20年ぶりの国産「新戦車」を見に行く
あるいは戦車3500年史

戦列突破機
1531年に使用された戦列突破機

 ゾロアスター教の主神はアフラ・マズダーですが、ほかに光の神ミスラと水の神アナーヒターが有名です。
 ミスラは千の目と万の耳を持っていて、太陽よりも早く空に上り、4頭の馬が引く戦車に乗って天空を駆けめぐります。一方、アナーヒターは聖なる水を司る女神で、やはり4頭の馬に引かれた戦車を駆って、すべての悪しき存在を打ち砕きます。
 両者に共通するのは4頭立ての戦車に乗っている点。

 今回は戦車の歴史を振り返り、この「空を飛ぶ戦車」への道を追いかけます。


 戦車の歴史は古く、旧約聖書「列王紀略上」には、ソロモン王の戦車軍団の馬の厩は4000あったと書かれています。
 また、「出エジプト記」には有名な海割れのシーンで登場しています。以下、その場面。

《ファラオは戦車を整え、自ら軍勢を率い、えり抜きの戦車600だけでなくエジプトのすべての戦車でイスラエルの人々を追いかけた。すべての馬と戦車と騎兵はバアルゼポンの手前ピハヒロテのあたりで彼らに追いついた。
 主はモーゼに言った。「杖を上げ、手を海の上にさし伸べてそれを分け、イスラエルの人々に海の中の乾いた地を行かせなさい」。
 モーゼが手を海の上にさし伸べたので、主は夜もすがら強い東風をもって海を退かせ、海を陸地とされ、水は分かれた。イスラエルの人々は海の中の乾いた地を行ったが、水は彼らの右と左に壁となった。
 主はモーゼに言った。「手を海の上にさし伸べて、水をエジプト人と、その戦車と騎兵との上に流れ返らせなさい」。
 モーゼが手を海の上にさし伸べると、夜明けになって海はいつもの流れに返り、海に入った戦車と騎兵およびファラオのすべての軍勢をおおい、ひとりも残らなかった》


 この戦車が何頭立てかはわかりませんが、プリニウスによれば、2頭の馬車を発明したのは古代アナトリア(現在のトルコ)のフリギア人で、4頭の馬車を発明したのは古代ギリシャ王のエリクトニウスだそうですよ。エリクトニウスは冬の天頂付近に輝く「ぎょしゃ座」になっています。

ぎょしゃ座
フラムスチードの「天球図譜」では羊飼いのおっさんに


 戦車は中国でも早い段階で普及していました。以下、秦の始皇帝が戦車を使った話。

《あるとき燕・趙・呉・楚の4国が秦を攻めようとしたため、秦王(始皇帝)は群臣や賓客60人に対応策を聞いたが、誰一人として答えない。ところが魏の姚賈(ようか)が「自分が4国をまわって出兵を見合わせるよう頼んでくる」と言ったため、秦王は戦車100乗(台)、黄金1000斤を与えたところ、姚賈はその謀議を断たせたうえ、さらに4国と交わりを結んで帰国した》(『戦国策』)

 紀元前4世紀頃の『墨子』によれば、城の攻撃には「臨」(土を盛り上げて城壁の上から攻める)、「梯」(長いはしごを使う)、「水」(水攻め)、「穴」(トンネルを掘る)など12あるとされますが、そのうち戦車のたぐいは2つあります。
 1つは「衝車」「撞車」と呼ばれる攻撃を主目的とした車、もう1つは兵士を敵の攻撃から守りながら城に接近する車。

戦車
『武経総要』より。本画像は『墨子』(平凡社東洋文庫)より転載しました


 いずれにせよ、昔から、戦車は戦場の花形だったことがわかります。
 そして、近世のヨーロッパでは次のような戦車が次々に発明されていきました。

戦車
冒頭の戦列突破機と同時に使われた16世紀の戦車


ベルフリー戦車
紀元前からあった城攻撃用のベルフリー(belfry)


ドイツ皇帝が発想した鋼鉄製の戦車
1897年にドイツ皇帝が発想した鋼鉄製の戦車。実用化はされず


 なお、日本で「戦車」という言葉が広まったのはいつかわからないんですが、少なくとも1603年の『日葡辞書』には「Xenxa(センシャ)」として記録されています。


 近代兵器としての戦車は、第一次世界大戦で塹壕の突破を目的としてイギリスが開発しました。下の写真は世界初のタンク「マークⅠ」で、立ってる女性は見物中のマリー皇后陛下。
 ただ、マークⅠはあまり役立たず、後のフランス・ルノーFT-17が初の戦車の完成型とされています。

世界初の戦車マークⅠ
世界初の戦車マークⅠ(フランスの西部戦線にて)


 旧日本陸軍は、当初、戦車を生産できず、外国から輸入するしかありませんでした。下の写真は上海事変で使用したフランスのルノーNC型戦車。
 ところがこれは期待したほど性能は高くなく、日本軍は戦車の国産化に力を入れることになります。

ルノーNC型戦車
1930年に輸入したルノーNC型タンク


 昭和2年(1927)、陸軍は試製一号戦車を開発しますが、20トン近い大重量となってしまったため、軽量型が図られました。そして、昭和4年、日本陸軍最初の国産制式戦車「八九式」が誕生します。八九とは皇紀2589年(1929年)から命名されたものです。

戦車
1942年1月、制圧したマニラを走る「八九式中戦車」


「イ号」戦車
八九式中戦車甲型「イ号」


 八九式の後継として皇紀2597年(1937年)に採用されたのが「九七式」。1942年2月のシンガポール制圧時には主力戦車として活躍しています。ガソリンエンジンが主流だった時代に空冷ディーゼルエンジンを搭載しており、敗戦後、多くが中国共産党軍に接収され、国共内戦で使用されました。

