偽書「竹内文書」と幻のレイライン
新郷村「キリストの墓」と「ピラミッド」の真実を追う

新郷村「キリストの墓」
新郷村「キリストの墓」はこちら


 昭和3年(1928年)3月29日、後に世を震撼させる古文書が公開されました。そこには、宇宙の始まりから世界の統治の秘密まで、あらゆる「歴史の真実」が記録されていました。公開したのは天津教の教祖・竹内巨麿(たけうちきよまろ/たけのうちおおまろ)で、神宝である「不開瓶」を開けたところ、その文書が出てきたというのです。これがいわゆる「竹内古文書」。

 文書の内容をざっと箇条書きにしておきます。

・神武天皇からはじまる現在の皇朝の前に「天神7代」「上古25代」「不合(あえず)朝73代」があり、合計すると数千万年にわたって天皇が地球を支配してきた
・天皇は「天磐舟」と呼ばれる飛行船で世界中を国見していた
・世界には黄人、赤人、青人、黒人、白人の「五色人(ごしきじん)」が共存しており、皇祖皇太神宮(茨城県)がその中心だった……


「天磐舟」は『日本書紀』にも記載されていますが、とはいえ内容はめちゃくちゃで、竹内文書は近世に作られた偽書と確定しています。

 ところが、国粋主義的な内容が受け入れられ、当時の軍部に数多くの信奉者がいました。「五色人」は「八紘一宇」の理想型と主張する軍人も多かったのです。そのため、警察もなかなか手を出せず(昭和11年に竹内巨麿は逮捕)、それがまた竹内文書の信憑性を高めたのです。

 竹内文書によると、イエス・キリスト、モーゼ、釈迦の世界3大宗教の教祖はすべて来日し、天皇に仕え、日本で死んだことになっています。実際にこの3人の墓と称されるものが、いまも日本に残っています。

 キリストの墓があるのは、青森県の戸来村(現在の新郷村)で、1935年、竹内巨麿が墓を発見しています。これが、新郷村キリスト伝説の始まりです(釈迦の墓は青森県の梵珠山、モーゼの墓は石川県の宝達志水町)。

 新郷村には、キリストの墓だけでなく、ピラミッドも存在しています。こうして、新郷村は、珍スポット業界では横綱ともいうべき地位にあるのです。

 前述のとおり、竹内文書は捏造された偽書です。しかし、キリストの墓とピラミッドは実際に「もの」があったわけで、捏造というわけではありません。では、いったいどのような意味があるのか。今回は謎の伝説を検証してみます。

新郷村「キリストの墓」
手前がイスキリ、奥がキリストの墓(新郷村)


 まずはキリストの墓から。

 竹内巨麿は「イエス・キリストは21歳のとき日本に来て、33歳でユダヤに帰って伝道を行った。ゴルゴダの丘で十字架にかけられたのはイエスの弟イスキリで、キリストは日本に逃れ、106歳で死んだ」と説明します。小高い丘にある2つの土饅頭の向かって右側がキリストの墓「十来塚(とらいづか)」、左側がイスキリの遺髪を埋葬した「十代墓(じゅうだいぼ)」となっています。

 傍証として取り上げられるのは、

・村の地名「戸来(へらい)」とは「ヘブライ」が転化したものである
・村に伝わる伝統的な踊り「ナニャドヤラ」の歌詞はヘブライ語で「汝に聖名を誉め賛えん」と翻訳できる
・かつて戸来村では、赤ちゃんの額に十字を書く風習があった
・ダビデの星によく似たマークがよく使われた


 などです。その真偽はわかりません。

 ですが、実は、かつて東北各地には多くの隠れキリシタンがいました。

 岩手県一関市の大籠は、近隣で産出する砂鉄から製鉄を行っていました。この地に製鉄技術を伝えたのが、備中(岡山)出身の千松大八郎・小八郎兄弟。2人は同時にキリスト教も持ち込み、おそらくはここを皮切りに、鉱山の多い東北一円にキリスト教が広まっていきます。

 秋田では、院内銀山や尾去沢鉱山などでキリスト教徒が働きました。鉱山労働は命懸けの激務だけに、労働者は宗教に救いを求める場合が多く、フランシスコ・バラヤスをはじめとする宣教師も次々と訪れました。

尾去沢鉱山で働く隠れキリシタン
尾去沢鉱山で働く隠れキリシタン


 しかし、幕府の禁止令を受け、各藩はキリシタン弾圧を強めます。
 秋田藩では、1624年に信者100人以上が処刑されますが、このうち25人は院内銀山の労働者でした。
 仙台藩では、1639年から1640年にかけて、大籠を中心に200人ほどが殺されました。1720年にも120人が処刑されています。
 ちなみに、北海道・松前藩でも砂金で有名だった金山番所で1639年に50人が殺されるなど、隠れキリシタンと鉱物には強い関係があることがわかります。

