麻布の凱旋門



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 乃木希典が、広島から新橋駅に到着したのは1905年1月14日でした。その前日、乃木邸の近く(麻布聯隊の前)で凱旋門が作られていました。そのときの様子を『時事新報』(1月14日)の記事より引用しておきます



《13日の午後、社員(=記者のことか)は赤坂新坂町上なる大将邸を訪いたるに、竹の矢来垣寂然(ひっそり)として人影少なきことここに3年越しの邸宅は、この一両日にわかに春の来たれるがごとく活気を帯び、門前には道路に面して鳥居形の杉葉の大凱旋門、すでに九分通り出来上がりて、人夫数十人、葉を編むもの、運ぶもの、足場の上より呼ぶもの、なかなかに勇しかりし邸内には、ところどころに焚火を囲みて人夫ども群がり立ち、ある者は凱旋門頭に掲ぐる「祝凱旋」の大額に揮毫(きごう=筆書き)しつつあり。



 厩(かわや)のあたりは塵一つなく清く掃除せられて、旧臘来(=昨年12月以来)大修繕中なりし厩の内部は、床も天井も総ヒノキの板の香さえ新たなり。厩の向こう一カ所、こなたの小松原の下に一カ所、天幕(テント)の張りあるは車夫の休憩場と受付所となり、更に屋内は主人待ち受けの用意忙しく、20人ばかりの男女立ち惑うが見えぬ。



 門の所まで出ずれば、門側に深き穴を掘りて、更に一本の太き丸太を打ち立てつつあり。この柱より四方へ万国旗をつるすなりとのこと、見渡せば邸附近の家々はこの日早くも紅白の幕を打ち通し、球燈(=小形の丸い提灯)を戸毎にかけつつありき》