土地の記憶
100年前の軍都・東京を往く

防衛省
東京の真ん中に広大な土地を持つ防衛省


 明治4年(1871)、日本陸軍は国家防衛のために「鎮台」という部隊を全国に設置します。明治21年、この鎮台を「師団」に変更。面白いことに、初期の師団は、すべてが城址に置かれていました。

・第2師団……仙台・青葉城
・第3師団……名古屋城
・第4師団……大阪城
・第5師団……広島城
・第6師団……熊本城


 第1師団はもちろん東京ですが、これは江戸城ではなく、現在の南青山1丁目にありました。どうして江戸城じゃないかというと、ここには近衛師団(このえしだん)が置かれていたからです。

第1師団司令部 近衛師団と北白川宮の銅像
(左)第1師団司令部 (右)近衛師団と北白川宮の銅像


 大阪城のすぐ脇にある旧大阪市立博物館は、第4師団司令部跡。北の丸公園にある東京国立近代美術館工芸館は近衛師団司令部跡です。ちなみに金沢城には、第9師団の第6旅団司令部が現存しています。

大阪市立博物館 金沢の第6旅団司令部
(左)閉鎖前の大阪市立博物館 (右)金沢の第6旅団司令部


 さて、いったいぜんたい何が言いたいのかというと、軍隊というのは広大な土地が必要だということです。
 当然ですが、軍隊は訓練するための練兵場や、銃器工場、火薬保管庫などさまざまな土地を必要とします。その土地は、敗戦で軍が消滅した後、どうなったのでしょうか?
 たとえば、海軍大学校、海軍経理学校、海軍軍医学校、参考館(海軍の教育館)などがあった東京築地エリア。ここは現在では、朝日新聞社、国立がんセンター、海上保安庁水路部などが存在しています。
 このように、東京23区内にあった広大な軍用地が、その後どうなっていったかを調べてみたよ!
(なお、今回は「江戸明治東京重ね地図」の1907年頃の地図を利用しました。写真は主に1903年頃)

海軍大学校
海軍大学校


<防衛省・自衛隊関連にそのまま移行>

●陸軍士官学校、陸軍中央幼年学校→防衛省
  現在の防衛省は市ヶ谷という東京のど真ん中に広大な敷地を持っていますが、ここには陸軍士官学校という当時最高のエリート養成校がありました。後に東京裁判が行われ、三島由紀夫が自殺した場所ですね。
陸軍士官学校
陸軍士官学校

●東京砲兵工廠十条支部、火具・鉄砲製造所→十条駐屯地(現在は移転)
●海軍火薬製造所→艦艇装備研究所(中目黒)
●駒沢練兵場→防衛省技術研究本部、自衛隊中央病院、自衛隊三宿駐屯地、世田谷公園


<現在の官庁等になったもの>

●海軍省、軍令部→農林水産省(合同庁舎1号館)
海軍省(軍令部)
海軍省(軍令部)

●陸軍参謀本部、陸軍省→国会前庭、憲政記念館
  この場所は江戸時代は井伊直弼の大邸宅がありました。陸軍の陸地測量部もあったため、今でもここには日本水準原点が存在しています。

参謀本部 陸軍省
参謀本部(左)と陸軍省

現存する水準原点(国会前庭)
現存する水準原点(国会前庭)

●陸地測量部修技所→国土交通省、総務省
●近衛騎兵聯隊兵営→気象庁、東京消防庁
●衛戍総督部、東京衛戍病院、東京兵機本廠→国立劇場と最高裁
  衛戍は「えいじゅ」と読み、軍の永久駐屯のことを指します。
●陸軍衛生材料廠→予防衛生研究所(国立感染症研究所の前身。現在は移転)
気球隊本部→警察大学校
●陸軍砲工学校→警視庁第8機動隊
陸軍砲工学校
陸軍砲工学校


<学校・病院になったもの>

●陸軍輜重兵営→慶応病院
  輜重は「しちょう」と読み、軍需品の輸送・補給のことを指します。
●近衛砲兵営→昭和女子大一帯
●近衛歩兵第4聯隊→國學院高校、青山高校
●陸軍大学校→青山中学校
陸軍大学校
陸軍大学校

●海軍下瀬火薬製造所→東京外国語大学(現在は移転)
●歩兵第3聯隊兵営→東大生産技術研究所→政策研究大学院大学(六本木)
●陸軍戸山学校射撃場→学習院女子中高・短大
●陸軍戸山学校練兵場→早稲田理工学部、戸山公園

戸山学校
戸山学校での訓練

●陸軍弾薬倉庫、兵器支廠→お茶の水女子大
●陸軍経理学校→東京女子医大
  隣接してフジテレビ旧本社がありますが、こちらは徳川義恕邸跡。
●陸軍軍医学校、軍馬補充部・築城部本部→東京逓信病院、嘉悦女子中高
●陸軍火薬製造所→帝京大学病院、東京家政大学一帯
●近衛輜重兵大隊、騎兵営、騎兵実施学校→筑波大付属駒場中高、東邦大学病院、警視庁交通機動隊

近衛輜重兵大隊 騎兵実施学校
近衛輜重兵大隊(左)と騎兵実施学校


<公園や美術館等になったもの>

●近衛歩兵第1第2聯隊兵営→北の丸公園一帯
●海軍水路部→芝公園
海軍水路部
海軍水路部

●代々木練兵場→代々木公園、NHK
●青山練兵場→明治神宮外苑
青山練兵場の観兵式
青山練兵場の観兵式

●海軍火薬庫→国立科学博物館付属自然教育園、庭園美術館(港区白金台)
●陸軍被服本廠→震災慰霊堂(墨田区横網)


<そのほか>

●近衛第3聯隊兵営→TBS
●歩兵第1聯隊兵営→旧防衛庁→東京ミッドタウン
●東京砲兵工廠(兵器工場)→東京ドーム
砲兵工廠
砲兵工廠(1930年頃)


●陸軍衛戍監獄→渋谷公会堂、渋谷区役所
●電信隊本部→中野サンプラザ、中野区役所
電信隊
電信隊


 以上はざっと見ただけなんですが、これだけでも相当な土地を軍が占めていたことがわかるでしょ。


 さて、上記したように、六本木には旧防衛庁がありました。現在の東京ミッドタウンですな。そこから目の前の通りを入っていくと、現代美術のような斬新な建物が並んでいます。右手が黒川紀章設計の国立新美術館で、正面が、パリのポンピドゥー・センターを設計したリチャード・ロジャースによる政策研究大学院大学。
 このあたりに歩兵第3聯隊がありました。この敷地がどうなっているかというと、実はほとんどがアメリカのものなんですよ。星条旗新聞社があり、さらにここには米軍のヘリポートがあります。
 六本木のど真ん中に米軍基地があるって驚きですよね。そんなわけで、そのヘリポートを見に行ってみました。

六本木ヘリポート
六本木ヒルズ近くの外国。日本人立ち入り禁止です



 なんていうか、やっぱり日本って、アメリカの植民地っていう感じですな。
制作:2007年9月18日

皇室の土地の歴史について


<おまけ>
 日本の近代小説の先駆とされる『浮雲』を書いた二葉亭四迷は、陸軍大学校でロシア語を教えたり、海軍省の編輯書記の仕事をしたりしています。
 芥川龍之介は帝大英文学科を卒業後、職がなく、海軍機関学校で英語を教えていました。その海軍機関学校は横須賀ですね。このように、当時の軍は優秀な人材の宝庫でもありました。
海軍機関学校
芥川龍之介が教師をしていた海軍機関学校(横須賀)

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