柳田国男『遠野物語』より「河童」全文


 日本民俗学の父・柳田國男は、1910年(明治43年)に説話集『遠野物語』を発表します。これは、岩手県遠野町出身の佐々木喜善(鏡石)が収集した近辺の民話を集大成したものです。
 本編は119話で、その後に発表された『遠野物語拾遺』には299話が収録されています。内容は天狗、河童、座敷童子、山人、神隠し、民俗行事など多岐にわたり、この作品が口承文芸の基礎となりました。

 2013年、柳田国男の著作権が消滅したことを受け、全文を公開していきます。まずは河童に関する内容をすべてまとめておきました。
 内容的には、遠野の河童は顔が赤い、馬にイタズラして詫び証文を書いた、などで、河童研究の基礎文献といえます。
 
 なお、醜い河童の子を産んだ女性の話は、近親相姦によって生まれた奇形児をごまかすために河童が使われたという説もあります。その真偽はともかく、100年前の農村の一つの姿が浮かび上がると思います。



●第55段(遠野物語)
 川には河童多く住めり。猿が石川ことに多し。松崎村の川端の家にて、2代まで続けて河童の子を孕(はら)みたる者あり。生れし子は斬り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり。その形きはめて醜怪なるものなりき。

 女の婿の里は新張村の何某とて、これも川端の家なり。その主人 人にその始終を語れり。かの家の者一同ある日畠(はたけ)に行きて夕方に帰らんとするに、女川の汀(みぎわ)にうづずくまりてにこにこと笑ひてあり。次の日は昼の休みにまたこの事あり。かくすること日を重ねたりしに、しだいにその女の所へ村の何某という者夜々通うという噂立ちたり。

 始めには婿が浜の方へ駄賃附(だちんづけ)に行きたる留守をのみ窺ひたりしが、後には婿(むこ)と寝たる夜さえくるやうになれり。河童なるべしといふ評判だんだん高くなりたれば、一族の者集まりてこれを守れどもなんの甲斐もなく、婿の母も行きて娘の側に寝たりしに、深夜にその娘の笑う声を聞きて、さては来てありと知りながら身動きもかなはず、人々いかにともすべきやうなかりき。

 その産はきはめて難産なりしが、ある者の言ふには、馬槽(うまふね)に水をたたへその中にて産まば安く産まるべしとのことにて、これを試みたればはたしてその通りなりき。その子は手に水掻(みずか)きあり。この娘の母もまたかつて河童の子を産みしことありといふ。2代や3代の因縁にはあらずといふ者もあり。この家も如法(にょほう)の豪家にて何の某といふ士族なり。村会議員をしたることもあり。


●第56段(遠野物語)
 上郷村の何某の家にても河童らしき物の子を産みたることあり。確なる証とてはなけれど、身内まつ赤(まっか)にして口大きく、まことにいやな子なりき。忌(いま)はしければ棄(す)てんとてこれを携へて道ちがへに持ち行き、そこに置きて一間ばかりも離れたりしが、ふと思ひ直し、惜しきものなり、売りて見せ物にせば金になるべきにとて立ち帰りたるに、早取り隠されて見えざりきといふ。


●第57段(遠野物語)
 川の岸の砂の上には河童の足跡といふものを見ること決して珍しからず。雨の日の翌日などはことにこの事あり。猿の足と同じく親指は離れて人間の手の跡に似たり。長さは3寸に足らず。指先のあとは人ののやうに明らかには見えずといふ。


●第58段(遠野物語)
 小烏瀬川(こがらせがわ)の姥子淵(をばこふち)の辺に、新屋(しんや)の家(うち)といふ家あり。ある日淵(ふち)へ馬を冷やしに行き、馬曳きの子は外へ遊びに行きし間に、河童出でてその馬を引き込まんとし、かへりて馬に引きずられて厩(うまや)の前に来たり、馬槽(うまふね)に覆はれてありき。家の者 馬槽の伏せてあるを怪しみて少しあけて見れば河童の手出でたり。

 村中の者集まりて殺さんか宥(ゆる)さんかと評議せしが、結局今後は村中の馬に悪戯をせぬといふ堅き約束をさせてこれを放したり。その河童今は村を去りて相沢の滝の淵に住めりといふ。


●第59段(遠野物語)
 外の地にては河童の顔は青しといふやうなれど、遠野の河童は面(つら)の色 赭(あか)きなり。佐々木(鏡石)氏の曾祖母、穉(をさな)かりし頃 友だちと庭にて遊びてありしに、3本ばかりある胡桃(くるみ)の木の間より、まつ赤(まっか)なる顔したる男の子の顔見えたり。これは河童なりしとなり。今もその胡桃大木にてあり。この家の屋敷のめぐりはすべて胡桃の樹なり。


●第178段(遠野物語拾遺)
 橋野の沢檜川の川下には、五郎兵衛淵という深い淵があった。昔この淵の近くの大家の人が、馬を冷やしにそこへ行って、馬ばかり置いてちょっと家に帰っているうちに、淵の河童が馬を引き込もうとして、自分の腰に手綱を結えつけて引っ張った。馬はびっくりしてその河童を引きずったまま、厩にはいり、河童はしかたがないので馬槽(うまふね)の下に隠れていた。
 
 家の人がヤダ(飼料)をやろうとして馬槽をひっくりかえすと、中に河童がいて大いにあやまった。これからはけっしてもうこんな悪戯をせぬから許してくださいといって詫び証文を入れて淵へ帰って行ったそうだ。その証文は今でもその大家の家にあるという。
(底本:角川ソフィア文庫)


柳田國男『遠野物語』より
「神隠し」全文
「天狗」全文
「座敷童子」全文


制作:2013年1月3日

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