日本のトホホな「防空精神」

東京大空襲
空襲後、廃墟となった東京


 昭和20年(1945)3月10日、アメリカ軍は東京に無差別大空襲を行いました。2時間半の攻撃で消失家屋27万戸、死者8万3793人(警視庁調べ)の大惨事でした。
 それまで高々度から行われていた空襲が、3月10日からは低空飛行に変わりました。そのため、比較的正確に目標に焼夷弾を落とせるようになりました。

 東京に降ってきた焼夷弾は「M69」と呼称されていますが、日本の木造家屋を効果的に燃やせるよう、米軍が新たに開発したものです。姿勢を垂直に保つため、青地のリボンが取り付けられており、空中でこのリボンに引火するため、まるで火の帯が降り注ぐように見えました。
 また、日本側は高射砲で反撃しますが、これも照明が闇夜を一直線に引き裂くため、非常にきれいだったと言われています。

 東京は、漆黒の闇に浮かぶ閃光の中で焼き尽くされたのです。

 で、日本側は、空襲以前からさまざまな防空マニュアルを配っていたんですが、残念ながら、多くのものは精神論ばかりが強調されていました。
 たとえば、昭和17年に刊行された『時局防空必携 解説』によれば、「防空精神は即ち日本精神」であり、焼夷弾が落ちたら土や砂をかぶせ、その上から水をかければいいそうです。とはいっても、焼夷弾は3000度の高温を出すものまであるわけで、それじゃ、絶対消せねーよ、って感じです。 いくらなんでもトホホすぎます。



●防空精神

 いかに物の準備があっても、魂がしっかりしていないと役には立たない。特に防空のためには、老人も子供も、男も、女も、一切の国民が次の心構(防空精神)を持たねばならない。

 1 全国民が「国土防衛の戦士である」との責任と名誉とを充分自覚すること。
 2 お互いに扶(たす)け合い力を協(あわ)せ、命を投げ出して御国を守ること。
 3 必勝の信念を以て各々持場を守ること。

 この防空精神は、即ち日本精神である。


防空精神
用意するものは水と砂と消火器
(『家庭防空』第1集より)

●焼夷弾が落ちたら

一 防護監視員はブリキ缶、金盥、バケツ等を打ち鳴らし、落ちた所を大声で組内へ知らせる
二 焼夷弾の落ちた家庭

 1 防空従事者はなるべく被服を水で濡らし防火に当ると同時に、大声で近隣に知らせる。
 2 防火のやり方は直ちに周囲の燃え易い物に水をかけると同時に、濡れ筵(むしろ)類、砂、土等を、直接焼夷弾に冠せ、その上に水をかけ火焔を押へ、延焼を防ぐ。
 3 エレクトロン焼夷弾の火勢が衰えたものは屋外に運び出す。黄燐焼夷弾が飛散って柱やフスマ等に付いた時は、速かに火叩き等で叩き落して消火する。

三 隣組

 1 防空従事者は、なるべく被服を水で濡らして直ちに現場に駈けつけ、組長はこれを指揮して全力を挙げて防火に当る。
 2 隣組の力で防火の見込がないと思う時は、最寄の警防団詰所、警察、消防官署等のいずれかに通知して応援を求める。
 3 隣接の隣組が応援に来た時は、これと力を協せ防火に当る。
 4 負傷者には応急手当を加え、重傷者は直ちに救護所に送る。
 5 不発弾は「危険」「注意」等の札を立て、周囲に縄張し、最寄の警察消防官署又は警防団詰所等のいずれかに通知する。

●火災になったら

一 被服を水で濡らし消火に当る
二 燃えている所にどんどん水をかける
三 次の方法により隣家への延焼防止に努める。この場合、多量の水が必要であるから水の補給に気をつけること

 1 隣家が火焔をかぶっているときは、バケツ、水柄杓、水道ホース等でその場所に水をかける。
 2 熱気をうけて建物の外側から水蒸気を発散しているときは、火を発しやすい庇下、妻等に注意して、バケツ、水柄杓、水道ホース等で水をかける。

四 風下では飛火の警戒をする。飛火の警戒には水で濡らした火叩きで飛火を叩き消すか、バケツ、水柄杓等で水をかける。
五 警防団や消火隊が駈けつけて来たら、その指図に従って消防の補助にあたる。



 上の文章では「隣組」による消火協力が謳われていますが、昭和13年の段階では「家庭防火群」と呼ばれるものがありました。
 要は向こう3軒両隣の防火ブロックのことで、各家庭1名ずつを決めて、火災を周囲に知らせる役割を与えていました。焼夷弾があちこちに数百もばらまかれ、30秒〜1分以内に防火処置をしないと、大都市も焼け野原になってしまうと言うのです。
 そこで、こんな標語が登場します。

《最初の1杯は後の100杯の水に勝る》

 これじゃ、東京も全焼するよなぁ(涙)。


 一方、ガス弾の場合はどうか。

空襲の救護班
帝都空襲に遭えば〜救護班の活躍
(防毒用ガスマスクに注目!)

ガス弾対策
外では風上に逃げ、濡れたふきんで顔を覆う。屋内では風下の窓を閉め、老人、子供は防毒室か防毒蚊帳に


ガス弾対策
防毒室への避難は係員の指導に従い、目張りを完全に


更新:2012年8月5日

<おまけ1>
 作家の坂口安吾が、爆弾と焼夷弾の違いについて書いています。

《同じように落ちてくる爆弾でも焼夷弾と爆弾では凄みにおいて青大将と蝮(まむし)ぐらいの相違があり、焼夷弾にはガラガラという特別不気味な音響が仕掛けてあっても地上の爆発音がないのだから音は頭上でスウと消え失せ、竜頭蛇尾とはこのことで、蛇尾どころか全然尻尾がなくなるのだから、決定的な恐怖感に欠けている。
 けれども爆弾という奴は、落下音こそ小さく低いが、ザアという雨降りの音のようなただ一本の棒をひき、此奴(こいつ)が最後に地軸もろとも引裂くような爆発音を起すのだから、ただ一本の棒にこもった充実した凄味といったら論外で、ズドズドズドと爆発の足が近づく時の絶望的な恐怖ときては額面通りに生きた心持がないのである。
 おまけに飛行機の高度が高いので、ブンブンという頭上通過の米機の音も至極かすかに何食わぬ風に響いていて、それはまるでよそ見をしている怪物に大きな斧(おの)で殴りつけられるようなものだ。攻撃する相手の様子が不確かだから爆音の唸りの変な遠さが、甚だ不安であるところへ、そこからザアと雨降りの棒一本の落下音がのびてくる。爆発を待つまの恐怖、全く此奴は言葉も呼吸も思念もとまる。愈々(いよいよ)今度はお陀仏(だぶつ)だという絶望が発狂寸前の冷たさで生きて光っているだけだ》(『白痴』)


<おまけ2>
 東京大空襲をはじめとする日本の「焦土化作戦」を立案したのは、カーチス・ルメイです。戦後、ルメイは日本の航空自衛隊の育成に貢献し、1964年12月7日、勲一等旭日大綬章を授与されています。

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