沖縄「土建王国」の誕生
最もわかりやすい「普天間」問題の解説

復帰前の沖縄
日本に復帰前の沖縄は右側通行でした


 当たり前のことなんですが、沖縄というのは1972年5月15日に返還されるまで、アメリカの施政権下に置かれていました。道路は右側通行、通貨はドル。
 参考までに、返還前の沖縄に日本から渡航するには、次の5つの書類を提出する必要がありました。パスポートはいらないものの、完全に外国です。

  ・「一般身分証明書発給申請書」正副1通ずつ(裏面が身元申告書)
  ・戸籍抄本または謄本1通
  ・5cm四方の写真2枚
  ・渡航費用の支払い能力を証明する申立書
  ・入域許可申請書1通


 そして税関では「出(入)国記録」と「予防接種証明書」を提出。持ち込みできるドルは大人で400ドル(1ドルは360円)まででした。
 ちなみに当時、小型タクシーは初乗り1.6kmまで15セント。那覇市内のバスは4区間に分けられ、1区間は2セントでした。最も高級だった琉球東急ホテルの宿泊料は8ドルから50ドル。
  このホテルは後に那覇東急ホテルとなり、2000年に廃業するまで、「沖縄の迎賓館」とも言われていました。

 琉球東急ホテルの建設には、地元の建設業者・国場組が大きく貢献しています。今回はこのホテルを入口に、知られざる沖縄史をまとめます。

那覇マップ
1970年頃の那覇マップ。右上に東急ホテル、左下に日本政府南方連絡事務所、
中心地に琉球政府庁舎もあります


 まず最初に戦前の話から。
 今では信じられませんが、戦前の沖縄はとてもとても田舎でした。下の写真は1930年頃の普通の民家です。

沖縄
那覇と首里以外はほとんどが茅葺きの家でした

首里町
こちらは首里城があった首里町の風景

 参考までに守礼門の変化はこちら。

米軍上陸図 → 守礼門 → 守礼門
左:嘉永6年(1853)の米軍上陸図(『ペリー遠征記』所収、ハイネ画)。右手が米軍、左手が琉球官吏
中:戦前、焼失前の写真。右:1958年に再建された現在の門。扁額には「守禮之邦」と書いてあります


 最も都会だった那覇でもこんな感じです。

那覇 那覇
那覇市内。右手前が百四十七銀行、隣が日本勧業銀行。
電車は港と首里を結んでました。右は那覇市場の露天(1930年頃)


 さて、明治33年(1900)、こんな田舎のさらに田舎の沖縄北部で、国場幸太郎は生まれました。国場は兵役をすませたあと、東京で大きな建設の仕事を経験し、昭和6年(1931)に国場組を創業します。
 昭和16年(1941)、小禄飛行場の拡張工事を受注、さらに読谷飛行場、伊江島飛行場、城間飛行場、西原飛行場などの工事を次々に受注していきました。終戦間際には多くの防空壕の建設に従事しています。

 戦後、アメリカは基地建設のため、まず荷役に必要な港湾の整備を開始します。当時、国場は本土にいたのですが、密航して沖縄に戻り、この仕事を受注。以後、米軍キャンプ・ハンセン基地など多くの基地建設を請け負いました。
 昭和50年には沖縄海洋博覧会のパビリオン建設をほぼ独占、こうして国場一族は「沖縄のゴッドファーザー」「沖縄四天王」などと呼ばれるようになりました。

 具体的には、首里城正殿、平和祈念公園、牧志公設市場、ホテルムーンビーチ、那覇空港ターミナル、那覇港、沖縄県庁、都市モノレールなど、沖縄の多くのインフラを作ってきたのです。

首里城正殿 → 首里城正殿
首里城正殿(1930年頃の焼失前→現在)

那覇空港 → 那覇空港
那覇空港(1970年頃→現在)

沖縄県庁 → 沖縄県庁
沖縄県庁(1930年頃→現在)


 国場組のほかに、沖縄には大城組、南洋土建、大米建設など非常に多くの建設会社があります。沖縄経済における建設業の比重はきわめて大きく、全産業のおよそ10%を占めているのです。
 当然のことながら、選挙には強い力を持っています。



 さて。
 ここで普天間基地問題を簡単に整理しておきます。

 普天間基地は宜野湾市にある米軍海兵隊の飛行場で、2700mの滑走路を持っています。基地が住宅地の真ん中にあって危険だし、騒音もひどいから日本に返還してほしい、そのかわり、基地機能をどこかに移転させます、というのが基本的な問題。

