日本の降伏文書
INSTRUMENT OF SURRENDER

降伏文書
降伏文書(ミズーリ記念館のコピー)
(上から重光葵、梅津美治郎、マッカーサーのサイン)


 戦艦ミズーリに随行した富岡定俊少将の回想にこんなシーンがあります。

《各国代表が式場を去ったあとで日本側が降伏文書を点検したところが加奈陀(カナダ)代表が署名欄を間違えていた。岡崎外務随員の要求にスザーランド参謀長はいとも無雑作に手際よく訂正処理して、若(も)し立場が逆であったらやるであろう「この儘(まま)持って帰れ、敗戦国が生意気言うな」といったところが微塵もないのが嬉しかった》(『文藝春秋』1950年9月号)

 アンダーラインの上に署名するところを、カナダ代表が下に書いたため、署名が1行ずつずれてしまったんですね。日本の降伏文書に間違いがあったなんて初耳でしょ?

降伏文書
これが間違い箇所

 というわけで、降伏文書全文公開です。

 下名ハ茲ニ合衆國、中華民國及「グレート・ブリテン」國ノ政府ノ首班ガ千九百四十五年七月二十六日「ポツダム」ニ於テ発シ後ニ「ソヴィエト」社会主義共和國聯邦ガ参加シタル宣言ノ條項ヲ日本國天皇、日本國政府及日本帝國大本営ノ命ニ依リ且之ニ代リ受諾ス右四國ハ以下之ヲ連合國卜称ス

 下名ハ茲ニ日本帝國大本営竝ニ何レノ位置ニ在ルヲ問ハズ一切ノ日本國軍隊及日本國ノ支配下ニ在ル一切ノ軍隊ノ連合国ニ対スル無條件降伏ヲ布告ス

 下名ハ茲ニ何レノ位置ニ在ルヲ問ハズ一切ノ日本國軍隊及日本國臣民ニ対シ敵対行爲ヲ直ニ終止スルコト、一切ノ船舶、航空機竝ニ軍用及非軍用財産ヲ保存シ之ガ毀損ヲ防止スルコト及連合國最高司令官又ハ其ノ指示ニ基キ日本國政府ノ諸機関ノ課スベキ一切ノ要求ニ應ズルコトヲ命ズ

 下名ハ茲ニ日本帝國大本営ガ何レノ位置ニ在ルヲ問ハズ一切ノ日本國軍隊及日本國ノ支配下ニ在ル一切ノ軍隊ノ指揮官ニ対シ自身及其ノ支配下ニ在ル一切富岡定俊少将の回想

 下名ハ茲ニ一切ノ官庁 、陸軍及海軍ノ職員ニ対シ連合國最高司令官ガ本降伏実施ノ爲適当ナリト認メテ自ラ發シ又ハ其ノ委任ニ基キ發セシムル一切ノ布告、命令及指示ヲ遵守シ且之ヲ施行スルコトヲ命ジ竝ニ右職員ガ連合國最高司令官ニ依リ又ハ其ノ委任ニ基キ特ニ任務ヲ解カレザル限リ各自ノ地位ニ留リ且引績キ各自ノ非戦闘的任務ヲ行フコトヲ命ズ

 下名ハ茲ニ「ポツダム」宣言ノ條項ヲ誠実ニ履行スルコト竝ニ右宣言ヲ実施スル爲連合國最高司令官又ハ其ノ他特定ノ連合国代表者ガ要求スルコトアルベキ一切ノ命令ヲ發シ且斯ル一切ノ措置ヲ執ルコトヲ天皇、日本國政府及其ノ後継者ノ爲ニ約ス

 下名ハ茲ニ日本帝國政府及日本帝國大本営ニ対シ現ニ日本國ノ支配下ニ在ル一切ノ連合國俘虜及被抑留者ヲ直ニ解放スルコト竝ニ其ノ保護、手当、給養及指示セラレタル場所ヘノ即時輸送ノ爲ノ措置ヲ執ルコトヲ命ズ

 天皇及日本國政府ノ國家統治ノ権限ハ本降伏條項ヲ実施スル爲適当卜認ムル措置ヲ執ル連合國最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス

 千九百四十五年九月二日午前九時四分日本國東京湾上ニ於テ署名ス

 大日本帝國天皇陛下及日本國政府ノ命ニ依リ且其ノ名ニ於テ 
 重光葵
 日本帝國大本営ノ命ニ依リ且其ノ名ニ於テ 
 梅津美治郎

 千九百四十五年九月二日午前九時八分日本國東京湾上ニ於テ合衆國、中華民國、連合王國及「ソヴィエト」社曾主義共和囲連邦ノ爲ニ竝ニ日本國ト戦争状態ニ在ル他ノ連合諸國家ノ利益ノ爲ニ受諾ス

 連合國最高司令官 ダグラス・マッカーサー(DOUGLAS MAC ARTHUR)
 合衆國代表 シー・ダブリュー・ニミッツ (C.W. NIMITZ)
 中華民國代表者 徐永昌
 連合王國代表者 BRUCE FRASER
 「ソヴィエト」社会主義共和國連邦代表者 KUZMA DEREVYANKO
 「オーストラリア」連邦代表者 THOMAS BLAMEY
 「カナダ」代表者 L. MOORE COSGRAVE
 「フランス」國代表者 JACQUES LE CLERC
 「オランダ」國代表者 C.E.L. HELFRICH
 「ニュー、ジーランド」代表者 LEONARD M. ISITT

(下線部は調印者のサインなんで、資料によって訳がバラバラです。そのため一部を除き原文引用にしました)


更新:2003年8月15日

●ミズーリ艦上では何が起こったか? 降伏の瞬間について

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