かつて輝いていた未来へ


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未来の海洋牧場(沖縄「海洋博」公式ガイドブックより)


 1950年代から70年代にかけて、世の中には「明るい未来」の画像があふれていました。

 その双璧は、子供向けの『学研の科学』と『少年マガジン』です。


 『学研の科学』には、ガンダムを使った「ジオン公国の野菜作り」から「うんちロケット」まで多種多様な画像が溢れ出ていました。
学研は昔から未来画像が好きで、たとえば1953年に刊行された『新中学生』(『六年の学習』臨時増刊号)でも巻頭に100年後の未来を掲載しています。


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百年後の大都市(イラストは中島章作)


 少年マガジンの場合は、大伴昌司という名編集者がいて、怪獣から
SF、奇怪話まで多くの「図解」を世に送り出しました。


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ジェットスクーター(1967430日号、『荒俣宏の少年マガジン大博覧会』より転載)


 この2誌を中心に、大量の未来画像が世に送り出されました。そしてその多くは明るく輝く未来でした。それはいったいなぜなのか?

 背景を考える上で、冷戦を抜きには考えられません。

 ソ連=共産主義国は科学的に進んだ国家であり、その進歩を高らかに世界に見せつける必要がありました。だからこそ、ピカピカに輝く未来が演出されたのです。


 そこにアメリカが対抗し、宇宙旅行をはじめとする信じられないほどの技術発展がありました。
つまり、当時の未来予測はあながち絵空事ではなかったのです。

 しかし、日本では
1970年を境に様子がおかしくなってきます。公害など科学の負の面が露呈しはじめ、科学万能主義に陰りが出てきたのです。それを証明するかのように、1970年に行われた大阪万博のテーマは「進歩と調和」になりました。

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明治乳業、明治製菓の「大阪万博」広告


 実は、1950年代、もっとも大きく輝く未来は、原子力でした。
 アメリカの有名なイラストレーターであるアルベルト・バルガスは、放射能で異変を起こした女性を「明日の女/原子の悲劇」として描いていますが、こうした悲観論はむしろ例外で、一般的には「輝く未来」と「原子力」は車輪の両輪となって世の中に流布していました。


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明日の女/原子の悲劇(『時事世界』19557月号)


 しかし、明るかったはずの原子力も、放射能漏れ事故や被爆の実態が見えてくるにつれ、輝きは消えていきました。


 そこで、本サイトでは、かつて描かれた「未来予想図」を一挙公開します。

 言うまでもなく未来予測は昔から存在しています。しかし、古代メソポタミアの巫女の予言を取り上げても意味がないので、ここでは
19世紀後半の「科学」の時代以降を対象にします。

 ちなみに、科学予測の始まりはいつかというと、
1893年、シカゴで開かれた「世界コロンブス記念博覧会」(シカゴ万博)が最初だと言われます。 当時、74人の識者が100年後を予想したのですが、

・人間の寿命は150歳までのびる
・税金が不要なほど経済発展している
・アメリカは北米、中南米をすべて支配している
・戦争も犯罪も一掃されている

などの未来が予言されました。


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シカゴ万博「歩く歩道」(ウィキペディアより)


 そして、
1901年(明治34年)、日本で最初の大規模な未来予測を『報知新聞』が行っています。
 いったい未来予測はどう発展してきたのか。残された画像資料を中心に、その歴史を振り返ります。


未来予測画像はイラストが多く、著作権が残存しているものが多数あります。しかも、作者の死亡時期が不明で、著作権の消滅時期が不明な場合もかなりあります。そこで、基本的に公開から50年以上たった作品を掲載します。著作権が残存しているものは、合法&常識の範囲内で掲載しています。