普天間基地 普天間基地
普天間基地


 以前から返還の要望はあったんですが、1995年9月、米兵による少女暴行事件をきっかけに「特別行動委員会」(SACO)が設置され、1996年4月、橋本龍太郎首相とモンデール駐日大使が首相官邸で基地返還を正式に発表しました。

 1996年12月に発表された最終報告(96年合意)に普天間の全面返還が盛りこまれましたが、その条件として「代替施設として長さ1300mの撤去可能な海上ヘリポートの建設」が明記されていたんですな。
 そして海上基地の具体的な建設工法として3つ書かれていました。

 ●杭式桟橋方式(浮体工法):
  海中に鉄の杭を立て、その上に鉄板を張り滑走路を作る
 ●箱(ポンツーン)方式:
  防波堤内の静かな海域に箱形の浮体ユニットを設置する
 ●半潜水(セミサブ)方式:
  半分沈んだ構造物の浮力により上部構造物を支える


辺野古埋め立て 辺野古埋め立て
左が杭式桟橋方式、ポンツーン式(防衛省資料より)


 基地の恒久化を避けるために、撤去可能な海上基地が最善の策とされたわけです。ところが、この海上ヘリポート案が名護市の市民投票で否決されたことで、以後、計画が二転三転します。年表式に書くと、

 2002年、海上の軍民共用空港案が出て、埋め立てが決定
 2005年、沿岸部を埋め立てるL字型案で合意(滑走路の長さは1800m)
 2006年、V字型案で最終合意(長さ1600mの滑走路2本)

V字型案
V字型案(防衛省資料より)。片方が離陸、もう片方が着陸専用。
住宅地の上空を飛行しないよう、滑走路を200mほど海側に移動し、明らかに埋め立て部分が拡大


 では、いったいなぜ、こんなにも計画が変更されたんでしょうか?
 答えは簡単で、海上ヘリポートだと本土のゼネコンが工事することになるけれど、埋め立てなら沖縄の土建業者の仕事になるから。もちろん、政治家の利権団体である砂利組合にとっても埋め立ての方がおいしい。アメリカも海上だと抗議船で工事が妨害されるけど、埋め立てなら周囲を封鎖すれば勝手に工事ができる。誰にとっても埋め立ての方がいいわけです。

 誰にとっても、と書きましたが、ここで住民の意思はないのか、という話になります。
 基地があるとカネが回る、というのは周知の事実。

 まず大きいのは基地の賃借料。
 沖縄県にある米軍基地の数は計34施設。全国の米軍施設134のうち、実に25.4%が沖縄にあるわけですよ(ちなみに沖縄返還時は87施設)。そしてその3割が民間私有地の上に作られています。

 たとえば嘉手納飛行場は9割が私有地で、年間賃借料は257億円。これが9467人の地主に分割されています。
 また普天間基地も9割が私有地で、年間賃借料は66億円。地主は3137人となっています。沖縄の基地の賃借料は合計で784億円(2008年度実績)にもなってるんですな。

 これ以外に義務的経費と呼ばれるものがあり、漁業補償等257億円、周辺対策520億円などが支払われます。
 周辺対策520億円って、なんだかずいぶん巨額ですが? まぁ、簡単に言うと地元へのばらまきです。

防衛省のサイトより、地元へのばらまき例
防衛省のサイトより、地元へのばらまき例


 ところがこれだけではないんですよ。基地周辺対策費は防衛施設庁関係の予算ですが、内閣府関係でまた別の予算があるんです。
 ものすごくおおざっぱに言うと、

●「島田懇談会」の拠出金(米軍基地がある沖縄県内の市町村に対する拠出金)10年間で1000億円
●「北部地域振興費」(2000年度から新規計上)10年で1000億円


 1996年に普天間基地の辺野古への移転が決定し、翌年11月、沖縄復帰25周年記念式典で橋本総理が次のように語っています。

《沖縄の地域振興を考えるにあたり、県土の均衡ある発展に目を向ける必要があります。
 市街地再開発、港湾などの基盤インフラ整備や女性の社会参加への支援、北部の水と緑と観光の地域づくりの促進などが重要な課題であり……》

