのか? 

 実は1941年12月に太平洋戦争が始まって以来、外洋航海は中止されていたのです。日本丸は石炭などの緊急物資輸送のため1943年に神戸へ向かうまで、ずっと東京湾内にとどまっていたのでした。
 本当の海洋訓練は、2〜3回にわけて7〜8カ月を洋上で過ごすものなので、わずか1週間では何もできないのは当然なんですが、これで海事思想を普及させるというのも、ちょっと無理がある話でした。

 
 さて、日程表の「講演」に来たのは誰だか不明ですが、今回の資料に元海軍兵学校長・海軍中将の出光万兵衛の訓話がありました。
 それはこんな感じ。

《諸子は各種の学校に学び、諸種の異れる環境の感化を受けて、各様の心情を有するならむも、本海洋訓練に於ては、各自各様の心情の発展を許さず、唯、光輝ある皇国の伝統的海洋精神の一途あるのみなり、是れ本教練の主目的にして、諸子の到達すべき主目標なり》

 いわば、「各自の思想は捨てよ」ということで、一見、厳しい訓練生活が続くようです。俺としては風呂に1回しか入れないのがツライところですが、実際のところ、参加者はどう感じていたのか? 
 その思いを伝える資料はありませんが、実は意外に楽しかったのではないかと思えるんだな。それは、複数あった「船内居住宿泊心得」に、次のような注意が掲げられているからです。

 ●喫煙は指定された場所以外、厳禁
 ●痰や唾を甲板上に吐かない、紙くずなどは塵箱に捨てる
 ●食器は使用後、流し場まで各自運ぶ
 ●船内では口笛・高唱を禁ず
 ●就寝時は静粛にすること


 逆に言えば、実習生はそこかしこでタバコを吸うは、痰を吐くは、高らかに歌うは……これって修学旅行みたいだと感じるのは俺だけではないと思うんだけど。みんな消灯後、枕投げとは言わないまでも、けっこう夜更かしとかしてたような気がします。でないと、睡眠時間8時間半なんてことにはならないでしょう??
 戦時下とはいえ、学生はやっぱり学生。昭和17年くらいまでは内地の人間はまだ余裕があったわけで、それはきっと、意外に楽しかった時代ではないのか? 根拠はないけれど、今回の資料を発掘して、俺はちょっとそんなことを考えたのでした。
 

制作:2005年4月26日


<おまけ>
 もともと日本丸は、キチンとした練習船を持たなかった公立商船学校用として建造されました。東京と神戸の高等商船学校以外では、まともな船がないため、海難事故が多発していたのです。
 東京高等商船学校(現在の東京商船大学)は明治8年(1875)年の設立で、神戸は大正9年(1920)設立。東京高等商船学校は、もともと政府が年15000円の補助金を与えて岩崎弥太郎に作らせた三菱商船学校が元になっています。
 日本丸が現在、三菱重工の旧横浜造船所1号ドックに係留されていることを思えば、時代を結ぶ不思議な糸に妙に感心してしまうのでした。

東京高等商船学校旧1号ドック
東京高等商船学校(明治44年?)と、現在の旧1号ドック



※なお、今回発見した資料は、一括して日本丸のマリタイムミュージアムに寄贈しました。

日本丸のマリタイムミュージアム
こちらは係留記念の記念切符(昭和60年4月国鉄発行)

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