カリフォルニア・幻の日本人町を行く

ウォールナッツグローブの日本人町
普通の住宅に鳥居が!



 カリフォルニア州の州都サクラメントから車で30分ほど南下したところに、ウォールナッツグローブ(WalnutGrove)という場所があります。直訳すれば「クルミの木立」という意味で、クルミかどうかはともかく、確かに木立に囲まれた観のある小さな町です。
 町の目の前には州道6号に沿ってサクラメント川が流れており、周辺には巨大な農地が広がっています。この農地は、その昔、日本人が移民して開拓したものです。
 
 戦前、町には、旅館と日本食品店だけで10軒以上あったといいます。豆腐屋も銭湯もありました。ひな祭りや盆踊りなどの風習もずっと残っていたといいます。なにせ日本人が2000人以上いたのですから、ここはアメリカではなくて、日本そのものでした。

ウォールナッツグローブの日本人町 ウォールナッツグローブの日本人町
現在も営業中のカワムラ理髪店とコバヤシ商店

 
 それだけにぎわった町が衰退したきっかけは、やはり戦時中の排日移民でした。全員が収容所に入れられ、戦後、戻ってきたのは数百人ほど。そのまま街は衰退していきました。
 
 そして今。アメリカ唯一の「日本人町」ともいわれたこの地からは若者の姿が消え、高齢者ばかりがひっそりと暮らしています。
 そんなわけで、まさに滅び行く町の最後の姿を見に行ってきたよ。



 現在、町の住人は1927年に建造されたお寺さんを中心にコミュニティを作っていました。寺の隣には位牌を安置した小屋が建っています。位牌に線香をあげていたおばあさん(88)に話を聞いてみると、どうやら英語は苦手な様子。

「私はね、帰米だから。アメリカで生まれて、いったん日本に戻ってもう一度アメリカに来たの。それでもう60何年かになるね。ちゃんと勉強しなかったから、いまだに英語はよくわからないの」

 おばあさんによれば、住人は現在30−40人ほど。夫婦そろっているのは2組だけで、あとはほとんど「後家さん」ばかり。町は廃屋や空き家が並び、住人も今はフィリピン系やメキシコ系が多くなったとか。

ウォールナッツグローブの日本人町 ウォールナッツグローブの日本人町
並ぶ位牌と、廃屋になったイナバ商店

 
 続いて、寺の近くに住んでいるオオトさん(75)の家にお邪魔しました。オオトさんには子供が3人いますが、みんな町を出て行ってしまいました。今は一人暮らしの家の中は、和風ムードでいっぱいです。
 オオトさんはかなり日本語ができますが、サクラメントで生まれ、そのままずっとウォールナッツグローブで暮らしてきた彼女は、いったいどこで日本語を習ったのか? 聞いてみると、1927年に作られた日本語学校で教わったそうです。その学校も、もちろん既に廃校になっています。


ウォールナッツグローブの日本人町
廃校になった日本語学校跡
 

 さて、オオトさんに寺の中を案内してもらうことにしました。寺は日曜学校のようになっており、普段は閉められています。

ウォールナッツグローブの日本人町 ウォールナッツグローブの日本人町
河下仏教会の外観と、日本で特別に修理してもらった本尊。
 

ウォールナッツグローブの日本人町
寺の玄関に飾られた1925年の記念写真。壮観!


 ウォールナッツグローブの日本人町ウォールナッツグローブの日本人町
こちらは寺が完成したあとのお稚児さん(1935年頃?)。オオトさん一家も写っている



 寺の天井には昔からの寄進者の名前がずらりと漢字で書いてあり、オオトさんは「これはなんて書いてあるの?」と聞いてきました。僕が「寄付の……donationの……」と答えると、「ふーん」と言って黙ってしまいました。昔を知ってるオオトさんにとっては、刻まれた人名を見るのは、けっこう辛いことなのかも知れません。


 それにしても、いったいどうしてこの町はここまで衰退したのか。実は2000年、この町を朝日新聞の記者が取材しており、その記事によれば、

《差別を受けて苦労した一世と二世は、戦中、戦後生まれの三世たちに期待を寄せ、教育に力を入れた。若者は高校を卒業すると、就職や進学のためにここを離れた。弁護士や医師になった人もいる。(中略)
 昨年、日系人たちが自分の家を自由に売ることができるようになった。日系人住宅組合の所有だった宅地が、個人所有に変わったからだ。土地の分割にかかる費用には補助金が出る。それは、「日本人町」の面影をますます薄れさせることにつながる》(2000年2月10日)


 ということだそうです。記事は、補助金を行政に働きかけた二世の女性の言葉で締めくられています。僕も、その言葉を最後に引用しておきましょう。

《「日系人は戻ってこなくても、土地が個人所有になれば、三世たちは、親がいなくなったら家を自由に売れる。さびしいけど、ここを出て、アメリカの社会にはばたいてほしい」》

 この町で育ち、この町で人生を終える一世・二世たちの、これが本音なんだと思います。

制作:2004年5月9日

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