投降ビラ「伝単」の世界

伝単
これが厭戦気分を盛り上げさせた「伝単」


 終戦間際、アメリカ軍は飛行機から日本各地に謀略宣伝ビラをばらまきました。このビラを伝単といい、厭戦気分にさせるためのさまざまな文章が書かれていました。
 たとえば本サイトの管理人が持っている現物には、次のように書かれています。

伝単
こちらが表

伝単
こちらが裏


《日本軍首脳は、“吾(わ)が国土防衛は鉄壁陣である”と誇り、“本土の攻撃を敢行するものあらば吾が海、空軍は断乎(だんこ)之(これ)を殲滅する”と断言した。
 今日、米国の海空軍は日本々土(本土)を自由に攻撃し 然(しか)も刻々熾烈の度を加へ軍首脳は全く無力となってしまった。(中略)
 日本を救ふ道は軍首脳者の豪語ではない。日本国民のみが
   “無条件降伏”
 によって郷土を救ひ得るのである》



伝単
トルーマン大統領からのメッセージ


 さらに、『紙の爆弾』(出久根達郎・文芸春秋刊)によれば、ほかにもこんな文章が書かれていました。

《日本国民は次の自由(私権)を享有すべきである。

  一、欲望の自由
  一、恐怖からの自由
  一、言語の自由
  一、圧制からの自由

 右の自由を得る道は唯一つある。この戦争を惹起した軍閥を除去し、自由国民の仲間入りをし給へ。》


伝単
こちら「落下傘ニュース」

 あるいは、

《軍閥が支那と戦争を未だ始めて居なかった昭和五年には十円で次の物が買へた。

  一、上等米二斗五升
  一、或ひは夏着物八着分の反物
  一、或ひは木炭四俵

 そうして絶望的戦争を続けた今は、十円で買へる物は、

  一、暗取引(やみとりひき)して上等米一升二合
  一、木炭少額(買ひ得れば)
  一、木綿物(品なし)

 以上が諸君の指導者の云ふ共栄圏の成行きである!》

伝単
日本護送船団覆滅の実況


 こんなビラが、昭和20年2月頃から終戦までのおよそ半年間に、458万4000枚がばらまかれたといいます。何万枚という伝単が空から降ってくる光景は壮観だったとか。拾わせるために紙幣タイプが多かったんですが、拾って持ってると非国民として処罰されました。そのため、現在では現物はほとんど残ってないと言われます。

伝単

《日本兵が一人残らず戦場の露と消え、また日本の都市がことごとく爆撃のため灰燼に帰すまで抵抗を続ければ、結局、日本はどんなになるかを考えたことがありますか。
 最後まで戦えば、日本は国家の中堅たるべき壮年・青年を失い、ただ女・子供・年寄の国となってしまいます。こうすれば日本は国家の体制を失い、外国の援助を受けなければならなくなります。
 そういう悲惨な日本を想像したことがありますか。
 今や日本が負けるということは火を見るよりも明らかです。
 聖上陛下におかせられては、かく悲惨なる運命より、日本を助け出したいと思し召されていることと拝察するも畏れ多き極みであります。
 しかし日本の軍部は、おそらく陛下のそのような御思召をいつまでも兵士や国民の前に隠していることでしょう。今こそ陛下の大御心を体し奉り、無益な抵抗をやめて、悲惨な運命より日本を救うような努力すべき秋(とき)ではないでしょうか》


伝単

《本土もいま一つの島にすぎないんじゃないか?
 2万5千の日本軍が、サイパンを支えなかったとき、軍部はサイパンもいま一つの島にすぎないといった。
 2万4千の日本軍が、硫黄島を支えなかったとき、軍部は硫黄島もいま一つの島にすぎないといった。
 12万の日本軍が沖縄を支えなかったとき、軍部は沖縄もいま一つの島にすぎないといった。
 これらの島は、はじめにまず飛行機が訪れた。——ちょうど本土がまず飛行機にやられたように。それが、島々の運命の前ぶれであった。
 本土も、これらの島と同じ運命に直面したいま一つの島に過ぎないことを考えよ》



更新:2013年1月13日


<おまけ>
 日本軍もフィリピンなどで英文の伝単をばらまきました。日本軍の伝単はどうやって作られたのか。知られざる歴史を発掘です。

アメリカ向け伝単
撃墜されたB29の乗員の写真を使用

アメリカ向け伝単
投降すれば、私のキスが待ってるわよ

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