韓国の鉄鋼メーカー
「ポスコ」の誕生

韓国ポスコposco
韓国POSCOの工場


 韓国の東端にある「浦項」(ポハン)市は鉄鋼の町として有名です。
 下の写真はその空撮写真ですが、右下、青い屋根が韓国第2位の現代製鉄。右上が、韓国第1位のポスコです。ちなみに近くには第3位の東国製鋼もあり、町の産業はほぼすべて鉄鋼と漁業です。

韓国ポスコposco
海沿いにある浦項市の空撮


 ポスコは、現在、新日鉄住金と訴訟合戦をしています。
 新日鉄住金の提訴内容は、ポスコが新日鉄の元社員から高級鋼板「方向性電磁鋼板」の製造技術を不正に盗んだとして、約1000億円の賠償を求めたものです。
 通常、技術流出の立証は難しいのですが、今回は、ポスコが中国の宝山鋼鉄へ技術を転売したことで、流出の裏付けが取れました。

 さて、技術はパクリだろうと、現在のポスコは新日鉄さえ脅かす巨大な企業となっています。いったい、そのポスコはどうやって誕生したのか。今回はその歴史についてまとめておきます。

韓国ポスコposco本社
ポスコ本社


 ポスコはかつて国営の浦項総合製鉄という名前でしたが、英語名の「Pohang Iron and Steel Company Limited」を略してPOSCOと改称しました。
 1967年に浦項に工場を建設することが決まり、1968年、朴泰俊が中心となって会社が創立されました。そして、1973年、韓国初の粗鋼生産を開始します。年間生産量は103万トンでした。

 その昔、「鉄は国家なり」と言われましたが、もちろん今でも製鉄は国の基本です。
 しかし、韓国にはその技術も資金もありませんでした。韓国としては、国力を高めるため、なんとか製鉄業を興したいものの、まるで雲を掴むような話です。
 
 それでも粘った韓国は、1966年、アメリカ、イギリス、ドイツ、イタリア、フランスの5カ国8企業と契約を結び、KISA(Korea International Steel Associates)を発足させ、産業化を目指します。ですが、これは結果的にうまくいかず、製鉄業の育成は暗礁に乗り上げます。

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浦項総合製鉄の創立式(以下、ポスコミュージアムの展示より)


 実はこの前年の1965年、日本の佐藤栄作政権と韓国の朴正煕政権との間で「日韓基本条約」が結ばれています。この条約で日韓間に国交が樹立され、総額8億ドル(無償3億ドル、政府借款2億ドル、民間借款3億ドル)の資金援助が決まりました。

 資金のほとんどは、農水産業の復興に使われる予定でした(ソウル〜釜山間の京釜高速道路もこの資金で建設)。
 しかし、朴正煕の右腕で、鉱山企業「大韓重石」の社長だった朴泰俊が、強烈な政治力を発揮して、浦項総合製鉄の創設に乗り出すのです。
 朴泰俊は、日本からの資金を使って創業することこそ、「日帝支配時代の犠牲者を追悼する最高の道」として、粘り強く政府と交渉するのです。ちなみにこのプロジェクトは「ハワイ計画」と名付けられました。

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目的の冒頭に「製鉄、製鋼」と書かれたポスコの定款


 誰もが実現不可能だと思っていた製鉄会社の設立ですが、結局、日本からの資金7370万ドルを使って、創業に成功します。
 翌1969年、日本の八幡製鉄、富士製鉄、日本鋼管の3社の技術導入が決まり、一気に工場建設が進みました。こうして、韓国初の製鉄会社が誕生したのです。

韓国ポスコposco
中央日報が報じた「請求権放棄で得た8000万ドルを製鉄に」の記事

韓国ポスコposco
日本の製鉄3社と技術協力に成功


 なお、朴泰俊は早稲田大学で学び、終戦後に韓国で軍人生活を送りました。実業界に転じた後は、ポスコを育て、浦項工科大学を創設し、韓国の産業育成に貢献しました。
 1980年以後は政界でも活躍し、金大中政権では国務総理にも就任、そして2011年に死去しています。

韓国ポスコposco
ポスコの製鉄所建設の指揮本部だった「ロンメルハウス」

韓国ポスコposco
浦項1号炉の模型


制作:2013年7月15日


<おまけ>
 日韓基本条約により、韓国側は日本に対するすべての財産権・請求権を放棄しましたが、その後もたびたび条約を無視して対日請求を行っています。
 2013年7月には、戦時中に新日鉄で徴用されていた労働者4人の個人請求権を初めて認め、各人に1億ウォンずつ賠償せよという高裁判決が出ました。新日鉄は控訴しましたが、今後も韓国のタカリは止まらないでしょう。
 ちなみに韓国側が強制徴用の被害者としているのは22万人もいるので、今後も日本はタカられ放題ということになります。

韓国ポスコposco
POSCOのステンレス工場

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