世界国尽・130年前の世界旅行にようこそ


 このページは、福沢諭吉が明治2年(1869)に書いた『世界国尽』を現代語訳したものです。世界の情勢がまだよく知られていない時代、人々は見たこともない外国に対し、どんな思いを抱いたんでしょうか。
 当時、この本は『輿地誌略』と並んで小学校の教科書に使われました。しかし、今見ると、けっこう差別感に満ちてて、そんな国々絶対行きたくないよ、と思ったはず。


世界国尽
これで「世かい国つくし」と読みます。読めますか?


 というわけで、アジア、アフリカに出発です。まずはアジア編(翻訳は昭和43年刊行の名著復刻全集を底本としました。また、翻訳は解説部分だけで、本文は訳していません)


アジアへようこそ
世界国尽

 アジアの土地の広さは1555万坪、人の数6億人。5大州の中でいちばん大きい。 広きアジアは人の種類もいろいろで、蒙古人種がもっとも多く、これをアジア人種とも言う。気候も北方・志辺里屋(シベリア)の方ははなはだ寒く、天竺の南に至れば、赤道に近いのではなはだ熱い。禽獣草木もこれに準じて異なる。

●【中国】
 支那(中国)の広さは520万坪。人の数4億。都の名前は北京といって、国中の男は皆、ケシ坊主である。初めて見る人にはとてもおかしく思える。


世界国尽 世界国尽
ケシ坊主の中国人


 中国の産物は絹布、木綿、瀬戸物、そのほか象牙細工など小間物が多い。ことに茶はこの国の名産で、毎年外国に積み出すことおよそ1億斤近いという。ヨーロッパ・アメリカには茶園がなく、その国々の人が飲む茶は中国と日本より積み出した品である。
 中国は古い国で、昔はたいそうなことをなしたものもある。北京から南の杭州まで船を通すための掘り割りは300里あまり。北の方には万里の長城という長い土手があり、その高さは1丈5尺から3丈もある。谷をまたぎ山を越え長さ600里に及ぶので、当時はもとより修復もされず崩れ放題なのだが、珍しい古跡なので、西洋の人々はよく見物するという。この長城は2000年前、秦の始皇帝が胡(えびす)を防ぐために築いたものである。
 今より2300年前、中国には孔子という高名な学者がいて、門人も多く著作も段々と後世に伝わり、中国はもちろん日本でも、この人のことを聖人として尊敬している。
 中国の政治のやり方は、西洋の言葉で言う「デスポチック」というもので、ただ上に立つ人の思い通りに事を進めるふうなので、国中の人は皆、俗に言う奉公人根性となり、帳面さえ終わらせられず、一寸のがれという気なので、本当に国のためを思う者なく、ついに外国の侮りを受けるようになってしまった。
 すでに天保年間にイギリスに打ち負けたときも、賠償金を払った上、香港島を与え、広東・廈門・福州・寧波・上海の5港を無理矢理開かせられた。その後も、始終、外国に踏みつけられている。



香港
香港もいまや中国領


●【インド】
 前印度(インド)と後インドは、雁寺洲(ガンジス)という河を境としている。この河のほとりに阿羅波婆土(アラハバード)という釈迦如来の霊地があって、今でも毎年あちらこちらからの参詣者が20万人あまりいるという。
世界国尽
ガンジス河

 後インドのことを西洋人は「ひんどすたん」といい、ほとんど残らずイギリス領で、ただその北方にイギリスの支配を受けていない独立国が2、3あるだけである。前インドも西の方はイギリスの支配下である。
 満落花(マラッカ)の南の端に新賀堀(シンガポール)という小島があって、イギリス領の港である。諸国の船が立ち寄っている。
 後インドの南端には西論(セイロン)という島があり、同じくイギリス領で、良港がある。この島は釈迦誕生の地だという。


カルカッタ
カルカッタの行政府

 インドの産物は材木、米、麦、砂糖、もろこし、麻、藍、たばこ、胡椒、阿片、黄金、鉄、銅、玉であり、しかもこの国は春夏秋冬のない暖かい国だから、いろいろと珍しい果実が多い。獣類は獅子、サイ、象、虎に加え、恐ろしい大蛇ウワバミなども山にいるという。