 ただし、弾圧のしすぎは鉱山の生産に悪影響が出ることから、見逃しも多かったのです。こうして、東北各地には隠れキリシタンの遺物がたくさん残されました。
 たとえば、秋田県には「マリア観音像」(湯沢市誓願寺)や「切支丹灯籠」(秋田市の秋葉神社と声体寺)があります。岩手県の大籠や宮城県登米市でも、隠れ礼拝所や十字架をはさみこんだ書籍などが見つかっています。

尾去沢鉱山に残された十字架
尾去沢鉱山に残された十字架


 新郷村のキリストの墓は、隠れキリシタンの墓だった可能性は否定できません。仮に単なる地方豪族の墓だったとしても、歴史を考えれば、キリシタン伝説と結びつくのもうなずけるのです。

 では、ピラミッドはどうか。

 新郷村の「大石神ピラミッド」もまた、竹内巨麿が発見したものです。1935年、村にやって来た一行には、日本のピラミッド研究の第一人者である酒井勝軍(かつとき)や古代史研究家の鳥谷幡山(とやばんざん)がいました。

 酒井は、日本のピラミッドの条件として、本殿と拝殿の併置を条件にしています。青森・秋田県境の三角錐の十和利山が偉人の眠る本殿で、大石神ピラミッドは拝殿だというのです。

新郷村ピラミッド
新郷村ピラミッド(星座石)


 大石神ピラミッドは、光の玉を埋め込んだ「頂上石」、太陽光を反射させる「鏡石」、東西南北を正確に示す「方位石」などが残っています。
 大石神は古くから地元住民の信仰の場で、日照りが続くと村人たちが集まり、雨乞いを祈願した場所です。要するに、この場所は「太陽信仰」の名残なのです。

新郷村ピラミッド
新郷村ピラミッド(太陽石と方位石)


 東北には、太陽信仰の遺跡が数多く残されています。
 青森市の三内丸山遺跡には3列×2列の巨大な6本柱がありますが、6本柱の長軸は、「夏至の日の出」と「冬至の日没」方向と一致しているという説があります。

 秋田県鹿角市には、約4000年前の大湯環状列石が残ります。環状列石とは、簡単に言うとストーンサークルのことで、イギリスのストーンヘンジとほぼ同時代のもの。2つあるストーンサークルの中心部を結ぶと、「夏至の日没」と「冬至の日の出」ポイントを結んだ線となります。
 そして、ここから2km離れた黒又山も古代ピラミッドだとされます。

鹿角市の『大湯環状列石』
直径52mの万座環状列石(大湯環状列石)

鹿角市の『大湯環状列石』ストーンサークル
44mの野中堂環状列石(大湯環状列石)

ストーンサークルから発掘された縄文式土器
国営調査で発掘された縄文式土器 


 こうした太陽と連動した見えない線を「レイライン」と呼びますが、日本には東北以外にもレイラインがらみの遺跡が多いのです。

 栃木県小山市の寺野東遺跡には直径180mのドーナツ型盛り土があります。冬至の日、この円の中心から盛り上がった部分を見ると、ちょうど筑波山頂から太陽が昇るのが見えます。


筑波山
開発が進む前の筑波山(1930年頃)は明確なランドスケープだった


 同じく冬至の日、山梨県の金生遺跡からは甲斐駒ケ岳山頂に、群馬県の野村遺跡からは妙義山山頂に沈む太陽が観測できます。 

 都内にもストーンサークルがあり、冬至に田端・田端東遺跡(町田市)の遺構に立つと、ちょうど丹沢の主峰・蛭ヶ岳山頂に太陽が沈むのです。

 イギリスのストーンヘンジは夏至の日に太陽が昇る方向に向かって巨石が並べられていますが、同じような遺跡は日本でも大量に見つかっていたのです。

 冬至は太陽が最も弱々しく、その日以降、パワーが復活し、よみがえっていきます。縄文人にとって、太陽の蘇りは魂の再生と世界の新生を意味しました。遺跡の多くは古代の墓地ですが、太陽が強くなれば、それは死者の復活をも意味します。

 新郷村のピラミッドも、古代人の聖地だったとすれば納得いきます。
 日本トップクラスの珍スポットである新郷村のピラミッドとキリストの墓。それは縄文人の太陽信仰と、鉱山で働く隠れキリシタンの悲哀を今に伝える遺跡だった可能性が高いのです。


制作:2016年9月19日


<おまけ>
 キリストの墓と太陽信仰を(より強引に)結び付けるために、イギリスの民族学者、ジェームス・フレイザーの『金枝篇』を引用しておきます。

《ユリアヌス暦には12月25日が冬至と定められ、一年のこの転機から日が次第にのびて太陽の力が強まって来るところから、その日は「太陽の誕生日」であると看倣(みな)されていた》(岩波文庫版)

 イエス・キリストの誕生日12月25日は、もともと冬至の太陽祭祀に起源をもっていたのでした。

広告
© 探検コム メール