「九七式」戦車
1942年2月、昭南(シンガポール)を走る「九七式」



 さて、第1次、第2次世界大戦で華々しく活躍した戦車は、その後、さまざまな方向に進化していくはずでした。
 水陸両用は当然として、機動性重視の一輪戦車、空飛ぶ飛行戦車などが想定されていたのです。

空飛ぶ戦車
空飛ぶ戦車の設計図と試作機

一輪型戦車
一輪型戦車


 日本でも、少年雑誌が「空飛ぶ戦車」はもちろん、地中を掘削して進む「モグラ戦車」、毒ガスをまき散らす「毒ガス戦車」など未来型戦車をまじめに紹介しています。

モグラ戦車
モグラ戦車(『少年倶楽部』20巻11号付録「帝国陸軍大写真帖」)


 空飛ぶ戦車は魅力的ですが、いかんせん重すぎて実現は不可能でした。結局21世紀になっても、紀元前に人々が思い描いた神話の世界に及ばないわけですな。


 さて、実際の戦車開発に話を戻しましょう。

 戦後、日本ではしばらく戦車の開発がおこなわれませんでしたが、1961年、初めて国産化に成功したのが「61式」(ロクイチ)。重さ35トン、570馬力、最高時速45キロ。
 続いて、1974年採用の国産2代目が「74式」(ナナヨン)。当時はアメリカM60パットンやドイツのレオパルト1など、海外の新戦車の開発が終わっており、日本は技術の遅れをあわててキャッチアップして開発しました。今でもかなりの数が現役です。

「61式」戦車 「74式」戦車
「61式」(左)と「74式」


「74式」戦車 87式偵察警戒車
74式の運転席。右は87式偵察警戒車に積まれたAPDS弾とHEI弾


 1990年採用の国産3代目が「90式」(キュウマル)。北海道に上陸してくるソ連の機甲部隊に対抗するため開発されたものの、重さ50トンと非常に重く、巨大すぎて公道が走れず、鉄道輸送も困難なため、何の役にも立たない鉄くずと揶揄されました。
 結局、341両ある90式戦車のほとんどが北海道の原野に配備されただけでした。
 当時すでに「戦車不要論」が言われはじめており、以後、国産戦車の開発は風前の灯火となってしまいました。

90式戦車
90式

 ところが、2010年、ついに最新型の主力戦車「10式」(ヒトマル)が完成し、試作車両が一般公開されたのです。
 設計・開発は防衛省技術研究本部。試作・製造は三菱重工業。国産戦車の4代めで、90式からは20年ぶりのお披露目です。

「10式」戦車 「10式」戦車
20年ぶりに誕生した新戦車。昆虫のような顔ですな。
キャタピラにゴムパッドはついてません

戦車
側面プレートには三菱重工の試作3号車と書かれています。
当時はまだ防衛庁でした


 「10式」は高度なハイテク戦車で、C4I機能を搭載しています。C4Iというのは自衛隊が作戦を指揮・統制するための新情報処理システムのことで、Cは「コマンド」(指揮)「コントロール」(統制)「コミュニケーション」(通信)「コンピューター」の頭文字。Iは「インテリジェンス」(情報)の頭文字。

 具体的に言うと、従来の90式戦車は、戦車相互の連絡を無線による音声通信で行っていました。
 ところが10式戦車では、音声通信に加え、リアルタイムで車内モニタに味方や敵の情報が表示されるようになっています。
 まぁ、C4Iシステムはすでにアメリカの主力戦車M1A2に搭載されているんで、それとの連携を目指したわけです。でも、予算不足で情報リンク装置はまだ未開発だそうですよ。

10式戦車
①44口径120ミリ滑腔砲
②車長用の360度見渡せる展望塔
③12.7mm重機関銃
④横風センサー。後部には2本の通信用アンテナ
⑤砲手用のレーダー内蔵展望塔
⑥照準眼鏡
⑦7.62mm機関銃設置用の穴
⑧暗視装置
⑨(滑腔砲の奥手)レーダー検知器。敵から照準されると警報音が鳴る


2012年の総合火力演習で初公開された砲撃

 現在主力の戦車の重量を見てみると、イギリスのチャレンジャー2は62.5トン、ドイツのレオパルト2A6も62.5トン、アメリカのM1A2にいたっては67トンを超えています。現行戦車のなかで最も軽いのがロシアのT-80uの46トンなので、10式戦車の44トンは主力戦車のなかで世界最軽量といえますな。
 ちなみに防衛省の『防衛生産・技術基盤』(2010年4月)という内部資料によると、10式戦車は重量が44トンなので公道走行が可能で、全国の主要国道の橋(約1万7920カ所)の84%を渡ることができます(50トンの90式は65%)。

 10式戦車の2010年度調達は13両で124億円。最終的には約260両を調達する見込みです。
 10式は1台約10億円。アメリカのM1A2が5億円以下。ロシアの製にいたっては1億円以下。コストパフォーマンスの悪さが気になるところですな。

制作:2010年11月25日

<おまけ>
 中国では戦車に並んでさまざまな機械仕掛けの車が作られました。有名なのが伝説の皇帝である黄帝が作った「指南車」で、これは磁石を使わないのに常に南を指す機械仕掛けの方位磁針。敵対していた部族が人工霧を起こして攻め込んできたものの、指南車のおかげで黄帝は方向を見失わず勝利したとされています。もちろんここから「指南」という言葉が生まれました。

 一方、蜀の諸葛孔明はやはり機械で「木牛流馬」という輸送車をつくり、魏への北伐に際し、兵器や食糧を運んだとされています。具体的な仕組みは不明ですけどね。
「指南車」戦車
「指南車」和漢三才図会より

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