「独島体験館」と「独島博物館」
韓国が「竹島は韓国領」とする根拠は?

独島体験館
独島体験館の様子


 現在、韓国が不法占拠してる竹島ですが、実効支配がこれだけ続くと、ふたたび戦争するか買収でもしない限り、現実的には日本領に戻すことは不可能です。
 しかし、日本としては「不法占拠だ」と言い続けるしかなく、それが韓国人にとっては癪の種です。韓国人からしたら、日帝がふたたび領土を奪いに来ると思ってるわけで、是が非でも独島を死守しなければなりません。

独島サラン
独島Tシャツ、独島帽子、独島スカーフを身につけたマネキン

 
「独島」は、韓国人が愛国心を満たす最高のスポットです。韓国ではこれを「独島愛」(ドクトサラン)と呼んでいます。
 その愛は過激なもので、2012年には歌手キム・ジャンフンが独島に遠泳して拍手喝采を浴びたり、韓国KBS放送の女子アナ、チャ・ダヘが独島に新婚旅行に行って絶賛されました。

 ちなみに、独島で最初に結婚式を挙げたのは、伝統武術家のキム・ジョンボクと舞台女優ソン・ヒジョンだとされています。一般人の独島訪問が解禁されてから1カ月たった2005年4月23日のことでした。

 韓国人の独島訪問者数は年々増加し、2013年4月、ついに100万人を突破して大ニュースとなっています。
 こうしたお国柄か、韓国では「独島」にあやかったビジネスやキャンペーンが成功することも多いのです。有名な例で言うと、2001年8月15日(光復節=日本の敗戦記念日)に、大邱銀行がネット上に「独島支店」を作って以来、いまでは多くの金融機関に「独島支店」や「独島カード」が作られています。

大邱銀行独島支店
大邱銀行独島支店


 通信会社も独島に回線を引くのは熱心で、2013年4月には、本土の田舎より先に高速無線通信「LTE」のサービスが始まりました。こうしたニュースが、韓国人の自尊心をくすぐるわけですね。

 韓国政府も、独島愛の流れを進めるべく、2012年9月14日には、ソウル駅から歩いて10分の場所に独島体験館をオープンさせました。予算は23億ウォン(約1億6000万円)。

 そんなわけで、さっそく独島体験館に行ってみたよ。

独島体験館
独島体験館


 展示は意外にしょぼく、独島が韓国領だとする文献や地図が並んでいるばかり。
 大きく扱われているのは、朝鮮半島に残る最古の史料『三国史記』(1145年)です。ここに、

《512年、于山国(うざんこく)が新羅に服属し、毎年土地の産品を貢いだ。この国は東の海にあり、別名は鬱陵島》
 
 という一文があるんですね。この文献には鬱陵島以外の島の記録はありませんが、実は韓国が独島を固有の領土とする根拠は、この「于山」がキーワードになっています。

三国史記(独島体験館)
三国史記


 ここで簡単に前提を書いておくと、壱岐や対馬を除くと、日本と韓国の間には鬱陵島と竹島しか存在していません。しかし、ヨーロッパが鬱陵島を「アルゴノート島」や「ダジュレー島」と命名したことで、この海域に複数の島があると誤認されてきました。
 また、日本もかつて鬱陵島を「竹島」、竹島を「松島」と呼んでいたので、地図がどの島を指してるのかわかりにくくなっています。

竹島地図
竹島と鬱陵島の関係図(外務省のサイトより)


 韓国は、1770年に編纂された『東国文献備考』に、
《輿地志にいわく「鬱陵・于山は、みな于山国の地で、于山はすなわち倭のいう松島である」》
 と書かれていることを根拠に、于山は独島だと断定しています。そして、于山島と書かれたものすべてが「韓国が昔から独島を認識していた証拠」と説明します。

東国文献備考
東国文献備考

 于山島と鬱陵島が併記された地図は複数ありますが、しかし、「于山島には多くの人が住んでいる」といった記述もあり、どう考えても于山島は鬱陵島なんですね。あるいは鬱陵島の脇にある小島「竹嶼」か。
 それで、日本としては、于山島は実在しないか、または竹嶼であると反論しているのです。