 こうして特に北部地域に大量の金がばらまかれたわけです。
 実はほかにも「沖縄振興特別交付金」やら「特別調整費」やらいろいろあるんですが、ゴメン、俺にも正確にはわかりませぬ。


 結局のところ、復帰後の沖縄は政治家と土建業者と、そしてあえて言えば地元民に食い物にされてきたわけです。巨額のカネは覚せい剤のように即効性はあったものの、じわじわと人心をむしばんでいき、もはや沖縄の自立は不可能とも思えるほどです。
 それでも沖縄にはカネが流れ込みます。

沖縄海洋博覧会の「海洋牧場」
沖縄海洋博覧会の「海洋牧場」(公式ガイドマップより)

 1975年、沖縄海洋博覧会が開催
 1980−90年代、高速道路の建設。バブル時には大リゾート計画が進行
 2000年、名護市の万国津梁館でサミット開催
 2003年、沖縄都市モノレール線開通


 以上の工事のほとんどに国場組が関わっています。

 2002年末に自民党にカジノ議連ができると、地元ではカジノ誘致が熱心に語られました。当時の報道によれば、国場組社長が「カジノが解禁されれば、沖縄の観光産業1兆円も夢ではない(現状は約3700億円)」と言っています(『週刊ダイヤモンド』2006年11月25日号)。

 そして現在、国場組が中心となって沖縄に電気自動車を普及させるべく、急速充電器を県内に整備する計画が進んでいます。
 まさに沖縄は土建で経済が回っているのです。

辺野古にあるキャンプ・シュワブ
辺野古にあるキャンプ・シュワブ。ここに滑走路を新設

 
 辺野古の反対運動は、「貴重な天然記念物ジュゴンを守れ」という言葉で展開されています。たしかに環境保護は重要ですが、美しい海に観光客を呼びたいという思惑も否定できないはずです。なにせ、現在、沖縄の観光収入は基地収入の2倍以上あり、地元にとって非常においしいのですから。
 逆に言えば、もしジュゴンがカネを生まないのであれば、やっぱり基地を作った方がいいという話になるでしょう。

 いったい沖縄は、いつまで土建で支えられていくんでしょうか? ちなみにこの地で力を持ち続けた国場組も経営が悪化し、2006年、リサ・パートナーズの支援を受けました。

 そんなわけで、巨大台風が直撃するなか、辺野古にあるキャンプ・シュワブを超望遠で撮影してきました。近くには沖縄特有の亀甲墓が静かに海を見守っていました。

亀甲墓
辺野古の海を見つめる亀甲墓


制作:2010年12月11日

●米国が沖縄におこなった貢献の全貌
 プロパガンダ雑誌『守礼の光』を読む(1)総論

<おまけ>
 沖縄振興計画の歩みをまとめときます。
●1945年 敗戦
●1952年 琉球政府誕生
●1972年 本土復帰
●第1次沖縄振興開発計画(1972〜1981年度)1.4兆円
 国際海洋博覧会、沖縄自動車道、国道58号線
●第2次沖縄振興開発計画(1982〜1991年度)2.3兆円
 沖縄海邦国体、県立芸術大学、コンベンションセンター
●第3次沖縄振興開発計画(1992〜2001年度)3.6兆円
 沖縄サミット、首里城公園、平和の礎、那覇空港ターミナル
●沖縄振興計画(2002〜2011年度)2.8兆円
 都市モノレール、沖縄高専、美ら海水族館、科学技術大学院大学
●新計画案(2012〜2021年度)?兆円
 那覇空港第2滑走路、新物流拠点、新公共交通システム


<おまけ2>
 米軍駐留の経費はいったいいくらなのか? いわゆる「思いやり予算」は合計で1928億円(2009年度)。以下が内訳です。
 
 ●地位協定による出費 512億円(狭義の思いやり予算)
  ・労務費(給与是正部分、社会保険料など) 293億円
  ・提供施設整備費 219億円
 ●特別協定による出費 1415億円
  ・労務費(基本給、調整手当) 1160億円
  ・光熱水料等 249億円
  ・訓練移転費 6億円
                 合計1928億円

 
 これに施設借料921億円、漁業補償等257億円、周辺対策520億円などを含む1739億円が義務的経費として計上されます。さらに国有地の賃借料が1646億円。以上、総計で5313億円が米軍駐留の経費となります。

大正の琉球娘
大正頃の?琉球娘たち

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