●【ペルシャ】
 辺留社(ペルシャ)は旧国だが、元来、人の気質が粗く、政治は暴虐で下々の扱いがよくないため、国の力は次第に衰え、今では文武ともに落ち1813年(文化10年)と1828年(文政1年)の魯西亜(ロシア)との戦いで両方とも負けてしまい、大きく土地を失ってしまった。
 最近はイギリスと交わり、イギリスの士官を雇って、軍備を整えているという。


●【アラビア】
 荒火屋(アラビア)は大国だが、砂漠で果てしなく広い砂原がある。気候は熱く、雨は少なく住むにはよくない土地である。けれども、平地には草木がよく生長し、産物には薬種、果実、ゴムなどが多い。
 獣類には馬、ラクダ。ことにアラビアの馬はすでに日本にも渡っていて、世界中の名馬である。
 この国は風俗が悪く盗賊が多いので、人々は広い砂漠を越えて旅をするとき、大勢ラクダに乗り武器を持って通行する。


●【トルコ】
 トルコの領土はヨーロッパとアジアの2大洲にまたがり、地中海と黒海の間の海が境となる。飛び地をアジアトルコといい、ヨーロッパの方にある本領土をヨーロッパトルコという。
 現在はトルコの政治が不安定で、飛び地の領土では、たびたび騒動がある。


●【ロシア】
 魯西亜(ロシア)もヨーロッパとアジアと地続きで、両方に領土がある。2大洲の境は宇良留(ウラル)山である。志辺里屋(シベリア)には馴鹿(じゅんろく)という鹿がいて、馬の代わりに用いている。また、一種の犬がいて、これも牛馬のごとく車を引くという。



ソリ
馴鹿のソリ

 シベリアは土地は広いが、人は少なく300万人しかいない。土人は猟を仕事にしている。また、ウラル山の近くには金銀の山が多く、ロシアの本国より罪人を移して、おびただしい金を採掘しているという。シベリアの産物は獣皮で、市場の交易も皮で中国の反物や瀬戸物と換えるという。
 嘉無薩加(カムチャッカ)の港を「ぺいとろぽろすき」といい、ここから東のロシア領アメリカには、海上でとても近い。
 ロシア政府は昔から領土を広げることを心がけている。近年はまた満州の地をとってもっぱら黒竜江のあたりに手を出し、軍艦は始終停泊しているし、河には小型の蒸気船を浮かべて運送の便を図っている。


アフリカへようこそ

世界国尽

 阿非利加(アフリカ)洲の広さは1294万坪で、人の数は6100万人。北の方にはヨーロッパ人種もいるが、ほとんどは黒奴(くろんぼ)で、風俗ははなはだ卑しく、国々には王とか帝とか名乗る支配者がいるが、強者が力ずくで弱者を苦しめるものだから、争いが絶えることがない。



黒奴
これが黒奴


 アフリカは四方がすべて海だが、唯一、アジアにつながるところが100里ほど地続きになっている。この場所には蒸気車の道があって、一日で行ける。また、4、5年ほど前から、フランス人がここを掘って船を通せるように目論んでいて、いろいろと工夫し、今では小舟くらいは通れるという。この掘り割りが完成すれば、ヨーロッパから東洋のインド、中国などへの航海が、喜望峰を回らずに地中海から直に西紅海に出れるので、かなりの近道となる。

●【エジプト】
 衛士府都(エジプト)は山が少なくて平地である。内留(ナイル)という大河があって、国の中央を流れている。その恵みで田畑は実り、時々は川が氾濫するが、かえって作物がよくできるようになるため、この地の人は大水を豊年の印として喜ぶという。
ナイルの氾濫
ナイルの氾濫


 このあたりは不思議な場所で、いつも雨は降らず草木を養うものは夜の露だけである。気候は熱く砂塵は吹き荒れ、住居は快適ではないが、産物は米、麦、綿、たばこなどがある。

 エジプトは古い国で、名所旧跡が多い。寺の跡も大きいものが多く、比羅三井天(ピラミッド)の数も60、70はある。そのなかでいちばん大きいものは高さ480尺もあり、伝説では3000年以上前の国王の墓だという。


●【スーダン、エチオピア】
 信野(ヌビア=現スーダン)はエジプトの支配下で、阿弥志仁屋(アビシニヤ=現エチオピア)は独立国である。この辺の河には「ひぽぱたます」(カバ)という象ほどの大きさの獣がいる。
世界国尽
カバです