八道総図
右に鬱陵島、左に于山島が描かれた『八道総図』。
世界初の「竹島」が描かれた地図だが、実際の位置と逆

東国地図の模写
『東国地図』の模写(1757年)。こちらは左に于山島が右にあるが、距離が近すぎる


「独島は韓国領」とするもうひとつの大きな柱が、江戸幕府から「独島は朝鮮の地」という国書を受け取ったという安竜福の証言です。
 安竜福は韓国では小学生でも知ってる英雄です。その「偉業」を、韓国の放送局KBSが日本語で公開した文章から一部改変、省略引用しておきます。韓国側の解釈が明快なので、若干長めに引用してあります。

安竜福
韓国の英雄・安竜福


《1693年、鬱陵島で漁をしていた安龍福は日本の漁師たちを見つけます。漁業権をめぐり日本の漁師たちと争った安龍福は日本に連行されます。
 生命の危険さえある状況でも彼は「鬱陵島から朝鮮本島までは1日の距離なのに、日本までは5日もかかる。よって鬱陵島と独島は朝鮮の所属である。朝鮮人自らが朝鮮の地に行っただけなのになぜ捕まえられるのか」と主張したのでした。
 彼の主張を聞いた伯耆州の長は、これを文書に作成して江戸幕府に送りました。
 江戸幕府は「鬱陵島と独島は日本の地ではないので、日本の漁民の出漁を禁止させる」という書契とともに、安龍福らの帰国を認めました。
 しかし朝鮮への帰国の途中、対馬島主にこの書契を奪われ、代わりに安龍福は対馬島主が朝鮮に送る書契を持たされました。そこには「鬱陵島での朝鮮漁民の漁を禁止させること」と書かれていました。
 その後、朝鮮は江戸幕府を代行した対馬島主と1年間にわたり鬱陵島・独島の領有権と漁業権をめぐる論議を行い、その結果1696年、江戸幕府は鬱陵島と独島は朝鮮の領土であることを確認しました。
 鬱陵島に漁にでかけた安龍福はそこでまた漁をしている日本の漁船を見つけます。
 彼は今度は、管理人を意味する旗を船の先につけ朝鮮官吏の服装をして日本に渡ると、伯耆州の領主に談判し「二度と侵犯はしない」という約束を得たのでした。
 そして1697年には江戸幕府も対馬島主を通じて鬱陵島と独島が朝鮮の領土であることを認め、日本の漁夫の出漁を禁止する内容の書信を送ってきました》(2012年8月9日「韓国偉人伝」)


 この鬱陵島の帰属をめぐる交渉は「竹島一件」と称されています。
 当時、朝鮮では鬱陵島の居住も出漁も禁じており、つまり安龍福は密漁を行っていました。KBSは「言わば、民間外交官」と持ち上げていますが、実態は単なる犯罪者です。実際、その後、身分を偽ったかどで朝鮮でも流罪になっています。
 幕府が日本人の鬱陵島への渡航を禁止したのは事実ですが、日本側に記録もないことから、安龍福の証言は信憑性が疑われています。

 ソウルの独島体験館の展示は、ほかに「独島を韓国領としている地図」がいくつかある程度で、あとはビデオや自然の紹介で終わりです。

竹島地図
日本(対馬)は白だが、竹島は韓国と同じ黄色で塗られた地図
(新撰朝鮮国全図、1894年) 


 実は、独島に関する展示は、サムスン電子が鬱陵島に建てた「独島博物館」のほうが充実してるんですね。そこで、さっそく鬱陵島に行ってみたよ。

独島博物館 独島博物館
独島博物館。外観と展示


独島博物館
独島博物館の提供はサムスンです


 こちらも展示の多くは文献と地図でした。案の定、安竜福の展示もかなり目立っていました。

安竜福
竹島から日本人を追い出す安竜福


鬱陵島と于山島の地図 鬱陵島と于山島の地図
鬱陵島と于山島(子山島)の地図。なぜか于山島は鬱陵島の北に。
このあたりも日本政府が于山島は実在しないとする根拠です


 こちら独自のコンテンツとしては、「独島義勇守備隊」の展示もありました。これは鬱陵島出身の傷痍軍人ホン・スンチル(当時23)が、地元警察で「島根県隠技郡五箇村竹島」と書かれた標木を見つけ、激昂したことから組織されました。
 以下、中央日報(2012年8月19日)の日本語記事を、やはり省略引用しておきます。

