新潟エネルギー街道を行く
あるいは「原油採掘」のはじまり


かつては油田といえば秋田でしたが……(秋田市)



 日本最初の「石油」の記述は『日本書紀』に書かれています。
 西暦668年7月、越国(こしのくに)から「燃える土」と「燃える水」が天智天皇の都・近江宮(琵琶湖の大津)へ献上された、というもの。
「燃える土」は石炭や泥炭という説もありますが、通説ではアスファルト、「燃える水」は石油のことです。越国はもちろん新潟で、旧黒川村(あるいは柏崎市西山)とされています。

 その黒川には日本最古の油田が残っています。

シンクルトン記念公園 シンクルトン記念公園
日本最古の油田(シンクルトン記念公園)。周囲では天然ガスがポコポコと湧き出る

 
 天然に滲み出した原油は悪臭がすることから「臭水」「臭生水」「草生水」(くそうず)などと書かれました。
 また『和漢三才図会』では、石油の薬効として「癬瘡・虫癩に塗ればよく、針や箭が肉に入ったのを治す」と書かれています。
 
 日本の石油開発は、1608年頃、真柄仁兵衛が新津で露出した石油を発見したのが始まり。その後、1613年には蘭引(らんびき)という簡単な蒸留装置で灯油を作ったという記録があるそうですよ。
 また、江戸時代、新潟では石油の湧出量に応じた徴税を行なっていました。これを「草生水高(くそうずだか)」といい、油田には農地なみの税金がかけられました。

 近代的な石油産業は、1859年、アメリカのドレークがペンシルベニア州で綱式機械掘りに成功したのが最初で、これが近代油井の第1号とされています。

石油ロータリー掘り 石油綱式機械掘り
左がロータリー掘り、右が綱式機械掘り
以下、マニア向けの参考画像(掘削:上総掘り綱式機械掘りロータリー掘り/採油:採油装置ポンピングパワー


西山油田(新潟県) 送油鉄管線(パイプライン)
西山油田(新潟県)と送油鉄管線(パイプライン)

田中芳雄が考案した「石油の木」
石油の権威・田中芳雄が考案した「石油の木」(クリックで拡大)


 ここで、「石油の木」という図版を公開しておきます。石油からありとあらゆるものが生産できることがわかりますね。
 では、灯油、ガソリン、重油……の製造の違いは何か? これは単に沸点の違いです。作り方は超簡単で、

(1)原油を蒸留して気体に。気化しやすいものから順に、揮発油(ガソリン)→灯油→軽油→重油と分離回収
(2)気体にしたものを冷やして液体にし、硫酸と苛性ソーダで洗浄

 
 実はたったこれだけなんですね。

シュルツ式真空蒸留釜 アジデーターと呼ばれた洗浄槽
(左:蒸留)シュルツ式真空蒸留釜、(右:洗浄)アジデーターと呼ばれた洗浄槽


 さて、近代の日本石油史に名前が残る重要人物は4人。

 まず、日本最初の新聞記者で、『和英語林集成』という和英辞典を発刊した岸田吟香は、ローマ字を作ったヘボンに石油のことを教わり、新潟で採掘を始めます(結果は失敗)。
(ちなみに岸田吟香は活字や製氷業の元祖、医療の先覚者、広告の先駆者として有名です)

 続いて石坂周造。1871年(明治4年)、日本で初めての石油会社「長野石炭油会社」を設立し試掘を開始しました。翌年には全国の鉱脈図を制作し、さらに息子をペンシルベニア州に派遣、新潟の西山で大油田の開発に成功します。明治4年には1日1.5升(2.7リットル)の石油しか取れなかったものの、6年後には1日1万升以上も採掘しました。

 日本で初めて石油貯蔵タンクを横浜に作ったのが太平洋セメントの創業者・浅野総一郎。輸入石油が箱代であまりにもコストがかかりすぎ、それならばとタンクを作ったとたん、価格が暴落して大損。ちなみに日本初のタンカー輸送も考えましたが、こちらも失敗。

タンカー
戦前のタンカー


 最後に、1891年、新潟県の尼瀬油田(あませゆでん)で機械採掘に成功した内藤久寛。尼瀬油田は世界初の海底油田で、日本最初の近代油田と呼ばれます。内藤が採掘事業のため1888年に山口権三郎らとともに作ったのが日本石油で、以後、この会社が日本の石油界をほとんど牛耳ることになります。

日本石油の製油所(柏崎)
日本石油の製油所(柏崎)


 その後、日本石油は柏崎に製油所を建設、一時は本社も移転し、この町は活況を呈しました。
 しかし、戦後は西山油田も衰微し、柏崎は衰退していきます。東京電力の柏崎刈羽原発は、ある意味、地域復興の意味もあって誘致されたわけです。 

 なお、明治後半から、新潟より秋田で大規模な油田開発が始まり、昭和30年ごろまで秋田が石油王国と呼ばれましたが、現在はそれほど大きな油田はありません。

新潟県の油田分布図
新潟県の油田分布図(1934年)