●【マダガスカル】
 麻田糟軽(マダガスカル)は、文化年中よりヨーロッパと条約を結び、にわかに風俗が改まり文武ともに盛んだが、文政11年にラダマという国王が王妃に毒殺されたことで、国中が大乱状態である。一時はすべての外国人を追い出してしまったが、最近は再び開国し外国とのつきあいも始まっている。それでも以前に比べれば国の威光は大いに衰えているが、これはすべて鎖国のせいである。
 首都は棚奈竜(タナナリブ)というが、あまり繁栄した町ではない。
世界国尽
町並み



●【南アフリカ】
 喜望峰の地はもともとオランダの領地だが、60年前よりイギリス領となった。だから今でもオランダ人が多いので、喜望峰の港のことをケープタウンという。
世界国尽
喜望峰



 商業は盛んで産物も多い。南の方の発天戸池屋(はってんとちや=現ナミビア、ボツワナあたり?)のあたりに住むアフリカ人は実に愚かで人間の中でも下等の部類だという。


●【ギニア】
 銀名(ぎんな=現ギニア湾沿いの一帯)国は、2つに分かれて、南の方を下銀名、北の方を上銀名という。その境はニジェール河である。上銀名にはところどころイギリスオランダの領地があって、土地の産物である砂金や椰子の実の油などを積み出している。下銀名はポルトガルの領土で、このあたりには獅子が多く、ときどき人を害するおそれがあるという。
世界国尽
人を食うライオン



●【リベリア】
 古くからアフリカにはひどい風俗として人身売買がある。これを「スレイブ」といい、生涯買い切りの奉公人ということである。アメリカなどには多くの人が買い込まれ、牛馬同様、田畑の仕事に使われる。心ある人はこれを憐れみ救おうとするが、たとえば理部利屋(リベリア)などはアメリカの心ある人たちが申し合わせて作った国である。こうしたことで、最近は人身売買も大きく減ったという。


●【モロッコ】
 茂禄子(モロッコ)の港の丹路留(タンジール)は治部良留多留(ジブラルタル)に臨み、スペインの対岸である。


●【アルジェリア】
 阿留世里屋(アルジェリア)は気候が穏やかで、五穀果実が実ることではモロッコに劣らない。都は海岸から小高い山の麓に開けていて、風景がいい。40、50年前はこのあたりに海賊が多く、諸国の船を悩ませていた。このため文化年中にアメリカがアルジェリアをせめて6万ドルの賠償金を取ったという。


●【チュニジア、リビア】
 戸仁須(チュニス)や戸里堀(トリポリ)などの諸国だが、チュニスの人はよく農業をし、この国では五穀、綿、たばこなど以外に銀銅鉛水銀が産する。トリポリの人はナツメを常食にしている。アラビアあたりからアフリカの海岸はナツメが多いところである。


●【コンゴ(旧ザイール)】
 アフリカの内地は西洋人の調査にも関わらず詳しくわからない。越尾比屋(エチオピア=現コンゴあたり)などの人はもっとも教養がなく、人の気はとても粗いし「にやむく」というところの黒奴は人を殺して肉を食うという。

 砂漠のなかにも稀に草の茂った山がある。大海の中の島のようなもので、道行く人はこの草をラクダのエサにする。ただ、人の食料は数ヶ月分用意がいるし、雨が降らないから水にも不自由する。10日歩いて、初めて泉にあうほどだから水の貯蔵もなくて困ってしまう。文化二年、2000人のアフリカ人が1800匹のラクダをつれて砂漠をわたったとき、ちょうど水のある場所に行き会わなかったため、全員が渇死してしまったという。


●【マデイラ島】
 麻寺(マデイラ)は小島だが、山水の風景はとても良く葡萄酒が産する。気候は春夏秋冬だいたい同じで、病人が養生する場所としてよい。加奈利屋(カナリア)はスペイン領で、様子はだいたいマデイラと同じである。


●【セントヘレナ島】
 新都辺礼奈(セントヘレナ)はイギリス領で、1815年(文化12年)、フランスのナポレオン1世が和阿戸留楼(ワーテルロー)でイギリスの将軍ウェリントンに破れ、この島に流されて一生を終えたことで、有名になった。ナポレオンはこの島に流され、1821年5月5日に死んだが、死後も罪人扱いだったのを、1840年、フランス人の願いによって大きな式典とともにパリに改葬された。

広告
© 探検コム メール