《義勇軍は15人規模の戦闘隊2組、補給連絡担当3人、予備隊5人、補給船船員5人など45人だった。装備は軽機関銃2丁、M-2小銃3丁、M-1小銃10丁、拳銃2丁、手榴弾50発、0.5トンのボート1隻。53年4月20日に義勇隊は独島の西島に上陸した。すぐ日本の独島侵犯が始まった。
 義勇守備隊は6月24日に日本の水産高校の実習船を西島の150メートル前で捕まえ、「独島は韓国領」であることを周知させ解放した。7月12日午前5時、日本のPS-9の侵犯時は真価を発揮した。艦艇の90メートル前から軽機関銃で200発を打ち込んだ。
 53年7月の休戦後、日本は8月に5回、9月に2回、10月に1回と何度もやってきた。韓国当局はほとんど知らなかった。ホン・スンチルは8月に彼らが接近するのが目撃された時は銃を撃って阻止した。
 このように義勇隊は56年12月30日まで独島を守り国に任務を引き渡した。3年8カ月にわたった。彼らがいなかったら独島は日本の実効支配に置かれかねなかった。義勇隊は66年の防衛勲章を受けた。輝かしい活動に対する報いにはみすぼらしかった》


「独島義勇守備隊」のホン・スンチル
「独島義勇守備隊」のホン・スンチル(洪淳七)


 彼らの活躍で特に名高いのは、1954年11月21日、日本の海上保安庁の艦艇3隻を撃退したときのことです。死傷者は16人とされていますが、実は日本側にこの記録はないんですね。そんなことからも、この英雄たちの戦いは、かなり底上げされた伝説とされています。

林子平の三国接壌之図
竹島が韓国と同じ色に塗られ、「朝鮮のもの」と記されている
(林子平『三国接壌之図』、1785年)

鬱陵島と竹島の地図
こちらも竹島が韓国と同じ色に塗られた地図
(『銅板朝鮮国全図』、1882年)

竹島への渡航禁止命令
明治政府が出した鬱陵島への渡航禁止令(1882年)

 
 でだ。
 実は独島博物館の入口には、世界で初めて竹島が描かれた「八道総図」が大きなパネルになって設置されています。それが下の写真ですが、ここでもう一度、先に掲載した八道総図と見比べてみて下さい。
 よく見ると、于山島と鬱陵島の位置が逆になっています。韓国は于山島が竹島だと強弁しているので、竹島が鬱陵島の西にあるとまずいんですね。そういうわけで、とりあえずパネルは捏造してみたというわけ。
 おいおい、そりゃマズイだろうよ(涙)。

于山島と鬱陵島
于山島が鬱陵島の東にある捏造『八道総図』
 

 ちなみに、この独島博物館のすごいところは、建物の前に「対馬はわが国のもの」という巨大な石碑が建ってることです。昔から「朝鮮図」には一緒に対馬も記載されているし、しかも『世宗実録』に、

《対馬為島 隷於慶尚道之𨿸林 本是我国之地》
《対馬島 本朝鮮牧馬之地》


 などとあることが根拠のようです。この博物館はサムスンが出資して作ったものです。ということは、サムスンは対馬が韓国領だと思ってるわけですね。
 韓国の朴槿恵大統領は、演説で「被害者と加害者の立場は1000年経っても変わらない」と述べましたが、やっぱり韓国の日本への嫌がらせもきっと1000年続くんでしょうね。

<おまけ>
 
 独島博物館のもう一つの展示の柱が、「日本海を東海と呼べ」と主張するものです。韓国が2007年に公表した調査によると、400の古地図中、194が韓国海、韓国湾、東海、東洋などと記載されていたそうです。だから「東海」と呼ぶべきという主張ですね。
 一方、日本の調査では、米議会図書館の古地図1213枚の87%、フランス国立図書館215枚の95%が「日本海」でした。
朝鮮海の地図 朝鮮海の地図
朝鮮海の地図(両方とも東海ではないですね)

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