 秋田が衰微する一方、新潟はずっと日本のエネルギー産業の中心にありました。もちろん現在でもその地位に揺らぎはなく、最も石油と天然ガスを産出している県です(基本的に石油と天然ガスは同じ場所で出ることが多い)。
 数字でいうと、国内原油生産量は1915年の48万キロリットルをピークにどんどん下がっており、現在は原油の0.4%、天然ガスの3.8%を自給しています。そのうち、原油生産の半分、天然ガスの3分の2を新潟が占めているんです。
 
 そんなわけで、脱原発の気運が高まるなか、新潟県のエネルギー街道を見に行ってきたよ。
 現在、新潟の大規模なガス田・油田には、南長岡、東新潟、岩船沖の3つあります。

岩船沖の油ガス田 東新潟ガス田
沖合4kmにある岩船沖の油ガス田と東新潟ガス田(三菱ガス化学の敷地内)


 で、新潟は石油の備蓄でも有名。オイルショック後の1979年、日本初の備蓄基地が完成しています。

新潟石油共同備蓄基地
新潟石油共同備蓄基地


 この備蓄基地の近くには、GTL技術を実証するための珍しいプラントがあります。GTLとは天然ガスからそのままナフサや灯油・軽油などの石油製品を作る技術のことで、戦前の「人造石油」の発展形です。こうした技術を見ると、原油と天然ガスってかなり似た性格だとわかりますね。

新潟GTL実証プラント
新潟GTL実証プラント


 さて、最後に日本最大級の火力発電所である東新潟火力発電所へ。ここは、電力会社として初めてガスコンバインドサイクル発電を実施しました(日本初はJR東日本の川崎発電所)。
 コンバインドサイクル発電とは、ガスタービンと蒸気タービンを組み合わせた新火力発電のことです。まずガスで発電し、その高温の排ガスを熱源に蒸気を発生させ、再度タービンで発電する仕組み。原発の4分の1のコストで工期も数カ月で済み、さらに発電効率も原発の1.5倍から2倍といいことずくめ。二酸化炭素は出しますが、普通の火力発電に比べると大幅に減っています。
 一説によれば、日本の火力発電所の3割を新火力発電に改造するだけで日本中の原発を廃止できるそうですよ。

東新潟火力発電所
東新潟火力発電所

 
 ところで、ほとんど知られていませんが、東日本大震災が起きた3月11日の午前中、「全量買取法案」と呼ばれる法案が閣議決定されました。簡単に言えば太陽光、風力、地熱発電などで作られた電力の買い取りを保証するもの。
 脱原発の流れが加速するなかで、再生可能な自然エネルギーに期待が集まりますが、しかし、現状、新エネルギーは全体の1%程度。どうして普及しないかというと、太陽光発電で原発1基分を発電するのに東京の山手線の内側と同じ面積の土地が必要。風力発電だと山手線の内側の5倍の面積が必要だからです。
 結局、新エネルギーは膨大な補助金漬けでないと成り立たず、普及すればするほど電気代は上がります。

 地球に優しいなどといくら叫んでも、これではまったく日本の産業は維持できないので、本サイトとしてはコンバインドサイクル発電の普及を応援したいと思っています。

<参考>
 2009年度の発電量(『エネルギー白書』2010より)
  原子力   29.2%
  火力    61.7%(LNG29.4%、石炭24.7%、石油7.6%)
  水力      8.0%(通常水力7.3%、揚水0.7%)
  新エネルギー  1.1%



制作:2011年5月15日

<おまけ1>
 日本石油のロゴはコウモリを図案化したものですが、これは明治21年1月、長岡で開かれた創立議決後のパーティに1匹のコウモリが舞い込んだからです。厳寒の北国にコウモリがいること自体珍しく、漢字表記である「蝙蝠」の「蝠」が「福」に通じるということで、商標に使われました。
こうもり印のエンジンオイル
こうもり印のエンジンオイル

<おまけ2>
 日本には「国民保護法」というのがあって、その基本指針には、核攻撃などで放射能が広がったとき、国民に「安定ヨウ素剤」を服用させることが明記されています。
 これはチェルノブイリ原発事故のとき、放射能の1つであるヨウ素131が甲状腺に蓄積し、多くの住民が甲状腺ガンになったことを受けて決められました。人体に害のあるヨウ素131を体が吸収する前に、害のないヨウ素127を先に甲状腺に吸収させておく、ということです。
 そのヨウ素、実は日本が世界的な産地で、しかもほとんどが千葉県で生産されています。千葉には南関東ガス田と呼ばれる水溶性の天然ガス鉱床があり、この地下水から大量に製造できるからです。生産量の約9割が千葉。そして、残りの1割は新潟県なんですな。

JX日鉱日石開発のヨード工場
JX日鉱日石開発のヨード工場(新潟県胎内市)

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